EP 22
通せんぼする竜王
聖都サンクチュアリへの道中は、険しい山岳地帯だった。
だが、大型キッチンカー『アオタ号』は、ネギオの巧みなハンドル捌きと、強化されたサスペンションで快適に峠道を登っていく。
「旦那様。……前方に障害物あり。これは……岩ではありませんね」
運転席のネギオがブレーキを踏んだ。
プシューッ、という音と共に、キッチンカーが停止する。
「なんだ? 野党か? それとも聖騎士団の検問か?」
青田優也が助手席から身を乗り出すと、そこには信じがたい光景が広がっていた。
峠の道を完全に塞ぐように鎮座する、巨大な木造建築物。
いや、よく見ればそれは『屋台』だった。
ただし、柱は樹齢数千年の巨木(ご神木クラス)を丸ごと使い、屋根には黄金の装飾が施された、デコトラも真っ青の超巨大屋台だ。
その暖簾には、下手くそな文字でこう書かれていた。
『元祖・竜王軒』。
「……嫌な予感がするな」
優也が呟いた瞬間、屋台の中からドシドシと足音が響き、一人の男が姿を現した。
白髪交じりのオールバックに、整えられた髭。
高級なイタリア製スーツ(に見える魔界のブランド服)の上に、「ねじり鉢巻」と「前掛け」をつけた、眼光鋭いイケオジだ。
「ぬっ? その銀色の箱……まさか、ルチアナが言っていた『アオタのキッチンカー』か?」
男は優也たちを見つけると、ニヤリと笑い、腕組みをして立ちはだかった。
「我は世界の調停者にして、黄金の竜王デューク! ……そして、現在は**『究極のラーメン道』**を探求する者である!」
声がデカい。
ただ喋っただけで、周囲の木の葉がビリビリと震える。
「あわわわ! りゅ、竜王様!? なんでこんな所でラーメン屋さんを!?」
後部座席から顔を出したルナが悲鳴を上げる。
デュークは鼻を鳴らした。
「ふん。ルチアナから『アオタの豚骨ラーメン』とやらを差し入れられてな。悪くはなかったが……我ならば、もっと至高の一杯を作れると確信したのだ!」
デュークは屋台の寸胴鍋(金塊を溶接して作ったもの)を指差した。
「見よ! アースドラゴンの骨とオリハルコンを煮込んだ『黄金スープ』! 麺は魔力で練り上げた『極太麺』! ……だが、何かが足りぬ。貴様、その理由を答えよ。答えられねば、ここを通さん!」
優也は車を降り、デュークの屋台に近づいた。
鍋の中を覗き込む。
……素材は最高級だ。伝説級のドラゴンの骨から出た出汁は、黄金色に輝いている。
だが。
「……竜王様。火加減はどうしていますか?」
「火? そんなもの、我のブレスに決まっているだろう! 『黄金の吐息』で一気に炙る! 火力こそ正義だ!」
「それが原因です」
優也は即答した。
「スープは蒸発し、具材は炭化し、麺は表面だけ焦げて中は生煮えだ。……貴方のラーメンは料理じゃない。ただの『高級素材の焼却処分』です」
「な、なにぃ……ッ!?」
デュークが絶句する。
図星だった。彼のラーメンは常に「焦げ臭い」か「生っぽい」かの二択だったのだ。
「火力ごり押しでは繊細な旨味は出せません。……いいでしょう。通してもらう代わりに、『火加減と素材の調和』というものを教えて差し上げます」
優也はキッチンカーに戻り、冷蔵庫を開けた。
取り出したのは、ラーメンの具材ではない。
フレンチのシェフとして、素材の力だけで相手を黙らせる「王道」の食材だ。
極厚の牛フィレ肉。
フォアグラの塊。
そして、黒いダイヤモンド――トリュフ。
「見ていてください。これが三つ星の『火入れ』です」
優也はフライパンを熱した。
強火ではない。中火だ。
牛フィレ肉を乗せる。ジューッという心地よい音。
表面に美しい焼き色(メイラード反応)がついたら、すぐに弱火にし、バターを回しかけながら(アロゼ)、じっくりと中心へ熱を伝える。
「ぬぅ……。そんな弱々しい火で、本当に焼けるのか?」
「焼くのではありません。『温める』のです」
肉を取り出し、休ませている間に、今度はフォアグラをソテーする。
表面はカリッと、中はトロリと。
最後に、肉汁の残ったフライパンにマデイラ酒と刻んだトリュフを投入し、煮詰めて『ペリグーソース』を作る。
香りが爆発した。
芳醇なトリュフの香りと、焦がしバター、そして甘美なマデイラ酒の香り。
「む……!? なんだこの香りは……!」
デュークの鼻がヒクヒクと動く。
優也は皿の上に、ソテーしたフィレ肉を置き、その上にフォアグラを重ね、最後にソースとスライスしたトリュフを散らした。
「『ロッシーニ風ステーキ ~トリュフとフォアグラの協奏曲~』です」
音楽家ロッシーニが愛した、フレンチの古典にして至高の組み合わせ。
優也はナイフとフォークを渡した。
「どうぞ」
「……ふん。見た目は上品だが、我の舌を満足させられるかな?」
デュークは疑わしげにナイフを入れた。
――スッ。
抵抗がない。まるで豆腐のように、肉とフォアグラが切れた。
「!?」
一切れを口に運ぶ。
その瞬間、竜王の目が見開かれ、金色の瞳孔が収縮した。
噛む必要すらない。
赤身肉の繊細な旨味と、フォアグラの濃厚な脂が口の中で溶け合い、トリュフの香りが鼻腔を突き抜けて脳髄を揺らす。
強火で焼き尽くしていたら絶対に出せない、官能的なまでの舌触り。
「……んんッ!! う、美味いッ!!」
「火加減とは、素材を生かすためのものです。殺すためのものではありません」
「この肉……消えていくぞ!? 我の知っている肉は、ゴムのように硬いものだったが……これが『料理』なのか!?」
デュークは猛烈な勢いで平らげた。
皿に残ったソースまで、パンではなく指ですくって舐めるほどに。
「完敗だ……。認めよう、人間。貴様の腕は我を凌駕している」
デュークは満足げに溜息をつき、そしてハッとした顔をした。
「そうか、分かったぞ!」
「お、分かっていただけましたか? 火加減の重要性が」
「うむ! 我のラーメンに足りなかったのは……『フォアグラ』だったのだな!!」
「……は?」
「よし、次は麺の上にこの『フォアグラ』とやらを山盛りにして、ブレスで焼いてみるぞ! 素晴らしいヒントを感謝する!」
デュークはガハハと笑い、巨大な屋台を軽々と持ち上げて道の端に寄せた。
「通れ、アオタよ! 聖都での商売、精々励むがよい!」
……伝わっていない。
優也は深いため息をついたが、まあ道が開いたなら良しとした。
「……行こう、ネギオ」
『へい。……あの方、いつか素材に殺されそうですな』
キッチンカーが再び動き出す。
背後では、竜王が「フォアグラ! フォアグラを持ってこい竜人ども!」と叫ぶ声が響いていた。
こうして最大の障害(物理)を越え、優也たちはいよいよ白亜の宗教都市――聖都サンクチュアリへと足を踏み入れる。




