第18章 動き出した町の息づかい
朝の鐘は、いつもより少しだけ澄んでいた。
理由は、誰にもわからない。
けれど、町の人々は足を止め、
一瞬、空を見上げた。
雪は、やさしく降っている。
急がせるでも、閉じ込めるでもない、
ちょうどいい冬。
「寒いね」
ルカが、白い息を吐く。
「うん。でも……」
ミレイは、胸に手を当てる。
「ちゃんと、冷たい」
それは、確かさだった。
時計屋の前には、
いつの間にか人が集まっていた。
止まっていたはずの時計が、
一斉に動き出したからだ。
「直った……?」
「いや、直した覚えは……」
ざわめきが、
不安ではなく、戸惑いの色を帯びている。
ミレイは、店の扉を開けた。
カラン。
音が、戻っている。
棚の時計たちは、
それぞれの速さで、刻んでいた。
揃ってはいない。
けれど、
無理に揃えられてもいない。
「これで、いいんだ」
ミレイは、そう呟いた。
ルカが、笑う。
「前より、好きかも」
昼になると、
町の空気は、さらに変わった。
立ち止まる人が増え、
話す声が、少し長くなる。
「急がなくていい気がしてさ」
「でも、遅れてもいないんだよな」
誰かの言葉が、
町のあちこちで、重なっていく。
時間は、均一じゃなくていい。
でも、
進む方向は、同じでいい。
夕方、
ミレイは店の裏で、懐中時計を見つめた。
もう、特別な震えはない。
ただの時計。
でも、
彼女にとっては、確かな相棒。
「役目は、終わった?」
ルカが聞く。
「……いいえ」
ミレイは、首を振る。
「変わっただけ」
時計を、そっとしまう。
誰かの時間を“直す”ためじゃない。
一緒に歩くため。
夜、
雪は少しだけ強くなった。
けれど、
町は静かだ。
止まることを恐れず、
進むことを疑わない。
そんな冬が、
ここから続いていく。
ミレイは、窓辺に灯りをともした。
それは、
誰かが帰ってくるための光ではない。
今、ここにいる人のための光だった。
雪道は、思ったより歩きやすかった。
夜の町を抜け、
二人は川沿いの道を歩いている。
月明かりが、
水面と雪を同時に照らしていた。
「ねえ、ルカ」
「なに?」
「もし、ここで別れても……」
言いかけて、
ミレイは言葉を止めた。
ルカは、歩調を落とす。
「続き、聞くよ」
ミレイは、息を整える。
「もし、ここで別れても、
あなたは、ちゃんと進める?」
ルカは、少し考えた。
そして、答える。
「進める」
迷いのない声。
でも、
それだけじゃない。
「でも、
一緒に歩けるなら、
そのほうがいい」
ミレイは、思わず笑った。
「ずるい答え」
「正直なだけ」
二人の足音が、
自然と揃う。
無理に合わせているわけじゃない。
歩く速さが、近いだけ。
川のそばで、
二人は立ち止まった。
水は流れている。
止まらず、
急がず。
「時間みたいだね」
ミレイが言う。
「うん」
ルカは、頷く。
「前は、怖かった?」
「……少し」
ミレイは、正直に答える。
「誰かと一緒に進むのが」
「今は?」
「今は」
彼女は、ルカを見る。
「怖くない」
沈黙が落ちる。
でも、
空白じゃない。
夜の音が、
静かに満ちている。
ルカが、少し照れたように言う。
「じゃあさ」
「うん?」
「これからも、
同じ速さで歩こう」
約束でも、誓いでもない。
ただの提案。
だからこそ、
重くない。
「……うん」
ミレイは、答えた。
その一言で、
十分だった。
二人は、また歩き出す。
雪は、まだ降っている。
けれど、
もう閉じ込める冬じゃない。
並んで歩くための、
やさしい冬だった。




