表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/23

EP 9

謎の美女客と、故郷の味

 ゴルド商会の襲撃から一夜明けた夜。

 『ビストロ・アオタ』は、奇妙なほど静かだった。

 昨夜の「雷の魔獣バイク」と「見えざる矢」の噂が広まったせいか、あるいは嵐の前の静けさか。

 ディナータイムだというのに、客足はまばらだ。

 ルナとキャルルは、昨夜の興奮と夜更かしが祟ったのか、店の隅のテーブルで突っ伏して寝息を立てている。

「……平和だな」

 青田優也は、カウンターの中でグラスを磨きながら独りごちた。

 経営者としては売上が欲しいところだが、料理人としては、たまには静かに仕込みに集中する時間も悪くない。

 カラン、コロン。

 ドアベルが軽やかな音を立てた。

 優也は条件反射で顔を上げる。

「いらっしゃいませ」

 入ってきたのは、一人の女性だった。

 年齢不詳。二十代半ばにも、三十代の色香ある女性にも見える。

 シンプルなローブを纏っているが、その生地が最上級の「天蚕糸シルク」であることは、優也の鑑定眼をもってすれば一目瞭然だった。

 そして何より、その美貌。

 店内の照明を吸い込むような、神秘的な輝きを帯びた瞳。

(……貴族か? いや、もっと上の雰囲気があるな)

 だが、その表情には隠しきれない「疲労」が滲んでいた。

 彼女は重たげな溜め息をつきながら、カウンターの端の席に腰を下ろした。

「……いらっしゃいませ。お食事でしょうか?」

「ええ。……いえ、まずは『お酒』を頂戴。喉が渇いて死にそうなの」

「かしこまりました。どのようなものを?」

 女性は肘をつき、気だるげに言った。

「キンキンに冷えたやつ。苦くて、喉越しが良くて、一日の嫌な仕事(管理業務)を全部洗い流してくれるような……そんな魔法の薬みたいなのがいいわ」

 優也は口元をわずかに緩めた。

 その注文オーダー、三つ星レストランではあまり聞かないが、日本のサラリーマンにとっては「聖句」のような注文だ。

「承知しました。……とっておきがございます」

 優也はカウンターの下で電子ボードを操作した。

 冷蔵庫から取り出したのは、薄氷が張る寸前まで冷やした薄いガラスのタンブラー。

 そして、銀色に輝く350ml缶――『日本製ラガービール』。

 プシュッ!

 静かな店内に、炭酸ガスが弾ける小気味よい音が響いた。

 女性がピクリと肩を震わせる。

 優也は手際よくグラスに注ぐ。黄金色の液体と、クリーミーな泡が七対三の黄金比を描く。

「どうぞ。地球……私の故郷の『エール』です」

 女性はグラスを手に取った。

 その冷たさに驚き、そして一気に煽る。

 ゴク、ゴク、ゴク……プハァッ!

「……ッ! 美味しい……!」

 彼女の瞳から、疲労の色が一瞬で消え去った。

 キレのある苦味。爽快な喉越し。そして鼻に抜ける麦の香り。

 常温のエールしか存在しないこの世界において、この温度管理されたラガービールは、まさに神の飲み物だ。

「生き返るわ……。あぁ、本当に……」

「お口に合ったようで。こちらは『お通し(アミューズ)』です」

 優也が小皿で出したのは、三日月型のオレンジ色のあられと、ピーナッツ。

 ――『柿の種』だ。

 通販で業務用パックを仕入れたものである。

 女性はそれを一粒摘み、口に入れた。

 カリッ。

 醤油の香ばしさと、ピリッとした唐辛子の辛味。

「……!」

 その瞬間、彼女の動きが止まった。

 彼女は、じっとその柿の種を見つめ、震える声で呟いた。

「これ……『カキノタネ』よね?」

「おや、ご存知でしたか」

「知ってるも何も……私が昔、あっちの世界に行った時に……」

 彼女はハッとして口をつぐんだ。そして、どこか懐かしむような、慈愛に満ちた目で優也を見た。

「貴方、転移者ね? それも、かなり面白いスキルを持った」

「……料理人には、独自の仕入れルートがあるものです。詮索は無粋ですよ、お客様」

「ふふ、そうね。無粋だったわ。……なら、料理人さん。このお酒に合う、最高に美味しい肴を作ってくれる?」

 試すような視線。

 優也は、職人としての闘志に火がついたのを感じた。

 ビールと柿の種だけではない。自分の「技術」で、この謎の美女を唸らせなければならない。

「かしこまりました。……少し、煙の演出が入りますが」

 優也が取り出したのは、鶏肉のような魔物『コカトリス』の腿肉だ。

 中にレバーペーストとピスタチオを詰め、円筒状に巻いて低温調理してある『バロティーヌ』。

 これを切り分け、皿に盛る。

 そして、ガラスのドーム(覆い)を被せた。

 ここからが魔法――ではなく、科学ガジェットの出番だ。

 『ネット通販』で購入した『ポータブル燻製器スモーキングガン』。

 チューブをドームの中に差し込み、桜のチップに火をつけてスイッチを入れる。

 瞬く間にドーム内が白い煙で満たされた。

「……手品?」

「香り付けです。3、2、1……」

 優也はドームを外した。

 ふわぁっ、と広がる白煙と共に、桜チップの上品で芳しい燻製の香りが爆発的に広がる。

「『コカトリスのバロティーヌ ~瞬間燻製と粒マスタードのソース~』です」

 女性は目を輝かせ、フォークを伸ばした。

 燻製の香りを纏ったしっとりとした肉。濃厚なレバーのコク。ピスタチオの食感。

 そして、通販の「粒マスタード」の酸味が全体を引き締める。

「……んんっ! 卑怯ね、これは」

 彼女は頬を染め、ビールを追いかけるように飲んだ。

「燻製の香りが、この苦いお酒と合いすぎるわ。……ああ、もう。三つの勢力のバランスとか、封印の綻びとか、どうでもよくなってきちゃった」

「お仕事、大変そうですね。中間管理職ですか?」

「ええ、まあね。部下デュークとフェンリルは働かないし、上司(自分)は私だけだし……本当に、誰も手伝ってくれないんだから」

 愚痴りながらも、彼女のフォークは止まらない。

 優也は、彼女のグラスが空になる絶妙なタイミングで、二本目の缶を開けた。

「サービスです。愚痴なら聞きますよ。カウンター越しでよければ」

「……貴方、いい男ね。名前は?」

「青田優也です」

「ユーヤね。覚えておくわ。私は……ルチアナよ」

 ルチアナ。

 この世界の創造神と同じ名だ。

 だが、優也は「キラキラネームかな?」程度にしか思わず、軽く会釈した。

「ではルチアナ様。……お会計は、しっかり頂きますよ」

「ふふ、もちろんよ。ツケにはしないわ」

 ルチアナは満足げに笑い、カウンターに白金貨(100万円相当)を一枚、コトリと置いた。

「お釣りはいらないわ。……また来るから、その『地球の味』、切らさないでね?」

 彼女が席を立ち、出口へ向かおうとした時だった。

 店の隅で寝ていたルナが、ふあぁ、と欠伸をして目を覚ました。

「んぅ……いい匂い……燻製ですかぁ……?」

 ルナは寝ぼけ眼で、帰ろうとする客の背中を見た。

 そして、その姿を捉えた瞬間。

 エルフとしての本能、いや、世界樹の巫女としての魂が、その「神気」を感知してしまった。

「え……あ、あれ? その後姿……神々しいオーラ……」

 ルナの目が点になり、次に皿のように丸くなり、最後に絶叫に変わった。

「る、ルチアナ様ぁぁぁぁぁッ!!??」

「――ッ!」

 ルチアナが振り返り、人差し指を口元に当てた。

 『シッ』。

 たったそれだけの動作で、ルナの声帯が神の権能により強制ミュートされる。

「ふがッ!? んぐぐぐぐ!?」

「(……騒いだら、世界樹ごと枯らすわよ?)」

 直接脳内に響く念話に、ルナは白目を剥いてその場に気絶した。

「……どうしました、ルナ?」

「あら、酔っ払って転んだみたいね。介抱してあげて」

 ルチアナは悪戯っぽくウィンクすると、夜の闇へと消えていった。

 カウンターには、飲み干された空き缶と、白金貨一枚。

 そして、気絶した次期女王候補だけが残された。

 優也は首を傾げながら、白金貨を手に取った。

「……チップにしては多すぎるな。ま、あのお客様ルチアナはまた来るだろう」

 こうして、世界最強の常連客が誕生した。

 だが優也はまだ知らない。

 この店の噂を聞きつけた、もう一人の「頂点」――魔王が、既に動き出していることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ