EP 7
襲撃! ポーン・ルーク形態
深夜2時。
『ビストロ・アオタ』の周囲は、不気味なほどの静寂に包まれていた。
月の光すら届かない厚い雲の下、数十の黒い影が、音もなく店を取り囲んでいく。
ゴルド商会が雇った闇ギルドの構成員たちだ。
彼らの手には、油を染み込ませた松明と、抜き身の刃物が握られている。
目的は単純。店の焼き討ちと、店主の拉致。そして「スパイスの入手ルート」の白状だ。
「……へっ、チョロいもんだ。護衛も置いてねぇとはな」
リーダー格の男が、屋根を見上げて嘲笑った。
田舎のボロ屋を改装しただけの店舗。魔法結界の気配もない。
火矢を一本放り込めば、それで終わりだ。
「やれ」
リーダーの合図と共に、数人の部下が松明を掲げ、店に向かって投げ込もうとした。
――その瞬間だった。
『――閉店後のご来店は、お断りしております』
地面の下から、重低音のような声が響いた。
ズズズズズズッ!!!
店の周囲の地面が爆発したかのように隆起した。
飛び出したのは、極太の「木の根」と「蔦」の防壁。
それらは瞬く間に店の外壁を覆い尽くし、絡み合い、硬質化していく。
「な、なんだコリャ!?」
「植物が……動いてやがる!?」
闇ギルドの連中が驚愕する目の前で、店は巨大な『城塞』へと変貌を遂げていた。
執事ネギオの『ルーク形態・絶対防御モード』だ。
投げ込まれた松明は、湿気を帯びた樹皮に弾かれ、虚しく地面に転がる。
「魔法使い! 焼き払え!」
リーダーが叫ぶ。後方に控えていた魔術師が杖を振るい、火球を放つ。
ドォォン!
爆炎が防壁を直撃するが、煙が晴れた後、そこには焦げ跡ひとつ残っていなかった。
『……痒いですね。肥料にもなりません』
壁の一部が顔のように歪み、ネギオが嘲笑う。世界樹の眷属であるポーンにとって、下級魔法ごときでは傷一つつかない。
「くそっ、なんだこの化け物は! 総員、壁を壊せ!」
野盗たちが斧や剣で壁に斬りかかる。
その騒乱の中、店の中では別の騒動が起きていた。
「うぅぅぅ! ネギオばっかりズルいです! 私もやります!」
「待てルナ! ステイ!」
窓から杖を突き出そうとするルナを、優也が羽交い締めにして止めていた。
「『インフェルノ・バースト(極炎地獄)』で、あの汚物たちを消毒します!」
「店ごと蒸発するだろうが! お前の火力はオーバーキルだ! 修繕費を考えろ!」
「じゃあどうするんですかぁ!」
優也はルナをキャルルに預け(キャルルはキャルルで「蹴らせてー!」と暴れている)、天井裏へと続く梯子を登った。
「俺がやる。……掃除の時間だ」
優也は屋根の上に通じる天窓を静かに開け、夜風の中に身を乗り出した。
その手には、異世界には存在しない無機質なフォルムの弓――『コンパウンドボウ』が握られている。
『ネット通販』で購入した、狩猟用のハイエンドモデル。
滑車の原理を利用することで、わずかな力で引けるにも関わらず、放たれる矢の初速と貫通力は、強弓を引く剛腕の騎士すら凌駕する。
「……ターゲット、確認」
優也は左目に装着した『暗視単眼鏡』のスイッチを入れた。
視界が緑色に染まり、闇に紛れている敵の配置が昼間のように浮かび上がる。
後方で指示を出しているリーダー格の男。距離、約80メートル。
「風読み……修正なし」
優也は矢をつがえ、弦を引き絞った。
高校時代の弓道部での経験。流鏑馬で培った、揺れる馬上でも的を外さない体幹。
そして、現代工学が生み出したカーボン製の矢と、精密な照準器。
呼吸を止める。
心拍数を下げる。
厨房で、数ミリ単位の飾り付けを行う時と同じ集中力。
――リリース。
ヒュッ。
風を切る音さえほとんどしない。
コンパウンドボウから放たれた矢は、音速に近い速度で闇を切り裂いた。
「オラァ! さっさと壊し……がッ!?」
リーダーの男が、短い悲鳴を上げて吹き飛んだ。
その肩を、見えない一撃が貫き、背後の木に縫い止めたのだ。
「な、なんだ!?」
「どこから撃った!?」
部下たちがパニックになる。
弓矢? この暗闇で? しかも、発射音が聞こえなかった。
ヒュッ。ドスッ!
次は、魔法を使おうとしていた魔術師の杖が弾き飛ばされた。手首を正確に射抜かれている。
「ひ、ひぃぃぃ! 見えてる! 完全にこっちが見えてるぞ!」
「あ、あの屋根の上だ! 悪魔がいる!」
暗視スコープ越しに、優也は冷静に次弾を装填する。
殺しはしない。
だが、戦闘不能部位(急所を外した四肢)を正確に無力化していく。
「……一発2,000円の矢だ。無駄にはしない」
優也の冷徹な狙撃と、ネギオの鉄壁の防御。
攻めあぐね、指揮官を失った野盗集団の士気が崩壊するのに、時間はかからなかった。
「に、逃げろぉぉ!」
「こんな化け物屋敷、聞いてねぇぞ!」
蜘蛛の子を散らすように、野盗たちが森へと逃げ込んでいく。
それを確認すると、優也は弓を下ろし、通信用のインカム(に見せかけたただの独り言)のように呟いた。
「ネギオ、防御解除。……キャルル、出番だ」
「待ってましたぁぁぁ!!」
店の中から、歓喜の叫びと共に白い弾丸が飛び出した。
キャルルだ。
彼女は逃げる野盗の背中を見て、満面の笑みを浮かべていた。
「優也様、全員ボコボコにしていいの!?」
「いや、一人残らず捕まえる必要はない。……だが」
優也は屋根から飛び降り、虚空から『オフロードバイク』を召喚した。
キーを回し、セルを回す。
ドルンッ!! という爆音が、静寂を破った。
「逃がすと、また来るからな。……二度とこの店に関わらないよう、恐怖を植え付けに行くぞ」
優也はヘルメットを被り、キャルルに目配せした。
「後ろに乗れ。――『追撃戦』だ」




