第7章 時間の声
カチリ。
カチリ。
雪時計の音は、一定のリズムを刻んでいた。
それなのに――
ミレイには、声のように聞こえた。
「……聞こえる?」
少年が、少し驚いたように尋ねる。
ミレイは、うなずいた。
耳ではない。
胸の奥で、何かが語りかけてくる。
――戻らなくていい。
――進め。
言葉は短く、はっきりしていた。
「時計はね」
少年は、雪時計を見つめたまま言う。
「過去を直す道具じゃない。
壊れた“流れ”を、正しくするだけ」
時計台が、低く鳴った。
ゴウン……。
凍りついていた歯車が、軋みながら回り始める。
空から、雪が落ちてくる。
だが、それはもう、止まった雪ではなかった。
降り、積もり、溶ける。
当たり前の時間だった。
ミレイは、雪時計を胸に抱いた。
すると、また映像が浮かぶ。
今度は、知らない光景。
老いた自分。
誰かの時計を、黙って修理している。
その背中を見て、子どもが笑っている。
「……未来?」
「可能性」
少年は即答した。
「選ばれた時間だけが、残る」
ミレイは、震える息を吐いた。
失ったものは、戻らない。
でも、続きは、作れる。
それが、この世界の答えだった。
時計台の鐘が鳴る。
――ゴォン。
一度だけ。
それで、十分だった。
少年の姿が、薄くなる。
「待って!」
ミレイが声を上げる。
少年は、最後に振り返った。
初めて、はっきりと笑った。
「君は、もう
“直す人”じゃない」
雪が、舞い上がる。
「――時間と、一緒に歩く人だ」
次の瞬間、少年はいなかった。
ミレイの腕の中で、雪時計は、静かに動き続けている。
カチリ。
カチリ。
それは、終わりの音ではない。
始まりの音だった。
朝が来た。
それは、長い冬の町にとって、少し不思議な出来事だった。
夜と朝の境目が、いつもよりはっきりしていたからだ。
窓の外では、雪が――溶けていた。
音もなく消えるのではなく、
きらきらと光を残しながら、ゆっくりと水へ戻っていく。
ミレイは、作業台の前に立っていた。
手の中には、いつもの工具。
でも、胸の奥は、昨日までとは違う。
カチリ。
壊れた目覚まし時計が、動き出す。
「……よし」
小さく呟くと、扉がノックされた。
「入っていい?」
隣家のおばあさんだった。
修理を頼んでいた懐中時計を、受け取りに来たのだ。
ミレイは時計を手渡しながら、ふと気づく。
――おばあさんの目が、少し潤んでいる。
「動くかい?」
「ええ。ちゃんと」
おばあさんは、時計を耳に当て、静かに笑った。
「この音ね……
若いころ、夫と聞いた音と同じだよ」
ミレイは、何も言わなかった。
言葉を足す必要がないと、初めて思えたから。
時計は、思い出を連れ戻さない。
でも、思い出と一緒に歩く時間は、ちゃんと刻める。
それで、十分だった。
昼になると、町はざわめき始めた。
「雪が軽いぞ」
「空が、明るい」
子どもたちが走り回り、
大人たちは空を見上げる。
キラキラは、消えていなかった。
ただ、以前のように凍りつく輝きではない。
動き続ける光になっていた。
夕方、ミレイは時計台へ向かった。
あの少年はいない。
雪時計も、もう置かれていない。
けれど、歯車は滑らかに回り、
鐘は、正しい時刻に鳴っている。
ミレイは、そっと手を当てた。
「……行くよ」
誰に向けた言葉でもない。
それでも、風が返事をした気がした。
町へ戻る途中、雪が一粒、肩に落ちる。
すぐに溶けて、水になる。
冷たくて、やさしい。
ミレイは、微笑んだ。
時間は、もう止まらない。
そして――
輝きは、失われない。
それは、冬が教えてくれた。




