EP 17
科学捜査と公開処刑
ルミナス中央広場は、凍りついたような緊張感に包まれていた。
苦しむ男、勝ち誇る商会長、そして銀色のアタッシュケースを開いた料理人。
「……なんだそれは。おままごとの道具か?」
ゴルド商会支店長のボルゾイが、優也の手元を見て鼻で笑った。
顕微鏡や試験管など、この世界の人間には奇妙なガラス細工にしか見えない。
「ええ、子供でも分かる『理科』の実験ですよ」
青田優也は冷静に、スポイトで手元のラーメンスープを吸い上げた。
そして、試験管に入った透明な液体――『残留農薬・毒物検査試薬(万能タイプ)』に滴下する。
「見ていてください。この試薬は、ヒ素や魔力毒、あるいは腐敗菌に反応すると、液体が『赤黒く』変色します。逆に、安全ならば『青色』に変わる」
優也が軽く試験管を振る。
液体は、鮮やかな『スカイブルー』に変化した。
「……ご覧の通り。私のスープからは、毒物は一切検出されません」
「ふん! そんな子供騙しの手品、信じられるか! 貴様が予め仕込んでおいたのだろう!」
ボルゾイが唾を飛ばして否定する。市民たちも、まだ半信半疑だ。
優也は表情一つ変えず、頷いた。
「なるほど。では、対照実験が必要ですね」
優也は白衣の裾を翻し、のたうち回っている「被害者役」の男に歩み寄った。
「失礼。吐瀉物と、口の中の残留物を採取させていただきます」
「あ、ああん!? 何しやがる、触んな!」
男が逃げようとするが、優也の背後から白い影が動いた。
キャルルだ。
彼女は満面の笑みで男の肩をガシリと掴み、地面に縫い付けた。
「動かないでねおじさん? 痛くないから(骨が折れる音)」
「ぎゃぁぁぁ!?」
優也は男の口元を綿棒で拭い、それを別の試験管に入れた。
広場中の視線が、その小さなガラス管に注がれる。
「もし、私のラーメンに毒が入っていたなら、この男の口の中の液体も『青色』になるはずだ。……あるいは、毒があれば『赤黒く』なる」
優也は、ゆっくりと試薬を垂らした。
ポタリ。
瞬間。
透明だった液体が、どす黒い『赤紫』へと変貌した。
「なっ……!?」
市民たちが息を呑む。
一方は鮮やかな青。もう一方はおぞましい赤紫。
その対比は、誰の目にも明らかだった。
「結果が出ましたね」
優也は二つの試験管を高く掲げ、冷徹な声で宣告した。
「私のスープは潔白だ。毒物は『スープの中』ではなく、この男が『食べる直前に口に含んでいた何か』によって検出された。……つまり、自作自演だ」
広場がざわめき始める。
論理的な説明と、視覚的な証拠。
ボルゾイの顔色が土気色に変わる。
「で、デタラメだ! そんな色水で何が分かる! 貴様が毒を盛ったんだ!」
まだ喚くボルゾイ。
だが、優也は最後の切り札を切った。
「科学がお気に召さないなら……『野生の嗅覚』なら信じますか?」
優也が指を鳴らす。
助手席に座って腕組みをしていた銀髪の青年が、鬱陶しそうに立ち上がった。
狼王フェンリルだ。
彼はゆっくりとタラップを降り、倒れている男の前に立った。
「……おい、下郎」
ただの一言。
それだけで、男の全身の毛が逆立った。
生物としての格が違う。捕食者に見下ろされた蛙のように、男は震え上がった。
「俺の食事の邪魔をした罪は重いぞ。……貴様の口から漂うその臭い匂い、知っているぞ」
フェンリルは鼻をひくつかせ、侮蔑の眼差しを向けた。
「『下り竜の根(強力下剤)』だな? 貴様、ラーメンを食う前にそれを飲んだな?」
神獣の嗅覚は、数キロ先の獲物の血の匂いすら嗅ぎ分ける。
口の中に残った薬草の残り香など、彼の前では隠しようがない。
「ひぃッ!? ど、どうしてそれを……!」
「答えろ。誰に飲まされた? ……あの豚か?」
フェンリルの背後に、巨大な氷の狼の幻影が浮かび上がる。
嘘をつけば食い殺される。男の本能がそう告げていた。
「い、言います! 全部言いますぅぅ!」
男は泣き叫びながら、ボルゾイを指差した。
「あの人に頼まれたんです! 金貨一枚やるから、ラーメン食って腹痛の演技をしろって! 毒じゃありません、ただの下剤ですぅぅ!」
決定的な自白。
その瞬間、広場の空気が一変した。
疑いの目は、優也からボルゾイへと一斉に向けられた。
「……嘘、だよな?」
「俺たちの楽しみを奪おうとしたのか?」
「商会長が、あんな汚い真似を……」
市民たちの目が、軽蔑と怒りに染まっていく。
それは、商売人にとって最も恐ろしい「信用の死」だった。
「ち、違う! 私は知らん! こいつが勝手にやったことだ!」
「往生際が悪いですよ、支店長」
優也は、いつの間にかボルゾイの目の前に立っていた。
手には、先ほどの青い試験管を持っている。
「貴方は二つのミスを犯した。一つは、科学と神獣を敵に回したこと。……そしてもう一つは」
優也の眼鏡の奥の瞳が、凍てつくように細められた。
「私の店の営業を妨害し、『売上の機会損失』を発生させたことだ」
それは、料理人としてではなく、経営者としての激怒だった。
「く、来るな! 衛兵、何をしている! 私を守れ!」
「しかし、商会長……これは流石に……」
衛兵たちも、市民の怒りとフェンリルの威圧を前にして、動けない。
「覚えていろよアオタ! この街で商売ができなくしてやる! 撤収だ!」
ボルゾイは捨て台詞を残し、逃げるように馬車へと駆け込んだ。
残されたのは、歓声を上げる市民たちと、無実が証明されたキッチンカー。
「さあ、営業再開です!」
優也の声に、再び大行列が形成される。
だが、優也は逃げていくボルゾイの馬車を見つめながら、小さく呟いた。
「逃がしませんよ。……喧嘩を売った代償は、貴方の『全財産』で支払ってもらいます」
優也はポケットから電子ボードを取り出した。
画面に表示されているのは、Amazonの『大量発注画面』。
「ネギオ。……明日はラーメンじゃない。『生活必需品』のダンピング(投売り)セールだ」
商会を物理的にではなく、経済的に抹殺する。
三つ星シェフの冷徹な報復劇が、幕を開けた。




