漁村インシュラス
投稿順序を間違えたので修正しました 2026/1/2
東の地平線へ到達するころ、夕日が海岸線に沈みはじめていた。この世界に来た頃はこの違和感に全く気付かなかった。まぁ異世界なんだから太陽が西から登ろうが、月が二つあろうが気にはしないが。その事が物理的にどう作用するかもオレの知識ではよくわからない。
海岸はまるで切り裂かれたかのように切り立った崖のようであり、限られた狭い地域に密集した集落を形成していた。
セイレム領の漁村インシュラス
日々強い風と荒波に打ち付けられ、人が生活するにはあまりに厳しい土地。外部と交流するための市場と宿場は海岸部からやや離れた道沿いにあり、セイレム領の代官が一人で取り仕切っているという。
看板の取れた大きな宿に馬を留め、二階の三つの部屋に各自が泊まる。ベアトリクス侍女組、オレとドリュー組、フレイムウルフ組。
客は俺たちだけの静かな夕食。新鮮な海鮮を期待した俺の舌は酸味の強い目玉の大きな魚料理の味に思わず眉をしかめていた。
「酸っぱいな……」
なんだろう……腐ってるわけじゃないのにオレの舌が拒否反応を示している。
「そうね……私は川魚は好きだけど、海のはあまり好きじゃないわ」
ベアトリクスは魚の身をほじくりながら、できるだけ美味しい部分を探して少しずつ口に運ぶ。誰も好んでは食べないと聞いた時は好みの問題だと思っていたが、これは違う。
「初めて海まで来たが……海が長く世界の果てと信じられていたのは納得だな」
冒険者とはいえ育ちのいいブレイズは一口でギブアップして、干し肉をかじり始めていた。
「海はよそ者を嫌うと言いますから……きつい塩味に慣れた地元の方ならおいしいと感じる味付けなのかも知れません」
ドリューの感覚は流石だな。だが来客用の宿であればそもそも味付けしなければ良いはず。なによりこれは素材の味だ。
「だめだ、食えない。オレにも干し肉をくれ」
「ほら、口直しだ」
ブレイズから固く、獣臭く、塩味の強い干し肉を受け取り、それがきちんと食べ物の味であることに安心する。
「べべ様もいかがですか? 魚などしょせん肉の代用品、肉があれば無理に食べずとも良いでしょう」
「いえ……もう胸がいっぱいよ」
ベアトリクスはかちゃり、とカトラリーを置く。
……沈黙する一行、俺とブレイズの肉を喰む音だけが聞こえる。
「……何ていうか、違うな」
ぼそりと独りごちる。
「……なにがだ?」
「オレはヤマトの海育ちだ。だからこの海には違和感しかない。そりゃあ海は怖い、こんな切り立った岩礁地帯ならなおさらだ。でもこういう怖さじゃないだよ」
「ヤマトの話か。正直言えばあんな海を越えて来るなど信じがたいが……」
「しかしカケルさんは間違いなく外の常識をお持ちです。ヤマトの話、聞きたいです」
「……悪いが、いまはそんな気分にならないな。良い思い出に汚泥が混じりそうな、自分が知ってる日常がおぞましい何かに侵食されるような嫌な気分だ」
「……わかる、わかるぞ、カケル。それは俺たちがダンジョンに挑むときの感覚にとても近い。ある境界を越えた瞬間、もう帰れなくなるではないかと言い知れぬ悪寒がよぎるのだ。そして……無事ダンジョンから帰っても、あのおぞましい粘着性の化け物が背中にこびりついているのではないか? 寝ている間に這い寄り天井から降ってくるのではないか? という不安で眠れなくなる。これは俺だけではなく冒険者なら誰しも」
「ねーえー、その話もうやめて」
「すいません、ご婦人の前でダンジョンの話など」
「もういい、私先に寝るわ」
ベアトリクスはバンッと音を立てて席を立ち、ギシリギシリと鳴る階段を登り、二階への寝室へと登っていった。
……
「なんだろうな、このいろいろ違う感。オレはこんな海を知らない」
「冒険者の間では、ダンジョンや海は魔の領域と言われてる。誰しもが持つ感覚だ」
「……わからないから怖いんだと思います。ボクはそういうわからないことを調べることが好きだから怖いより好奇心が勝ちますが……」
「……まぁ、俺達もねるか」
三者うなづき、寝室へ向かった。その姿をじっと見つめる寡黙な店主の姿が、イヤに印象に残った。
――
「カケルのバカ」
「オレよりブレイズが……いや、わるかった」
怖い話で眠れなくなり、毛布お化けの姿で部屋に押し入ってきたのは我が主ベアトリクス・ハイランド。
「……じゃあボクはブレイズさんのところで寝ますね」
「ああ、悪いな。ベッド足りないのに」
「いえ、野営で慣れてますから」
ドリューが毛布を持って部屋を出ていき、ガチャリと扉が閉まる。
「……そっちがいい」
「お前それは……まぁいいや、ほら」
オレは細い寝台の端によけて辛うじてスペースを開けてやる。
「おじゃまします……」
「……なんでそこ座る」
わざわざ開けたスペースではなく、膝の上に座る主。
「この方がぬくいじゃない」
「まぁそれはそうだが……」
「寒くて眠れないの!」
震えてるのは寒さのせいだと言わんばかりだ。
「ほら、これでいいか?」
オレの毛布をかぶせるようにベアトリクスを両腕で包む。
「……うん」
「……愛称は何がいいんだ?」
「え……?」
「愛称で呼んでほしいんだろ?」
「んー……ヤマト式がいいな」
「ベア子」
「……それはなし」
「べっちゃん」
「なにそれ?」
ベアトリクスがクスクス笑う
「べーちゃん」
「その『ちゃん』ってなんなの? すごく変な音」
「オレにはお前がどう聞こえてるかわかんないんだよ。じゃあヤマト式は無しだ」
「えー、もっとないの?」
「しょうがねぇなぁ……」
ベアポン、くまポン、ベッチー、べべッチ、ビビ、ビーちゃん……思いつく限り並べ立てるも、ベアトリクスは笑うばかりで決まらない。
「もう主とかマスターとかマイロードでいいよ、従者なんだから」
「いやよそんなの、ね、ビーちゃんってもっかい言って?」
「ビーちゃん」
「やっぱりちゃんは無しで」
「ビー」
「もっと愛おしさを込めて」
なんだそりゃ
「……ビィ?」
「……もう一回」
「……ビィ」
「うん、それがいい」
「主が満足したようでなにより」
「もう、どうして近づいた距離が急に遠くなるのよ」
「なんでだろうな」
「ちゃんと言って」
「満足か?ビィ」
「うん」
「じゃあもう眠ろう。お休み、ビィ」
「おやすみなさい、カケル」
オレはベアトリクスを抱えたまま、ずっと窓から月を眺めていた。
「……こんな状態で眠れるわけないだろうが」
何かが起きそうで起きないやつ




