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双貌のローザリア  作者: あかまる
第2章 痕跡

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第25話 白き水都と赤き外套

 水の都ベルノアは、遠目には祈りのように美しかった。


 白い石の街が運河に沿って幾重にも連なり、赤い屋根瓦は陽を受けて深く艶めく。橋は弓なりに水路をまたぎ、鐘楼の音は潮風を渡って澄んで響く。整いすぎた景観は、もはや美というより、ひとつの威厳を帯びていた。


「……きれい」


 メグが、ほとんど吐息のように呟く。


「ああ。だが、綺麗すぎる街は、油断すると足をすくわれるぞ」


 ロッシュは冗談めかして笑ったが、その目はすでに城門の動線を追っていた。


 門前には旅人の列ができている。荷を検める役人。通行証を確かめる兵。列は整然としているが、その整然さ自体が、この国の緊張を物語っていた。


 ローザは黙って列の流れを見た。人の動き。荷車の幅。門兵の視線の配り方。橋の位置。運河の深さ。美しい街ほど、崩れる時の損害は大きい。整ったものは、崩れる時もまた速い。


「次、こちらへ」


 ようやく順番が回ってきた時、門兵が抑揚の薄い声で告げる。ローザたちは石造りの詰所へ案内され、簡素な机の前で足を止めた。


 その時だった。街の奥で、鈍い破裂音が鳴る。


 次の瞬間、詰所の外から悲鳴が上がった。兵が振り返る。列が崩れる。外の空気が一息で変わった。


「爆発だ!」


 誰かの叫びが走り、人の流れが逆巻く。


 整然としていた門前は、たった一瞬で混乱へ転じた。駆け出す者、立ち尽くす者、荷車を放る者、泣き出す子ども。橋のたもとで人が折り重なり、誰かの肩が誰かの喉を押し、転びかけた老人の杖が石畳を跳ねた。


「メグ、橋際の子どもを! ロッシュ、荷車をどかして通路を作って!」


「了解!」

「任せろ!」


 ローザは答えを待たず、外へ飛び出した。


 まず、泣いている子の肩を押して母親のもとへ返す。押すのは力ではなく、進むべき方向だ。足を止めた者は詰まりを生む。詰まりは転倒を呼び、転倒は群衆の足に命を奪わせる。


「走らないで! 橋の中央を空けて! 壁際へ!」


 張った声が白壁に反射する。


 ロッシュは荷車を半ば持ち上げるようにして動かし、人の流れを橋の片側へ寄せた。


 メグは怯えた子どもの手首ではなく、掌そのものを包んで導く。叫ばない。けれど彼女の声は、混乱の中でも不思議と耳に届いた。


「大丈夫、こっちよ!」


 もう一度、遠くで破裂音。今度は先ほどより小さい。だが、二度目という事実が恐怖を膨らませる。


 その時、人波の流れとは別に、妙に揃った動きが視界を横切った。


 黒装束。鎧ではなく、革の上に鉄片を縫い込んだ軽装。短槍、鉈、片手斧。走っているのに揺れが少ない。訓練された足運び。逃げ惑うふりをしながら、最短の角度でこちらへ寄ってくる。


 兵ではない。民でもない。混乱そのものを武器にする者の動きだった。


 ローザは剣の柄に手をかけた。黒装束の一人が前へ出る。


 その瞬間、さらに後ろから現れた影に、ローザの視線がわずかに止まった。


 無造作に羽織った赤い外套。深く被った頭巾。だが、その歩みには曖昧さがない。群衆の流れにも、足下の乱れにも、まるで一片も呑まれていない。


「……アルザス殿!?」


 ローザの声に驚きが滲むと、男は口元をわずかに吊り上げた。


「意外に早い再会だったな」


 背後に従う傭兵たちも、ただの荒くれではなかった。立つ位置、間合い、視線の置き方。誰が前へ出て、誰が脇を塞ぎ、誰が退路を断つのか――互いに言葉を交わさずとも、すでに形になっている。


 その中心にいるアルザスだけは、なお一歩引いていた。前へ出るでもなく、下がるでもなく、ただそこに立つだけで、戦場の芯が彼へ収束していく。


「あなたは……この爆破に関わっているのか!」


 ローザが鋭く問う。その直後、ロッシュとメグがローザの背後についた。


「道を開けろ」


 アルザスの目が細まる。


「邪魔をするなら、強硬手段を取らせてもらおう」


 声は低い。怒鳴りではない。だが、静かなまま刃を喉元へ置くような響きがあった。


 アルザスがわずかに顎を引いた、その合図だけで、黒装束たちは一斉に踏み込んできた。


 ローザは剣を抜く。ロッシュが盾を上げる。メグが身を低くし、斜め後方へ位置を取る。


 最初の一撃で分かった。


 ――強い。


 短槍の突きは鋭く、浅く見えて深い。鉈の軌道には迷いがなく、斧の振り下ろしは見た目以上に速い。ただ力任せではない。二列目、三列目が前衛の死角を埋め、退いた者の穴へ即座に別の者が滑り込む。包囲の形を知っている。実戦を重ねた連中だ。


 ローザは槍の柄を払って懐へ入る。斬れる。だが、斬らない。肘で崩し、足を払って倒す。そこへ横から鉈。受ける。痺れが腕へ走る。さらに別の槍が喉元へ伸び、ロッシュの盾がそれを弾いた。


「こいつら、ただの傭兵じゃねえぞ!」


「分かっている!」


 ロッシュが怒鳴り返し、二人目を盾で壁へ押しつける。メグの矢は急所を外し、肩口と太腿だけを射抜く。だが、それでも止まりきらない。痛みを噛み殺して前へ出てくる。


 アルザスは、まだ動かない。


 ただ見ている。だが、その視線は戦場を眺めているのではない。誰が詰まり、誰が崩れ、誰が最初に呼吸を乱すか――秤にかけるように測っていた。


 踏み込んでくる一人を弾き、返す刃で武器だけを叩き落とす。だが、倒しても倒しても間が埋まる。人を斬らない戦い方は、守るには向くが、数を捌くには不利だ。ローザの中で、焦りがじわりと熱を持ち始める。


 アルザスが、前へ出た。


 それだけで空気が変わった。


 歩幅は大きくない。むしろ静かですらある。だが、一歩ごとにこちらの呼吸が削られる。踏み込む位置が正確すぎる。石畳の継ぎ目、人の倒れた位置、荷車の残骸――すべてを見切ったうえで、最も崩れぬ線だけを選んでくる。


 振り下ろされた刃は大きく見えるのに、実際には無駄がない。受けた瞬間、手の内へ衝撃が深く食い込み、ローザの膝がわずかに沈んだ。


 ――重い。


 それだけではない。重さの奥に、崩しがある。受けた後の体勢まで計算して、次の一手がもう置かれている。


 ローザが流そうとした刃筋を、アルザスは途中でわずかに変えた。ほんのわずかな角度の修正。それだけで、こちらの受けは半歩遅れ、剣先が肩口を掠める。


「……っ」


 息が詰まる。


 しかも、一撃で終わらせる気がない。崩し、焦らせ、周囲ごと潰すつもりの剣だ。自分だけが強いのではない。味方を最も活かせる位置で、自分の強さを振るっている。


「そんな腕では俺には勝てんぞ」


 剣が弾き、火花が散る。


 その横で、ロッシュが二人を相手に押し返され、メグが新手に狙われる。数が減らない。むしろ増えている。路地の奥から、さらに三人。ローザはアルザスと距離を取り、剣を構える。


 アルザスは一度も背後を見ない。見ないまま、味方の進退とこちらの乱れを把握しているかのようだった。


「……くっ」


 ローザの目前には、こちらの倍以上の数の黒装束がいる。


 アルザスの目が細まる。


「そこをどけ。今度こそ斬るぞ」


 脅しではない。事実として、そう告げていた。


 ローザは唾を飲みこんだ。この状態では、勝てる見込みが薄い。


 このままではやられる――。


 そう悟った瞬間、戦場の温度が一段、冷えた。

 次の一撃で、何かが決定的に崩れる。


 危機は、もう目の前ではない。すでに刃先の距離にまで迫っていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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