第17話 白き審問
聖都は、雪と陽光で編まれたような白と金の街だった。
聖峰アルカンサーナの中腹に築かれた聖都ルクス=アーク。山肌に沿って連なる白亜の建物は、朝の光を受けて輪郭をやわらかく溶かし、金の縁取りだけを静かに浮かび上がらせている。
屋根の勾配は雪を逃がすために鋭く、尖塔は祈りをそのまま石へ変えたように空へ伸びていた。街の先にある検問所は白布の天蓋の下でひっそりと輝き、そのさらに上には壮大な大聖堂が聳え立っている。
大聖堂の下に位置する門には聖紋騎士団の紋章が掲げられ、門番の槍の穂先が朝日を受けて鋭く光る。鎧の継ぎ目は曇りなく磨かれ、外套の折り目ひとつ乱れていない。この門そのものが、大聖堂の入口であると同時に、入る者を選別するための境界線だった。
ネイは、アージェンスから託された書簡を差し出した。
門番は鷲の印を認めた瞬間、ほんのわずかに目を見開く。だが余計な問いは発さず、封と署名を改めると、厳かな所作で道を開いた。ベルノア王の書簡が持つ重みを、言葉ではなく沈黙そのものが示していた。ただ、門番は最後に一言だけ、忠告するように告げる。
「大聖堂へは、あなたのみお入りください。これは決まりですので」
ネイが頷くと、門が開く。石畳の上へ、光の帯がまっすぐ落ちた。
ネイは一度だけ振り返る。
門の外で待つマーガレットは、剣の柄に手を置いたまま短く頷いた。その眼差しは、ここから先はお前の戦いだと告げていた。
その頷きごと背を押されるように、ネイは光のほうへ歩き出した。
*
大聖堂へと続くアルカンサーナの石階段を、一歩ずつ、ゆっくりと踏みしめて上がる。
尖塔の影が地を細く刻み、回廊の上を風が聖歌の音階で渡っていく。左右には祈りのための小祠が並び、白い蝋燭の火が、朝の冷えた空気の中でかすかに揺れていた。巡礼の老人が杖をつき、母親に手を引かれた幼子が金の聖標へ指を伸ばし、無言の修道士たちが灰衣の裾を揃えてすれ違う。
誰も声を荒げない。だが、どの足取りにも迷いがない。
ここでは祈りさえ規律のうちにあるのだと、ネイは思った。
石段を登りきると、巨大な大聖堂が目前にあった。白い壁面には金の装飾が走り、鐘楼の窓は薄い雲を切り取っている。ひとつの建築でありながら、どこか生物の骨格のようでもあった。
扉が開くと、空がひときわ広がるように思えた。
高窓から差し込む光は、ただ明るいのではない。細く、冷たく、真実だけを選って照らすような光だった。
磨き上げられた床の大理石に光が落ちる。香の匂いは濃すぎず、むしろ冬の空気の清冽さを際立たせていた。
ネイは大きく息を吐き、天井近くの光を見上げる。一拍置いてから、ゆっくりと中へ足を踏み入れた。
異端審問は、公開の儀から切り離された小聖堂で行われる。
そこへ至る回廊は細く、足音が石に吸われていく。壁龕には聖人像が並び、そのどれもが穏やかな顔で前を向いていた。だがネイには、それらの視線が自分の胸元を透かしているように思えた。王紋は衣の下に隠れているはずなのに、そこだけがひどく冷たく感じられる。
小聖堂へ通される。
席は少ない。教皇、司祭、審問官長――それだけだ。
小さな祭壇の上では、細い火が絶えず揺れていた。大広間と違い、ここには儀礼のための華やかさがない。あるのは削ぎ落とされた装飾だけだ。告白のための場、判定のための場――白く、小さく、逃げ場のない部屋だった。
ネイは剣を預け、胸の内側の鼓動だけを携えて中央へ進む。
視線だけを巡らせる。聖都に来れば事は進展すると告げた、あの巡礼僧の姿を探した。だが、この場には見当たらない。
祭壇前に立つ教皇は、以前と変わらぬ金と白の祭服をまとっていた。だが、王都での即位式の場で見たときよりも、ここではひどく冷たく見える。
「聖紋を携える者……か」
教皇は目を細め、ネイを値踏みするように見つめた。
「元獅帝戦団、ネイ・カイザーハインです」
答えた声は、自分で思うより落ち着いていた。だが、胸の内では心臓が衣服の裏で鈍く鳴り続けている。
ネイの胸に下げられた王紋の気配へ、静かなざわめきが起きた。
ネイは革紐を外した。王紋が光を受け、小さく息をするように煌めく。
審問官長が大きく目を見開き、思わず身を乗り出した。
「その印の来歴を示せるのか」
教皇の目が鋭く光る。
「由来は――」
言葉を発した瞬間、喉が異様に渇いた。
生唾を飲み込もうとしても乾きは消えず、喉の奥だけがひりつく。胸の奥で、警鐘のような感覚が鳴った。
ここへ来れば進展すると告げた巡礼僧の言葉。だが当の本人は、まだ姿を見せない。
あれは、誘導だったのか。聖都へ自ら踏み込ませ、逃げ場のない審理の場へ立たせるための。
――俺は、騙されたのか。
そう思った、そのときだった。
背後の扉が静かに開き、灰衣の影が小聖堂へ入ってきた。
あのときの巡礼僧だ。
ネイは思わず息を呑み、その姿を見た。
「審問中、失礼いたします」
巡礼僧が静かに礼をすると、教皇の目が大きく見開かれた。
「猊下、人払いを。重要な事案ゆえ――」
教皇は言葉を発せぬまま頷いた。退室の指示を受け、司祭と審問官長が不可解な表情を浮かべたまま小聖堂を後にする。
扉が閉まる。
音が、世界からひとつ抜け落ちた。
外の鐘も、風も、祈りの気配さえ、いまは遠い。残ったのは、白い石の冷たさと、三人の呼吸だけだった。
その静寂を確かめてから、巡礼僧は教皇とネイのあいだへ進み出た。
「昨日は……驚かせてしまい、申し訳ありませんでした」
巡礼僧は静かな口調で、ネイに深く礼をする。
ネイは言葉を探した。だが何ひとつ形にならず、同じく礼を返すことしかできなかった。
「私はリディア・バイアーンゴルトと申します。誠に勝手ながら、この審問に参加させていただきたく」
リディアと名乗った女は、ネイと教皇にもう一度、礼を重ねた。
何が起きているのか理解が追いつかず、ネイはわずかに眉を寄せる。
「一体、これから何を……」
ようやく言葉を紡ぎかけた、そのときだった。
リディアは聖具の戸棚の奥――隠し扉としか思えぬ板へ、軽く指先を当てた。
「おじいさま、どうぞ」
杖の音がした。
乾いた、だが確かな音。老いを支えるための杖ではなく、歩みの拍を定めるための杖に聞こえた。
ゆっくりと歩む足音。
白髪。
金縁の眼鏡。
長衣の裾が床を擦る、乾いた音。
「あ、あなたは……!御身が、何故ここへ直接……」
教皇の声が、わずかに震えた。
老人はネイへ顔を向けると、目を細く笑わせる。だがその眼差しの奥には、歳月に磨かれた鋭い光があった。
「私はギュスターヴ・バイアーンゴルト」
老人の名が、静寂に包まれた小聖堂へ深く落ちた。
「――ここに述べる肩書は、この部屋の中でのみ有効である」
低い声が、石壁に静かに染みる。
「デラヴイユ王国、最高科学技術責任者兼宰相。この審問に参加いたす」
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