EP 23
白き聖都と、味気ない食事
峠を越えた先に現れたのは、息を呑むほど美しい、純白の都だった。
聖都サンクチュアリ。
世界樹を信仰する聖教会の総本山であり、世界で最も神聖とされる場所。
高い城壁も、立ち並ぶ尖塔も、全てが白い石で作られ、太陽の光を受けて輝いている。
「わぁ……! キラキラしてて綺麗ですねぇ!」
「真っ白だねー! お城みたい!」
ルナとキャルルが歓声を上げる。
だが、ハンドルを握るネギオと、助手席の青田優也の反応は冷ややかだった。
「……綺麗すぎますね。生活感がまるでありません」
「ああ。ゴミ一つ落ちていないが、活気もない」
優也の目は、街の美観よりも、そこを行き交う人々の表情に向けられていた。
誰もが伏し目がちに歩き、私語を慎み、色のない質素な服を着ている。
まるで、街全体が巨大な修道院のようだ。
優也たちは、ルーベンスから貰った『魔界の通商許可証(偽造身分証としても機能する)』を使い、検問をパスして入国した。
ただし、目立つキッチンカーは郊外の森に隠し(ネギオが枝葉で擬装した)、徒歩で街へ入った。
「まずは市場調査だ。……現地の食事をしてみよう」
優也たちは、大通り沿いにある一軒の食堂に入った。
***
出された料理を見て、ルナとキャルルが絶句した。
「……これ、レンガですかぁ?」
「優也様、このスープ……お湯?」
テーブルに置かれたのは、鈍器のように硬い黒パンと、具がほとんど入っていない薄いスープ。
そして、申し訳程度の塩漬け野菜。
周りの客たちは、それを黙々と、味わう素振りもなく胃に流し込んでいる。
「いただきましょう」
優也は黒パンを手に取り、スープに浸してかじった。
……味がない。
パンは酸味が強く、パサパサ。スープはただ野菜屑を煮出しただけで、塩気すら薄い。
出汁という概念が存在しない味だ。
「うぅ……不味いですぅ……。ルミナスの囚人食の方がマシですよぉ……」
「お肉がない……。こんなの力が出ないよぉ……」
二人が涙目になる中、優也は冷静に分析していた。
(食材が悪いわけじゃない。市場には新鮮な野菜も魚も並んでいた。……原因は『教義』か)
聖教会の教え――『清貧こそ美徳』。
食事は生命維持のための摂取であり、快楽であってはならない。
過度な味付けや、贅沢な食材の使用は「罪」とみなされる。
それが、この街の食文化を壊滅させていた。
「……勝ったな」
不味いスープを飲み干し、優也はナプキンで口を拭いながらニヤリと笑った。
「えっ? 何にですか?」
「競合がいない、ということだよ」
優也の目が、獲物を狙う肉食獣のように鋭く光る。
「人間は、禁じられるほど欲しくなる生き物だ。これだけの人口がいて、全員が『美味しいもの』に飢えている。……ここは我々にとって、誰にも邪魔されない黄金の漁場だ」
抑圧された欲望。それは最大のビジネスチャンスだ。
優也は席を立ち、代金(驚くほど安かった)を置いた。
「行くぞ。……表通りで商売はできない。この街の裏側に、我々の城を作る」
***
優也が選んだ物件は、聖都の裏路地、かつて異端とされた小宗派が使っていたという「廃教会」だった。
半地下にあり、入り口は目立たないが、中は石造りで堅牢。厨房スペースとして使える小部屋もある。
「ここなら、匂いが外に漏れにくい。……ネギオ、リフォームだ」
『御意。……清掃と、厨房機器の搬入を行います』
ネギオが触手を振るうと、埃まみれだった床が一瞬で磨き上げられ、蜘蛛の巣が消えた。
優也は『ネット通販』を開き、必要な機材を次々と召喚する。
今回は、ラーメン屋ではない。
無骨な寸胴鍋ではなく、大理石の作業台と、最新鋭のオーブン。
そして、ショーケース代わりのアンティークな棚。
「コンセプトは『会員制・隠れ家パティスリー』だ」
優也は、白いコックコートを着替え、黒いベストとソムリエエプロンを締めた。
シックで、少し妖艶な雰囲気の「夜の菓子職人」。
「ルナ、キャルル。お前たちも着替えろ」
渡されたのは、聖都の修道服をアレンジしたような、しかしフリルとレースをあしらったメイド服。清楚だが、どこか背徳感を感じさせるデザインだ。
「わぁ、可愛い! でも、私たち指名手配中ですよ?」
「だからこその『隠れ家』だ。客は口コミで選ぶ。……ターゲットは、ストレスを溜め込んだ聖職者たちだ」
準備は整った。
薄暗い廃教会の地下に、甘いバニラと焦がしバターの香りが漂い始める。
それは、禁欲の都に放たれた、抗いがたい誘惑の毒。
「開店準備、完了。……さあ、聖都の信仰心を、砂糖とクリームで塗り替えてやろう」
優也がオーブンの扉を開ける。
焼き上がったのは、黄金色に輝く何層ものパイ生地。
聖都攻略の第一手、『苺のミルフィーユ』の完成だ。




