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EP 3

そのエルフ、移動する経済破綻につき

 乾いた破裂音が響き、巨大な猪型の魔物――ワイルドボアが、物理法則を無視して横に吹っ飛んだ。

 数回転して地面に激突し、ピクリとも動かなくなる。

「ふんッ! チョロいね!」

 チャイナドレスのスリットから覗く健康的な太ももをパンパンと払い、キャルルが得意げに振り返る。

 その手には、愛用するミスリル製のダブルトンファーが握られていた。

「見事ですね、キャルル。無傷かつ、素材(肉と毛皮)を傷つけない打撃。解体手間が省けて助かります」

「えへへ、でしょー! ……で、ご褒美は?」

 尻尾をブンブン振って期待する彼女に、青田優也は『ネット通販』で購入した『スティック人参(ディップソース付き)』を手渡した。

 原価50円。対して、ワイルドボアの素材はギルドで売れば銀貨3枚(3000円)にはなる。

 雇用契約(食料現物支給)に基づく、非常に健全かつ高収益なビジネスだ。

「さて、次の街まであと少しですが……ん?」

 優也は足を止めた。

 街道沿いの大きな木の下で、誰かがうずくまっている。

 豪奢なローブを纏い、透き通るような金色の髪をした少女だ。

 彼女は膝を抱え、シクシクと泣いていた。

「うぅ……ここは何処ですかぁ……お家の方角がわかりません……」

 その長い耳が、力なく垂れ下がっている。エルフだ。

 それも、身につけている装飾品を見る限り、ただのエルフではない。王族か、それに準ずる高貴な身分だろう。

「……面倒事の予感がしますが、放置して死なれても寝覚めが悪いですね」

 優也はため息をつきつつ、彼女に近づいた。

「どうしました?」

「はひッ!?」

 少女はビクッと震えて顔を上げた。

 涙で濡れた瞳は翡翠色。整った顔立ちだが、どこか抜けているというか、守ってあげたくなるような頼りなさが漂っている。

「あ、あの……私、ちょっとお散歩に出たら、いつの間にか景色が変わっていて……」

「迷子ですね」

「違います! 世界樹の導きが、今日はちょっと乱れているだけで……!」

「それを迷子と言うんです」

 優也は呆れつつ、電子ボードを操作して『ペットボトルの緑茶』と『高級アンパン』を取り出し、彼女に差し出した。

「とりあえず、落ち着きなさい。糖分をとれば頭も働くでしょう」

「あ……ありがとうごじゃいます……」

 少女は恐縮しながらアンパンを受け取り、一口かじった。

 瞬間、その表情がパァッと輝く。

「おいひぃ! なんですかこのフワフワのパンと、中に入っている甘い黒い宝石は!?」

「あんこです。で、貴女の名前は?」

「はっ! 申し遅れました! 私、ルナ・シンフォニアと申します!」

 ルナと名乗ったエルフは、口の端にあんこを付けたまま立ち上がり、優雅(?)に一礼した。

「ご親切な旅の方、この御礼は必ずいたします! でも、今は手持ちの現金の持ち合わせがなく……そうだ!」

 彼女は何かを思いついたように手をポンと叩くと、道端に落ちていた手頃な「石ころ」を拾い上げた。

「見ていてくださいね。エイッ☆」

 ルナが杖を振ると、カッと眩しい光が溢れた。

 光が収まると、彼女の手には無骨な石ころではなく、太陽の光を反射して輝く『純金の塊』が握られていた。

「錬金術です! これなら、あの美味しいパンの代金になりますよね? どうぞ!」

 ルナは満面の笑みで、その金塊を優也に差し出した。

 横で見ていたキャルルが「すっごーい! キラキラだー!」とはしゃぐ。

 普通の冒険者なら、狂喜乱舞して受け取る場面だ。

 だが。

 青田優也の表情は、氷点下まで凍りついていた。

「……質問だ、ルナ」

「は、はい?」

「その錬金術の効果時間は? 永久か?」

「いえ? 私の魔力で構造を変えているだけなので、だいたい3日経てば元の石ころに戻りますけど……?」

 彼女はコテと首を傾げた。

 その瞬間、優也の手が伸び、ルナの頬をムニッとつねり上げた。

「ふあひっ!?」

「馬鹿野郎!! それは『通貨偽造』および『詐欺行為』だ!!」

 優也の怒号が街道に響いた。

「い、いたいですぅ! なんで怒るんですかぁ!」

「いいか! 3日で戻る金を市場に流してみろ! 受け取った店主は3日後に破産だ! 信用経済の崩壊だぞ!? お前は善意でインフレーションと信用恐慌を引き起こす気か!!」

 簿記1級保有者として、そして商売人として、最も許しがたい行為。

 それは贋金の流通だ。

 一時的な利益などどうでもいい。経済圏そのものを汚染するその行為に、優也の雷が落ちた。

「ご、ごめんなさぁぁい! 私、ただお礼がしたかっただけでぇぇ……」

「石に戻せ! 今すぐだ! 今後二度と俺の前でその魔法を使うな!」

 優也がルナを説教していると、不意に足元の地面が盛り上がった。

 ズズズ、と植物の根が絡み合い、人の形を成していく。

 現れたのは、燕尾服を着たようなシルエットを持つ、植物人間ポーンだった。

『――ほう。我がポンコツの暴走を、力ではなく論理で止めるとは』

 そのポーンは、恭しく、しかしどこか慇懃無礼な態度で優也に一礼した。

『初めまして、人間の方。私はこの駄エルフ……失礼、ルナ様の執事を務めております、ネギオと申します』

「ネギオ!? どこ行ってたのよぉ!」

『貴女様があらぬ方向へ全力疾走するからでしょう。探す身にもなってください』

 ネギオと呼ばれた執事は、呆れ声でルナを一蹴すると、興味深そうに優也を見た。

『普段なら、金塊を渡せば愚かな人間は喜んで受け取り、後で破滅するものですが……貴方は受け取らなかった。それどころか、経済への影響を即座に理解し、激怒した』

「……当たり前のことだ。商売を舐めるな」

『素晴らしい。このネギオ、感動いたしました』

 ネギオは優也の前に歩み寄ると、ガシッとその手を握った。

『どうでしょう旦那様。この行き場のない歩く災害(ルナ様)を、貴方の管理下に置いてはいただけませんか? 私もポーンとして、微力ながら労働力を提供いたしますので』

「えっ、ネギオ!? 私、売られた!?」

「……断る。と言いたいところだが」

 優也は素早く計算した。

 ルナの錬金術は論外だが、この執事ポーンからは「有能」な気配がする。さらに、エルフの魔法力は土木工事や火力として有用だ。

 管理さえ完璧に行えば、黒字化できる可能性はある。

「……3ヶ月の試用期間だ。もし赤字を出したら、即刻解雇するぞ」

『御意に。さあルナ様、旦那様の荷物をお持ちしなさい。働かざる者食うべからずです』

「ひどーい! 私、次期女王候補なのにぃぃ!」

 こうして、優也のパーティに「方向音痴のエルフ」と「毒舌な植物執事」が加わった。

 帳簿上のリスク管理項目が、一気に10ページほど増えた瞬間だった。

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