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きらめきの冬時計  作者: レノスク


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第16章 選ばれなかった時間の声

最初に聞こえたのは、音ではなかった。

 ――感触だった。

 胸の奥を、誰かに軽く叩かれたような、

 忘れていた鼓動の余韻。

 ミレイは、顔を上げた。

 森の奥。

 雪が深く、光の届かない場所。

 そこに、“影”が立っている。

 人の形をしている。

 けれど、輪郭が定まらない。

 時間の抜け殻。

 選ばれなかった可能性。

 ルカが息をのむ。

「あれ……」

「見ないほうが、楽だったかもしれない」

 ミレイの声は、静かだった。

 影が、ゆっくりと近づく。

 歩いているのに、距離が縮まらない。

 ――時間の歩き方が、違う。

「……ミレイ」

 影が、彼女の名を呼んだ。

 それは、ルカの声ではなかった。

 過去でも、未来でもない。

 もしも、の声。

「進まなかった私」

 影は、そう名乗った。

「止めたままにした世界」

 ミレイの指先が、震える。

「……来ると思ってた」

「ええ。あなたがここまで来たから」

 影は、笑った。

 それは、後悔の形をしていた。

「あなたは、選んだ。

 進むことを」

「でも、全部を救えてない」

「当然よ」

 影は、淡々と言う。

「選ぶということは、

 救わない時間を決めることだから」

 ルカが、一歩前に出る。

「それでも、ミレイは――」

「知ってる」

 影は、ルカを見る。

 その視線に、敵意はなかった。

「だからこそ、私は生まれた」

 影は、胸に手を当てる。

「あなたが捨てたわけじゃない。

 ただ、連れていけなかった時間」

 森が、わずかに軋む。

 懐中時計が、また震え始めた。

 今度は、警告ではない。

 問いだった。

「ミレイ」

 影が、静かに告げる。

「次に進めば、

 私たちは、もう戻れない」

「……うん」

「それでも?」

 ミレイは、目を閉じる。

 雪の冷たさ。

 ルカの手の温度。

 今、立っている地面の感触。

 全部、確かめてから――

 目を開いた。

「それでも、行く」

 影は、少しだけ、安堵したように微笑む。

「なら、最後に一つ」

「なに?」

「忘れないで」

 影の輪郭が、崩れ始める。

「私たちは、間違いじゃない。

 あなたの“代わり”でもない」

 雪と一緒に、影は溶けていった。

 あとには、静かな森と、

 懐中時計の、澄んだ音だけ。

 カチ、カチ。

 ミレイは、時計を閉じた。

「……行こう」

「うん」

 二人は、歩き出す。

 この先に待つのは、

 選び続けた者だけが辿り着く、

 冬の最深部。

 そこでは、

 時間そのものが、答えを待っている。

森を抜けた瞬間、

 空気が変わった。

 冷たいのに、痛くない。

 静かなのに、満ちている。

 そこは、冬の中心だった。

 雪は降っていない。

 それなのに、世界は白い。

 地面も、空も、境界が曖昧で、

 遠近という概念が、そっと外されている。

「……音が、ない」

 ルカがつぶやく。

 耳を澄ましても、

 自分たちの呼吸すら、少し遅れて聞こえる。

 ミレイは、ゆっくりと歩いた。

 一歩、進むたびに、

 足元に淡い光の輪が広がる。

 懐中時計は、静かだった。

 震えも、警告もない。

 まるで――

 ここでは、必要とされていないかのように。

「ミレイ」

「うん」

「ここ……」

 ルカは、言葉を探す。

「誰かが、ずっと待ってた気がする」

 ミレイは、頷いた。

「私も」

 そのとき、

 白い世界の奥で、一点の色が揺れた。

 淡い青。

 氷よりも柔らかく、

 星よりも近い光。

 それは、人の形をしていた。

 けれど、影はない。

 存在しているのに、

 時間を落とさない。

「ようこそ」

 声は、直接、胸に届いた。

「選び続けた者たち」

 ミレイは、自然と頭を下げていた。

 ルカも、同じ動きをしている。

 理由はわからない。

 ただ、そうするのが正しいと感じた。

「あなたが……」

 ミレイが、口を開く。

「冬の――」

「名前は、いらない」

 光の存在は、穏やかに遮った。

「名づけられた瞬間、

 私は役割になる」

「役割じゃ、だめなの?」

 ルカが聞く。

 光は、少しだけ揺れる。

「役割は、終わるから」

 白い世界が、静かに脈打つ。

「私は、終わらない問い」

「問い……?」

「そう」

 光は、ミレイを見つめる。

「時間を、進めるか。

 留めるか。

 抱えたまま、生きるか」

 懐中時計が、微かに音を立てた。

 カチ。

「あなたは、ここまで来た」

 光が言う。

「だから、最後の問いを渡す」

 世界が、わずかに暗転する。

 白の中に、

 無数の冬の場面が浮かび上がった。

 笑う人。

 泣く人。

 止まったままの誰か。

「この中から、

 一つだけを“確かな今”にできる」

 ミレイの喉が、鳴る。

「……一つだけ?」

「それ以上は、

 世界が壊れる」

 沈黙。

 ルカが、ミレイを見る。

 不安はある。

 でも、答えを急がせる目じゃない。

 信じて、待つ目だった。

 ミレイは、深く息を吸った。

 そして、

 まだ選ばない。

「……少し、考えてもいい?」

 光は、優しく揺れた。

「もちろん」

「時間は、ここでは――」

「止まっている」

 ミレイは、懐中時計を閉じた。

 これは、道具の時間じゃない。

 心の時間だ。

 白い世界の中で、

 彼女は、静かに考え始める。

 冬の中心で、

 すべての“今”が、息を潜めて待っていた。

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