第28話 浮かび上がる闇
王より託された意志の重みを胸に、ネイは王城の回廊を歩いていた。
白い石壁に灯火が淡く揺れ、そのたび胸元の真紅の特使章がかすかな光を返す。ベルノア王の書簡。真紅の証。いずれも、ただ受け取っただけでは終わらないものだった。
用意された部屋へ入ると、ローザ、ロッシュ、メグの三人がほとんど同時に顔を上げた。
「なあネイ。即位式のあと、何があったんだよ」
椅子に背を預けたまま、ロッシュが問う。
ネイは扉の前で一拍だけ黙り、それから卓へ歩み寄った。
「ハーデンベルグの尋問室に移された。そこでソレイユ様に――ロサマリアへ逃げ、嫌疑を晴らすための証拠を掴めと言われた」
ローザとメグが息を呑む。
「そのあと、ロサマリアでアージェンスとマーガレットに会い、同志となった。そして聖都で審問を受けた」
言葉は簡潔だった。だが、簡潔だからこそ、伏せているものの大きさがかえって伝わる。
ロッシュが身を乗り出す。
「で、結果はどうだったんだ。今の流れだと、異端嫌疑は晴れたんだろ?」
場の空気が、そこでひときわ静まった。ネイは杯を卓へ置き、ゆっくりと首を振る。
「異端嫌疑は晴れた。……だが、詳しくは言えない」
ロッシュの眉が寄る。
「言えないって、何だよ。俺ら仲間だろ」
ネイはロッシュを見た。鋭くはない。だが、揺れない目だった。
「言えば、再び異端になる。……口にした瞬間、俺だけじゃない。お前たちまで巻き込む」
メグが小さく息を呑み、ローザの指が杯の縁で止まった。
“異端”という語は、刃より重い。
ローザが静かに言う。
「……分かった。聞かない」
それは納得ではなかった。受け入れるという決意だった。踏み込まぬことで守る、という決意だ。
ロッシュは一度だけ舌打ちし、それを喉の奥へ押し込めた。
「……ちくしょう。分かったよ」
ネイは小さく頷き、話題を切り替えるように三人へ目を向けた。
「……お前たちは、どうしてここにいる」
ロッシュが肩をすくめる。軽さを装っていたが、声の底は硬かった。
「ローザがあの日、“わざと”お前を逃がしたってことにされてな。ほぼ反逆罪だ。総将の機転で助けられた――そういう流れだ」
淡々と語られた言葉に、ネイは目を見開いた。
「……総将の、機転?」
答えの代わりに、ローザが懐から一通の手紙を差し出した。
「読んで。……総将から、ネイ宛ての手紙」
ネイはそれを受け取り、食い入るように目を走らせる。
読み進めるほどに、顔から血の気が引いていった。
「……これは……総将は、もう……」
声が細くなる。ローザも、ロッシュも、メグも視線を伏せた。沈黙が、その先を言わせなかった。
だが、次の瞬間、ネイの目がある一文で止まる。
「アルザスを……斬ってしまった?」
呟くように言うと、ローザが応じた。
「でも、アルザスは生きている。黒装束たちの頭領のような立場で、豪商オスカー・ランブラーと手を組んで何かをしている」
ネイは反射的に顔を上げた。ローザは、ネイと別れてからの出来事を順に語った。
グロワールが用意した宿――灰色の鷹での、諜報員めいた鍵の受け渡し。ロサマリアで耳にしたオスカーとアルザスの会話。ベルノアでの爆破と襲撃。残されたアンブラージュ製の武器。
話が終わる頃には、室内の沈黙は先ほどまでとは違う質を帯びていた。何かが、底で繋がり始めている沈黙だった。
やがてネイが、低く言った。
「ひとつ、言っておく」
三人の視線が集まる。
「俺は、獅帝戦団には“闇”があると思っている」
その一言に、空気が変わった。
「ローザ様と……同じことを」
メグが口元を押さえる。ローザはすぐに身を乗り出した。
「聞かせて。ネイの見立てを」
ネイは一度目を伏せ、頭の中で事実だけを並べるように言葉を選んだ。
「きっかけは、獅子王戦死の報だ。現場にはベルノアの弓が残されていたと通達された。だが、アージェンスは明確に否定した。マーガレットも、ローンズベリーでは待ち構えていただけだと言っている」
「つまり、ベルノア犯行説は崩れる……」
ローザが低く呟く。ネイは頷いた。
「そして獅子王の陣には、グラーフ公とソレイユ殿下が率いる特務隊が護衛についていた。弓だけの攻撃なら、あの少数精鋭が防げなかったとは考えにくい」
ロッシュが顎に手を当てる。
「……でも、逆に言やあ、護衛の位置にいたからこそ――」
「暗殺するなら、最も都合のいい場所でもある」
ネイが言い切った。その言葉に、三人の顔色が変わる。
するとローザが自問するように呟く。
「グラーフ公とソレイユ殿下が結託して、獅子王を暗殺……王権を狙った……? そうだとすれば、女王陛下襲撃も――」
「そこは別だ」
ネイが、はっきりと遮った。
「女王陛下襲撃には、“殺すな、傷つければそれでいい”という指示があった。獅子王の死と、女王陛下襲撃は、同じ線に置かないほうがいい」
ローザは口を閉じ、すぐに頷いた。
「……たしかに。殺意と示威は、似ていて違う」
「そういうことだ」
ネイの声は冷静だった。感情ではなく、見立てを積み上げていく声音だ。
そして、ふいにローザが顔を上げた。
「オスカー・ランブラー……」
その名に、全員の視線が向く。ローザは整理するように、一つずつ言葉を置いた。
「ロサマリアで、オスカーは“次はベルノアだ”と言っていた。そしてベルノアで起きたのは、国そのものを壊す規模の襲撃じゃない。混乱を起こすには十分で、けれど全面破壊には至らない規模だった」
メグが目を見開く。
「しかも現場に残されたのはアンブラージュ製の剣……」
ローザは頷いた。
「女王陛下襲撃ではベルノア製の武器。そして陛下には“傷つければそれでいい”という指示」
ロッシュが息を吐く。
「……まるで、互いに相手を疑わせるためにやってるみてえだな」
ネイが静かに引き取った。
「……戦争を扇動しているんだ」
その一言で、ばらばらだった事実が、一つの形へ収束した。
アンブラージュとベルノアは停戦中だ。両国が自分から火種を撒くとは考えにくい。だが、第三者が両国の憎悪を煽るなら話は別になる。
メグが、かすれた声で言う。
「じゃあ、女王陛下襲撃は……」
「おそらく、オスカーとアルザスが首謀だ」
ネイが断じる。
ローザも、今度は迷わず頷いた。
「そして獅子王戦死は、別の線――グラーフ公、ソレイユ殿下、特務隊の側にある可能性が高い」
ロッシュが顔をしかめる。
「でもよ、総将の手紙の“アルザスを斬ってしまった”って一文が引っかかる。あのアルザスが、なんで総将に斬られなきゃならねえ」
ネイは低く答えた。
「そこが、まだ見えない。だが、見えないからこそ“闇”を感じる」
沈黙が落ちた。もはや疑念ではない。輪郭を持ちはじめた闇が、確かにそこに立っていた。そのとき、ネイがふと思い出したように言った。
「それと、話は逸れるが、俺は誰かに監視されている気がする」
三人が顔を上げる。
「黒髪の女の巡礼僧だ。あの目――どこかで見た気がする」
「黒髪の、女……」
ローザがぽつりと繰り返した瞬間、表情が変わった。何かが、脳裏の奥で急に繋がった。
*
薄い毛布。焼きたてのパンの匂い。
孤児院のベンチの端で、黒髪の少女がパンの耳を半分にして差し出してくる。
「……半分」
それが最初に聞いた声だった。
あまり喋らない子だった。けれど、いつも静かに隣にいた。気づけば、二人で遊ぶのが当たり前になっていた。
ある朝、修女が静かに告げた。
「ベロニカは新しいお家が決まってね。今朝、迎えに来られたわ」
*
――ベロニカ。
「ベロニカ・アーノット……」
ローザの口から、その名が零れ落ちた。
「ん? どうした。誰の名だ?」
ロッシュが怪訝そうに尋ねる。ローザはなお、遠くを見る目のまま言った。
「私が四、五歳の頃、孤児院で一緒に暮らしていた子。ある日、“新しい家が決まった”と言われて、突然いなくなった」
そして顔を上げる。
「ローンズベリーを出る時、特務隊にいた黒髪の隊士と目が合った。ネイを追っていた雨の日も。あのときは思い出せなかったけど……今なら分かる」
声が、少しずつ確信を帯びていく。
「あの目は、ベロニカ・アーノット。間違いない」
ネイの表情が変わった。
「特務隊……俺は、特務隊に監視されているのか……?」
想定外の線だった。室内の空気が、また一段張り詰める。
だが、その中で最初に落ち着きを取り戻したのはメグだった。
「でも、まだ確証ではありません。予想の域は出ていないです。落ち着きましょう」
珍しく、声に迷いがない。ロッシュも頷いた。
「そうだな。いずれにしても、戦団も、オスカーも、アルザスも、全部まとめて警戒だ。先に進めば色々と見えてくるだろ」
そう言ってパンをひとかじりする。その仕草だけが妙にいつも通りで、張り詰めた空気をわずかに緩めた。
ネイも小さく頷く。
疑念にしか見えなかった“闇”は、もはや霧ではなかった。
獅帝戦団の内に潜むもの。
オスカーとアルザスが焚きつける火種。
そして、特務隊と黒髪の巡礼僧を結ぶ影。
まだ核心には届いていない。
それでも確かに、闇は輪郭を持って浮かび上がりつつあった。
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