EP 21
魔公爵からのリーク情報
『アオタ商会・ルミナス支店』の朝は、相変わらず忙しない。
1階のスーパーマーケットでは、元ゴルド商会の従業員たちが「いらっしゃいませ!」と声を張り上げ、キャルルが在庫の段ボールを軽々と運んでいる。
だが、2階の支店長室(兼VIPルーム)だけは、紫煙の漂う静寂に包まれていた。
「……ふぅ。やはり、君の淹れる珈琲は別格だ」
革張りのソファに深く腰掛けた男が、陶器のカップを置き、満足げに息を吐いた。
仕立ての良い漆黒のスーツに、知的な銀縁眼鏡。
片手には魔界の文字で書かれた『魔界経済新聞』、もう片手には優也が渡した地球の紙巻きタバコ(メンソール)が燻っている。
ルーベンス。
魔王軍・参謀総長にして、穏健派の筆頭である魔公爵だ。
「お気に召して何よりです。……豆は深煎りの『マンデリン』。ネルドリップでじっくり落としました」
青田優也は、カウンター越しに自分用のカップを磨きながら応じた。
「それに、この『タバコ』という嗜好品。……素晴らしい。肺に染み渡る清涼感が、部下のミスで荒んだ神経を鎮めてくれる」
「地球のビジネスマンの必需品ですからね。……で? 今日はただのモーニング珈琲を飲みに来たわけではないでしょう?」
優也の指摘に、ルーベンスは眼鏡の位置を直し、新聞を畳んだ。
その瞳から、ふと柔和な色が消え、冷徹な為政者の光が宿る。
「……察しが良いな。単刀直入に言おう。『聖教会』が動いた」
「聖教会?」
「ああ。世界最大にして、最も融通の利かない宗教組織だ。……彼らが、君の店に潜伏している『S級指名手配犯』を捕縛するために、最精鋭の『聖騎士団』を派遣したそうだ」
優也の手が止まった。
視線を、部屋の隅でネギオとオセロをしていたエルフに向ける。
「……ルナのことですか?」
「ひゃいッ!?」
名前を呼ばれたルナが、ビクッと飛び上がった。
「そのエルフだ。……罪状は『聖都大聖堂損壊』および『神器による国家転覆未遂』。まあ、魔族の私から見ても派手にやったものだよ」
「あ、あれは違うんですぅ! 儀式の最中に鼻がムズムズして、特大のくしゃみをしたら杖が暴走して……気づいたら天井が吹き飛んでてぇ……!」
ルナが涙目で弁明する。
優也は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
やはり、この天然エルフは歩く災害だ。
「聖騎士団は、異端審問官も兼ねている。彼らは君の店ごと、この街を『浄化(物理的破壊)』するつもりだ。……君の持つ『未知の技術(Amazon)』も、彼らにとっては異端の産物だからね」
ルーベンスは皮肉っぽく笑い、タバコの灰を携帯灰皿に落とした。
「どうする? 君が望むなら、私が手を貸してもいいが……その場合、聖教会と魔王軍の全面戦争になり、君の商売どころではなくなるぞ?」
脅しではない。冷徹な事実だ。
ここで迎え撃てば、せっかく手に入れたルミナス支店も、構築した物流網も戦火で消える。
優也にとって、資産の損失は死に等しい。
「……店を戦場にするのは御免ですね」
優也はカップを置き、手帳を開いた。
即座に損益分岐点を計算する。
迎撃コスト、修繕費、風評被害による売上減。……赤字だ。
ならば、解は一つ。
「こちらから出向きます」
「ほう?」
「聖都に乗り込み、ルナの無実……いや、『過失』であることを証明し、指名手配を取り下げさせます。ついでに……」
優也の眼鏡がキラリと光った。
「聖都という『手付かずの巨大市場』を開拓してきますよ。禁欲的な街だと聞いていますが、潜在的な需要は溜まっているはずですから」
ルーベンスは目を丸くし、やがてクククッと肩を揺らして笑った。
「ハハハ! 聖騎士団に狙われて、逆に商機を見出すとはな! 君は魔族よりも強欲だ」
「商人ですから」
「気に入った。……餞別だ。これを持っていけ」
ルーベンスは懐から、一枚の黒いカードを取り出し、カウンターに滑らせた。
「魔界の『通商許可証』だ。これがあれば、聖都の裏ルートにいる魔族商人から情報や物資を買える。……まあ、君の独自ルート(Amazon)には敵わないだろうがね」
「ありがたく使わせていただきます」
優也はカードを受け取ると、インカム(に見せかけた独り言)で指示を飛ばした。
「総員、第一種戦闘配備……訂正、『遠征出店準備』だ。キッチンカーを出すぞ」
ドタバタと準備が始まる中、ルーベンスは優雅にコーヒーを飲み干し、席を立った。
「精々、あの堅物な天使長や教皇をキリキリ舞いさせてくれたまえ。……私はここで、君の店の留守番(と新聞読み)でもさせてもらうよ」
「助かります。……フェンリル、留守中の警備は任せましたよ」
ソファで高いびきをかいて寝ていた狼王が、寝言のように「……替え玉……」と呟くのを確認し、優也は部屋を出た。
目指すは、白亜の宗教都市サンクチュアリ。
三つ星シェフの次なる武器は、ラーメンではない。
聖職者たちの理性を溶かす、「禁断のスイーツ」だ。




