第14章 遅れる笑顔
次の町は、にぎやかだった。
市場の声、荷馬車の音、
人々の笑い声が行き交う。
――ただし、少しだけ。
笑顔が、遅れる。
冗談を聞いてから、
一拍、二拍遅れて、ようやく笑う。
「変だね」
ルカが、露店の前で言った。
「うん。
感情が、時間についてきてない」
ミレイは、人々を観察する。
怒りも、悲しみも、
同じように遅れて表に出る。
誰も、それを不思議に思っていない。
困るほどのことではないからだ。
でも――
「積もる」
ミレイは、小さく呟いた。
遅れた感情は、
行き場を失って、溜まっていく。
宿屋で、老夫婦と話した。
「最近ね、
楽しいはずなのに、疲れるんですよ」
笑顔の裏に、重たい影。
ミレイは、懐中時計を机に置いた。
針は、正常。
でも、音がずれている。
「ここでは、
心が追いつく時間が足りない」
ルカが、真剣な顔で聞く。
「じゃあ、どうするの?」
ミレイは、外を見た。
夕暮れの空。
雪は、降っていない。
「待つ」
即答だった。
「笑うのを、
急がせない」
その夜、ミレイは市場の中央に座った。
何もせず、
ただ、時計を膝に置く。
カチリ。
カチリ。
人々は、不思議そうに見ていたが、
誰も、追い払わなかった。
時間が、追いつくまで。
それだけで、よかった。
やがて――
笑い声と、表情が、重なり始める。
小さな変化。
でも、確かな回復。
ルカが、そっと言った。
「直さなくても、
よくなるんだね」
「うん」
ミレイは、微笑んだ。
「寄り添えば、
時間は、戻ってくる」
町を去る頃、
笑顔は、遅れなくなっていた。
完璧じゃない。
それでいい。
その日は、朝から音が鈍かった。
懐中時計の刻むリズムが、
いつもより深く、重い。
カチ……
カチ……。
ルカは、すぐに気づいた。
「ミレイ、疲れてる?」
「……少し」
嘘ではない。
でも、全部でもない。
歩くたび、胸の奥が引っ張られる。
時間に、逆に引かれているような感覚。
立ち止まると、楽になる。
進もうとすると、重くなる。
「これ、私の……」
ミレイは、言葉を切った。
世界の歪みではない。
誰かの時間でもない。
自分自身の時間だ。
夕方、ミレイは動けなくなった。
足ではなく、心が。
雪の上に座り込む。
ルカが、慌てて戻ってくる。
「どうしたの?」
ミレイは、懐中時計を見せる。
針が、止まりかけている。
「頑張りすぎた」
小さく、正直に言った。
ルカは、何も言わず、
ミレイの隣に座った。
「……止まっても、いい?」
ミレイの声は、弱かった。
ルカは、首を振る。
「止まらなくていい」
でも、すぐに言い直す。
「休んでいい」
その違いが、
胸に、温かく広がる。
ミレイは、目を閉じた。
懐中時計を、胸に抱く。
カチリ。
音は、戻らない。
でも、消えもしない。
夜が来る。
星が、ひとつ、またひとつ、灯る。
ミレイは、静かに息を整えた。
動くためじゃない。
生きるために。
冬は、厳しい。
でも、休む場所は、
ちゃんと、用意されていた。




