第13章 冬の心臓
崩れた記憶の町の奥に、
何かが残っていた。
雪でも、建物でもない。
音も、光も、ない。
ただ、冷たさだけが、そこにあった。
「……ここ」
ミレイは、足を止めた。
空気が、重い。
息を吸うたび、胸の奥が締めつけられる。
坂の終わりに、広場があった。
中央に、巨大な氷の塊が立っている。
形は、心臓に似ていた。
脈打たない、冬の心臓。
ルカが、無意識に後ずさる。
「これ……
生きてる?」
「生きてない」
ミレイは、静かに答えた。
「でも、終わってもいない」
氷の表面に、映像が浮かぶ。
泣いている自分。
声を失った町。
止めた時計。
見ないふりをした光。
――守るために、凍らせた。
声が、直接、頭に響いた。
姿はない。
でも、確かに“意志”がある。
「失わないために、
全部、止めた」
ミレイの膝が、わずかに震える。
「……わかる」
否定できなかった。
氷の心臓が、きしむ。
「なら、なぜ来た」
ミレイは、懐中時計を取り出す。
針は、遅れながらも、動いている。
「止めたままじゃ、
守れないから」
ルカが、一歩、前に出た。
小さな手が、氷に触れる。
「寒いけど……
ここ、ひとりだ」
その瞬間、
氷に、細い亀裂が走った。
ミレイは、深く息を吸う。
「冬は、終わらせない」
声は、震えなかった。
「でも、
閉じ込めない」
懐中時計を、心臓に近づける。
カチリ。
小さな音。
けれど、確かな音。
氷の心臓が、初めて、反応した。
きし……
きしきし……。
冷たさの奥で、
何かが、ほどけ始める。
完全に壊すことは、できない。
完全に溶かすことも、しない。
それでいい。
冬は、抱えるものだから。
広場に、弱い光が戻る。
雪が、初めて、きらめいた。
ミレイは、ルカの手を取った。
「ここからは、
一緒に、歩く」
氷の心臓は、まだそこにある。
でももう、
世界を止める力はなかった。
冬は、
再び、流れ始めていた。
世界が、すぐに変わることはなかった。
氷の心臓は砕けていない。
溶けてもいない。
ただ――脈を失っただけだ。
広場を離れると、空が少し暗くなった。
雪は、きらめきを取り戻したまま、静かに降っている。
「終わったんじゃ、ないんだね」
ルカが、不安と安心の混じった声で言う。
「うん」
ミレイは頷いた。
「終わらせなかった」
坂を下る途中、
町の記憶は、完全には消えていなかった。
壊れたままの家。
音を失った通り。
そして、遠くで、再び動き始める影。
時間は、流れ出している。
でも、歪みは残っている。
懐中時計を覗くと、
針が、時々、引っかかる。
「代償、だね」
ミレイは、独り言のように呟いた。
完璧な解決は、ない。
それを知ったうえで、選んだ。
山を下りると、
冷たい風が、少しだけ柔らかくなっている。
しかし――
遠くの空に、
黒い筋が走った。
冬の名残ではない。
新しい歪み。
ルカが、空を見上げる。
「また、止まる?」
「……いいえ」
ミレイは、はっきり言った。
「次は、
止まらせない」
懐中時計を、握る。
カチリ。
音は、まだ弱い。
それでも、確かに鳴っている。
溶けきらない冬は、
消えない傷ではない。
これから、手当てしていくものだ。
ミレイは、前を見た。
旅は、続く。
冬と一緒に。




