第15章 小さな手の役目
朝の光は、やさしかった。
雪の上に落ちると、
きらめきは控えめに、静かに広がる。
ミレイは、まだ目を閉じていた。
眠っているわけではない。
動かずに、在るという時間。
そばで、ルカが起きていた。
焚き火の跡を片づけ、
水筒を確かめ、
ミレイの外套を、風が来ない向きに直す。
誰に教わったわけでもない。
必要だと思ったから、そうした。
ミレイが、ゆっくり目を開ける。
「……ルカ?」
「起こしてごめん」
ルカは、小さな声で言った。
「でも、寒くなってきた」
ミレイは、体を起こそうとして、やめた。
無理をしない、という選択。
「ありがとう」
その一言に、
ルカは少し照れたように視線を逸らす。
「前はさ」
ルカが、雪を見つめながら言う。
「ミレイが、ぼくを起こしてくれた」
「うん」
「今度は、ぼくの番」
ミレイの胸が、静かに鳴る。
懐中時計を取り出すと、
針は、ほんの少しだけ、動いていた。
カチ……。
音は、弱い。
でも、確かだ。
「……頼もしくなったね」
ミレイが微笑むと、
ルカは、少しだけ胸を張った。
「支えるのも、
時間の仕事でしょ?」
その言葉に、
ミレイは息を呑んだ。
かつて、
自分が言われたことと、同じだった。
立ち上がると、
足取りはまだ不安定。
でも、ルカの手が、そこにある。
「ゆっくりでいい」
ルカが言う。
「ぼくも、速くない」
ミレイは、頷いた。
二人の歩幅が、重なる。
完璧な速さじゃない。
でも、揃っている。
冬は、まだ続く。
それでも、
支え合う時間は、確かに流れていた。
風が、止んだ。
正確には――
止んだように感じただけだった。
雪は宙で揺れ、
落ちるはずの軌道を忘れたように漂っている。
ミレイは、立ち止まった。
「……来た」
低く、短い声。
ルカも異変に気づく。
耳が、変に静かだ。
音がないわけじゃない。
音が、届く前で止められている。
ミレイの懐中時計が、強く震えた。
カチ、カチ――
規則正しかった音が、歪む。
「ミレイ……?」
「大丈夫」
即答だった。
それが、逆に不安を誘うほどに。
空が、ひび割れる。
ガラスのような線が、
見えないはずの空間を走る。
時間の綻び。
――世界が、追いつけなくなっている。
「ルカ、離れないで」
「うん」
その返事は、短くて、強い。
次の瞬間、
周囲の景色が、一段階、ずれる。
森は森のまま。
雪は雪のまま。
ただ、存在の順番が狂った。
木の影が、先に動き、
本体が遅れて追いつく。
ミレイは、膝をついた。
「っ……!」
胸の奥が、引き裂かれる感覚。
懐中時計の蓋が、勝手に開く。
針が、ありえない速さで回り始めた。
「だめ……
これ以上は……」
ルカが、迷わずミレイの手を握る。
小さい。
でも、確かに“今”にある手。
「ミレイ」
名前を呼ぶ。
ただ、それだけ。
なのに、
回転していた針が、一瞬、止まった。
カチ。
音が、戻る。
雪が、落ちる。
空のひびが、ゆっくりと塞がっていく。
ミレイは、息を吐いた。
「……ありがとう」
「さっき言ったでしょ」
ルカは、握った手を離さない。
「支えるのも、時間の仕事」
懐中時計は、静かだった。
もう、命令を待つ道具ではない。
二人が立っている“今”に、従っている。
けれど、ミレイは知っている。
これは、終わりじゃない。
――世界は、
次の選択を待っている。
遠くで、何かが、目を覚ました。
音もなく、
だが、確実に。




