ミアズマの真実
「カケルさん、未熟な私にどうか本当のことを教えてください」
屋敷の庭でシスターミラに懇願されたオレは、やや困惑していた。いつか話すべきだとは思っていたが、やはり隠しきれるものではなかったか……。
「……わかりました。本当のことをお話いたします」
オレはターバンをとき、ツノをあらわにした。
「……?」
あれ、反応薄いな……? さすがにミラさんには引かれると思ってたんだが……。
「あ、そ……そのツノのことではなく……」
「違いました!? すいません、ていうかご存知だったんですか?」
「はい……サラサから聞いてますので……屋敷付近のものはだいたい知ってるかと……」
あーーーー! そういえば初日にサラサと会ったときツノ隠してないじゃん! 今までわざわざ隠してた意味なかったのかよ!?
「そ、そうでしたか……というと、何をお聞きしたいのでしょうか……」
「……ミアズマのことです。ツクヨさんがおっしゃったように、カケルさんも手を清めることの大切さをご存知だったのではないですか? ご領主様のお触れにも、食事の前に手を清めることとありました。あれもヤマトのお知恵なのでしょう?」
……そうか、ツクヨの件でミラさんも気付いてしまったのか。
「はい、そうです」
「……それならなぜ! なぜあの時は教えてくださらなかったのですか!?」
「あの時は事態が切迫してましたので、より重要度の高い部分に焦点をあてて説明しただけです」
「……だけど、それでは私が……私は、手が汚れたまま……」
「汚れてなんかいません」
「……え?」
ツクヨならきっとお為ごかしだと鼻で笑うだろう。それでもオレはミラの手をそっと握って言った。
「こんなにも人を思いやれる人の手が汚れているわけがない」
「カケルさん……」
「ミラさんが本当に知りたいことは、どうすればより多くの人を助けられるかではないのですか?」
「……」
「オレはその方法を知っています。ですがそれをこの国の人に説明するための言葉や技術を持ち合わせていないんです。ミラさんさえよければ、一緒に考えてもらえないでしょうか?」
「……はい、喜んで」
「ありがとうございます」
「カケルくん、屋敷の真ん前でどうどうと浮気かい?」
いつのまにか背後にツクヨがいた。
「ちが……」
「あの、カケルさんお手を……」
しまった、ミラさんの手を握ったままだった。
「いや、それよりツクヨも一緒に聞いてくれ。お前の知識と技術も必要だ」
「はん……?」
オレはこの場はゴリ押しで誤魔化すことにした。
――
オレはドリと一緒に屋敷で会議や研究をするための一室、黒板をおいた部屋に彼らを招いた。
「ドリ、オレは字がかけないから板書と絵を頼む」
「わかりました」
生徒はミラとツクヨの二人。
「ツクヨくん、机に足を乗せるのを止めなさい」
「寺子屋じゃあるめぇし細かいこと言うなよ」
「では今回はミアズマについて説明します」
「よろしくお願いします」
「まずミアズマはオレの国では『病原菌』と呼ばれている。ドリ、いまの聞き取れるか?」
ドリは首を降った。やはり概念がない。
「ではミアズマのまま説明しよう。ミアズマとは目に見えないほど小さな生き物だ」
ドリが板書を書き、それが終えたのを見計らって続ける。
「微生物、菌類、寄生虫、ウィルス……これは聞き取れなくても構わないが、それらミアズマの元となる小さな生き物は、空気、水、土、血液、虫や動植物、オレたち人間の体内のどこにでも存在する」
「どこにでも……」
「そのほとんどは毒素をもたない安全なものだし、毒素を持っていたとしても人の免疫機能がそれをやっつけてくれる」
「免疫機能?」
「体の自浄作用ってやつだぁね」
「うん、体内にミアズマのもとが増えると、その免疫機能がミアズマをやっつけるために暴れ始める。発熱から始まり、咳、くしゃみ、鼻水、嘔吐……これらは主に体がミアズマと闘うことで起こる症状だ」
「ミアズマが起こしてるわけではないと……?」
「ま、よくある風邪だわな」
「ミアズマが原因であることは変わりないが、全てミアズマを体内から追い出そうとする体の働きだ。なので病人の咳やくしゃみには追い出された大量のミアズマが含まれている。それが空気中にただようミアズマとなる」
「だから病人のいる部屋に新鮮な風を呼び込むのですね」
「そう、ミラさんは特にその飛沫に気をつけてください。口や鼻を布で守ることも大事です」
「……わかりました」
「さて、ミアズマと言っても風邪や一時の腹痛など大半は体に任せておけばいい。しかし中には人間に重篤な病をもたらすものがいる。それこそが真のミアズマと言っていいだろう。例えば……」
オレは今回起こった破傷風の他、飛沫感染するインフルエンザ、ネズミを媒介する黒死病、水を媒介する赤痢、蚊を媒介とするマラリアなど特に危険性の高い感染症の説明をはじめた。
「あの、カケルさん……ボクちょっとお話についていけません……」
「あ、すまん。飛ばしすぎたか」
ツクヨも口をぽかんと開けてついてこれてないし、ミラさんは怖かったのか半泣きで震えてる。まずい。
「よし、座学はここまで! 実習に移ろう!」
聞いててわからない授業ほどつまらないものはないだろう。オレは三人を連れて川にやってきた。
「先ず質問だ。皆が知ってる一番小さな生物はなんだ?」
「うーん、蚊かアリですかねぇ」
「ダニかシラミだろ」
「……それより小さな生き物はわかりません」
「なるほど、では各自このガラスのコップに水を汲んできてくれ。割ったら執事にどやされるから慎重にな」
「汲んできました」
「その中にもっと小さな生き物がいるはずだ。見つけられるか?」
プレパラートと顕微鏡がなくてもギリギリ見えるはずだ。
「おー、いるねぇ。エビの子みてぇのが」
「……ほんとですね、ピョンピョンはねてます」
「ボクはあまり目が良くないので粒にしかみえませんが……」
「いや、十分よくないか? オレもそれくらいしかわからないが……」
みんな相当視力がいいな。
「それはプランクトンと言う水中にいる生き物の赤ちゃんみたいなもんだ。成体もいるが、まぁ種類はどうでもいい」
「プランクトンですか……」
こうして実物を前にして名称を伝えれば翻訳が通じるんだよな。
「生水にはこうした目に見えないほど小さな生物やその卵が大量にいる。流れが止まって淀んだ水ならなおさらだ。だから生水を飲みすぎると腹を下すことがある」
「なるほど……」
「ようは小さすぎて見えないだけで、それと同じことが多かれ少なかれどこでも起きてる。それがミアズマの正体だ」
オレはコップの中に消石灰を入れてかき混ぜた。プランクトンは動かなくなった。
「小さな生物だから石灰をいれるとこうして死んでしまう。簡単に言えばこれは生物にとって毒だからだ」
「毒!?」
「そう、毒だ。人間にとっては大したことは無いが、小さな生き物には致命的なダメージを与える。煮沸、アルコール、石灰水、どれもやってることは小さな生物を殺す『殺菌』による『消毒』だ」
「教会が毒を嫌ってんのは知ってるが、そこまで過剰反応するかねぇ? 薬も過ぎれば毒となる。酒も塩も飲みすぎれば死ぬ毒じゃねえか」
「それは……」
「大事なのはこうやって消毒することで体に入るミアズマを極力減らすことだ。どうやったって見えないミアズマを完全に対処することは難しいが、少々のことなら体が守ってくれる。この免疫の力は人それぞれだが、若い人ほど強いのは治癒と一緒だ」
「なるほど……」
「これまでの対策に加えて、この消毒の概念を理解すればミラさんは十分だと思う。問題はその先……そこからはツクヨの領分だ」
「……ほう?」
「体内に入ったミアズマを殺す薬が欲しい。オレの知る限り最高の万能薬、『抗生物質』だ」
「……面白れぇ、聞かせてもらおうじゃねえか」




