日ノ本一家結成
『新たなる汝らの主ベアトリクス・ハイランドが汝らに導きを与える。庇護無き者、庇護を求めし者に新たな庇護を与える。ただし、それは私ではない。ハイランド領において、汝らに新たな住む家と家族の庇護を与えし者である。汝、正しき道を望むならばその導きに従え。』
漁村インシュラスの代官より通達されたそのお触れは、その地にかつて無い震撼を与えた。
「一週間後に迎えの馬車が来るそうです。足りなければ馬車を追加しますので、行きたい方はどうぞご自由に」
「領民になれるのか?」
「家族の庇護だから、孤児向けじゃないのか?」
「……バニシュでも、いいのか?」
人々はざわめき、噂し、あるものは疑い、あるものは夢にすがった。
一週間後、人々を満載した馬車の数は五台にも上った。
――
「すげえ……領主の屋敷だ」
日が沈む頃、馬車はハイランド屋敷前に到着した。中を通らず正門を反れて、戦時の宿舎に使われる屋敷の離れへと向かった。
「…全部で50人ぐらいか、よく来たな。荷物は置いて中へ入れ。姉御と親父が待ってる」
明らかにすねに傷のある男衆5人が迎え、人々は建物内に向かった。誰もいない広々とした広間はすぐに熱気とざわめきで満ちた。
「……どうぞお控えなすって、はるばるここまでどうぞお越しくださいやした、皆さんどうぞお控えください」
人々を出迎えたのは、黒髪の鋭い眼光をもつ若い女だった。その貫禄ある口ぶりで、ながながと自分の出自と、ツクヨという名、そしてこれから会うカケルという親父殿の名を語った。
「……それでは親父殿、どうぞお入り下さい」
静まり返った人々は、悠々たる佇まいでやってきた男の姿に驚愕した。
恐ろしい形相、逞しい肉体、人を射殺すような目、そして異形のツノ……ヤマトでは鬼と呼ばれるその姿に、その場にいたほぼ全員が恐れおののいた。
その鬼は静かに、しかし洗練された動作で異国の装束をしゅるりとたくし上げ、上座に鎮座した。
「日ノ本一家、ヤマトカケルだ」
短い名乗り。ただその声は聞いたこともない旋律を伴って耳元にこだました。
「これからあんたらは、親父殿と盃を交わす。盃を交わせば親父殿が、この家に住む権利と暮らしの世話をしてくれる。ただし、盃を交わすのは次の約束を守れるものだけだ」
女は法度と呼ばれるこの家の規律文を掲げ、読み上げた。
一つ、善く生きよ、悪事を働くな。
一つ、仁義を貫け。約束を守れ。
一つ、恩には報いろ。金銭でなく心で示せ。
一つ、カタギに迷惑をかけるな。
一つ、罪には罰を受けよ。
一つ、必ず家に帰れ。
一つ、家族を守れ。
一つ、盃を親兄弟の血の契りとせよ。
「以上、これを法度として守るならば、親父殿の盃を配る」
人々は困惑していた。難しいことは言っていない。しかしわからなかった。
「仁義とは……なんでしょうか?」
まともな身なりをした男が尋ねた。
「いまは約束を守ることだと思えばいい。詳しくはあーしが教える」
「カタギって、なんですか?」
ローブに身を包んだ女が尋ねた。
「この土地で真っ当に生きてる人々のことだ」
「……守れなかったら、また追い出されるのでしょうか?」
ぼろぼろの身なりをした、老人が尋ねた。
「オレは誰も追い出さない。ただ罪に応じた罰を与える。最も重い罪を犯せば、首を切る」
その質問には、鬼が答えた。人々は恐れ、震えた。この国の法律すら超えた、絶望的な宣告だった。
バニシュが殺されても誰も気にしない。弔われることすらしない。ここでも結局バニシュなのだと。
「そんなの……体の良い牢獄じゃねえか! ……結局、俺達を殺すために集めたんだろう!」
荒くれた男が叫んだ、同調するように人々は不満の声を上げた。
バニシュにはよくある話だ。『住むところを世話してやる』と言われ、ついて行った先が野盗の巣窟、重労働の炭鉱、逃げ場のない漁船。そんな地獄を誰もが見てきた。
ここも同じだ。逃げようとすれば屋敷の騎士団に殺されるに違いない……人々がどんなに不平不満を叫んでも、鬼は何も答えなかった。
幼い娘は母の手を握り、目を潤ませていた。
やがて、黙したまま何も語らない鬼の眼光に怯え、人々は静かになった。
「……オレはお前たちに家族の庇護を与えるために呼んだ。嫌なら盃を受け取らずに帰れ」
静寂の中、一人の男が前に出た。
「あっしでも、家族にしてもらえるんですかい」
男は醜かった。イボだらけの顔、膿んだ傷口、失われた片腕の袖を垂らして、鬼に尋ねた。
「もちろんだ。オレの盃を受けるか?」
「……いただきやす」
鬼は差し出された盃に、清らかな水を注いだ。
「領主より賜った施しの水だ。もしお前が望むなら、オレの血もわけよう」
「……血を飲むと、あっしもそのような姿になるんですかい?」
「いや、体に力が満ちるだけだ。お前の病も和らぐかも知れない」
「……どうせ朽ちる身です、どうかその力の施しを」
「いいだろう……我、鬼人ヤマトカケルが汝に血の施しを授ける」
鬼は小刀で指先を傷つけ、その血を一滴、盃に落とした。
鬼が拳を握り、上等な白紙で拭うと、その傷は癒えて消えていた。……天使の奇跡ではない、悪魔の異能だ。男はその恐ろしさに震えだした。
「……い、いただきやす」
男はごくりと喉を鳴らし、勢いよく盃を飲み干した。鬼もまた盃を交わした。男は震えながらも、自分の中に満ちていく熱さを確かに感じていた。
「……これでオレとお前は家族だ。名を教えてくれ」
「ハンスと申しやす」
「ハンス、お前を家族に迎え入れられたことを嬉しく思う。親父でもカケルでも好きに呼んでくれ」
鬼はハンスを、家族のように深く、長く抱き締めた。
ハンスは、十数年ぶりの人の温もりにふれ、静かに嗚咽の声を上げた。
「まずは風呂だな……外の蒸し風呂に入り、旅の疲れを癒せ。その後は飯と寝床を用意してある」
ハンスは繰り返し感謝の意を示し、女に促されるまま部屋を出た。
「……さぁ、次は誰が盃を受ける?」
……人々から一人、また一人と盃を交わし……やがて全員がその盃を受けとった。
その日、日ノ本一家総勢57名は、ハイランド人口の一割を占める一大勢力となった。




