第15話 闇夜の中の訪問者
新たなる同志を得た。
それはネイにとって、心強いという言葉だけでは足りない出来事だった。
ベルノア王アージェンス。そして、“軍神”マーガレット・シュロップシャイア。
王と、大陸最強と謳われる騎士。その事実だけを見れば、頼もしさを超えて現実感さえ薄い。
だが、いま最も重要なのはそこではなかった。
どうやって、あの王紋の由来を辿るか。すでに一日を費やしている。残された猶予は、あと六日。
そして、どうしても確認しておきたいこともある。
否定はされた。だが、獅子王とマリー女王陛下襲撃事件に、ベルノアが本当に関わっていないのか。そこだけは、もう一度きちんと確かめておきたかった。
窓の外は闇夜に包まれていた。卓上のランプは芯が短く、炎は小さな楔のように静かに揺れている。ネイはその炎を見つめ、それから顔を上げた。
「……陛下、ひとつ、確かめたいことがあります」
ネイがアージェンスへ目を向けると、当の本人は小さく笑った。
「陛下はやめてくれ。アージェンスでいい。言葉遣いも普通にしてくれたまえ。どうにも落ち着かない」
ネイはわずかに目を見開いたが、すぐに頷いた。
「じゃあ、聞く。獅子王の暗殺に、ベルノアは関わっていない。それは間違いないんだな」
間髪入れず、マーガレットが答えた。
「そうだ。我々はローンズベリーで正々堂々と待ち構えただけだ」
声音に揺らぎはない。アージェンスも静かに頷く。
「……女王陛下の襲撃にも?」
「それもない」
今度はアージェンスが即答した。
「停戦協議を結んでいた。襲撃する理由がない。いずれにしても、そのような卑劣な手は打たぬがな」
杯が傾き、琥珀色の酒が喉へ落ちる。
ネイは黙ったまま、両手を組み、顎の下へ当てた。
獅子王戦死の現場。
マリー襲撃の現場。
どちらにもベルノア製の武器があった。
だが、ベルノアの中枢にいるこの二人は、まっすぐ否定している。嘘を塗る声音には聞こえなかった。
では、誰が仕掛けたのか。
そのとき、ネイの脳裏に直感が走った。
ローンズベリーの隊列。
獅子王の位置。
グラーフ公と、ソレイユ率いる特務隊。
あの位置なら、暗殺は可能だ。
理由は――王の座か。
そして、獅子王の死の直後に起きたマリー女王陛下襲撃事件。
辻褄は合う。
いや――あのときの襲撃者は、“殺さなくていい、傷つければいい”という指示を誰かから受けていた。
――どういうことだ。
考えた瞬間、指先から力が抜けた。持ち上げかけた杯がわずかに傾き、酒が卓へこぼれる。
「なんだ、もう酔ったのか」
アージェンスは軽く笑い、だが自然な手つきで杯を取り上げた。注ぎ足す量は自分の杯と同じ。気遣いを冗談の形へ包む手つきだった。
「酔ってない。疲れてるだけだ」
そう言いながら、ネイは右手にわずかな痺れがあることに気づいた。だが、気のせいだと押し流す。
「ところで、カイザーハイン」
マーガレットの声が落ちる。戦場で間合いを測るときと同じ、無駄のない視線だった。
「なぜお前は異端嫌疑をかけられている」
ネイは一呼吸置き、胸元の革紐へ手をかけた。
「……公の場で、これを見られた」
装飾物を外し、卓上のランプへかざす。
青い薔薇の王紋。
炎が石の小さな欠けと彫りの深さを浮かび上がらせ、青の底へ細い光を刺した。
「デラヴイユの王紋。聖都で保管されるべき聖紋。盗品なら異端だと、教皇に告げられた」
アージェンスが身を乗り出し、王紋を凝視する。マーガレットは眉根を寄せ、視線だけを石へ落とした。
「残りは、もう六日だ。期限内に入手経緯を示さなければならない。これは母の形見だが、母はアンブラージュのゼンブラ出身だ。それ以外は……何も分かっていない」
「父親は?」
マーガレットの問いは短い。
「名前も知らない。俺が生まれる前に家を出たと聞かされている。父のことは忘れろと、母はいつも言っていた」
短い沈黙が落ちた。
運河を渡る風が、卓上の炎を一度だけ横へ倒す。だが炎はすぐに立ち直る。
やがて、アージェンスが低く口を開いた。
「少し逸れるが……昔、ベルノアの書庫である書物を読んだことがある」
ネイが顔を上げる。
「“レオン王子、成人の儀における大陸周行の途次、ベルノアの港に立ち寄る”――そういう文言だ。成人の儀式、デラヴイユでは十二歳で行うらしいな。その巡礼路に沿った旅を記したものだった」
「レオン王子……」
聞いたことがある。
「その末尾に王紋の印影が押されていた。君のそれと、意匠が同じに見える」
断言ではない。だが、糸口にはなる。
マーガレットが卓を軽く叩いた。
「だが、同じだけでは審理は動かん」
「ああ」
ネイは頷く。
「だから誰かの推測じゃ足りない。誰が、どこで、どう渡したのか。秤に載せられる形で示さないといけない」
口にしたことで、ようやく自分の進むべき道が輪郭を持った。
そのときだった。
扉が一度、控えめに鳴った。
開いた隙間から、薄灰の僧衣が滑り込む。若い女の巡礼僧だった。
深い頭巾の下、頬の線だけがランプの色に濡れている。
三人の視線が一斉に向いた。
女は立ったまま、ネイを見つめていた。
「……あなたは、昼間の」
ロサマリアで少年を救ったあと、善行に触れたいと言って握手を求めてきた巡礼僧。
あの静かな眼差しが、再びネイを捉えていた。
ランプの火がひとつ、小さく揺れた。
まるで、部屋の中の空気だけが、先に彼女の来訪を知っていたかのように。
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