EP 16
商会の卑劣な罠
ルミナス中央広場は、熱狂の渦に包まれていた。
午後3時を回っても、行列は途切れるどころか伸びる一方だ。
キッチンカーから吐き出される白煙は、もはや街のランドマークとなっていた。
「はい、お待たせ! 替え玉ね!」
「スープ完売寸前ですぅ! 優也さん、追加の仕込み間に合いますか!?」
キャルルとルナが悲鳴を上げながら働き、フェンリルは行列の整理(という名の威圧)で睨みを利かせている。
青田優也は、麺茹で機の蒸気に包まれながら、冷静に客数と売上をカウントしていた。
(……回転率、客単価ともに過去最高。このペースなら、今日だけでルミナスの外食産業のシェアの3割は奪える)
すべてが順調だった。
――その瞬間までは。
「ぐ、ぐわぁぁぁぁぁッ!!」
突然、行列の真ん中あたりで、男の悲鳴が上がった。
周囲の客が驚いて飛び退く。
地面に転がっていたのは、薄汚れた服を着た中年の男だ。彼は腹を押さえ、激しくのたうち回っていた。
「い、痛ぇ……! 腹が……腹が焼けるようだぁ!」
「お、おい! どうしたんだ!?」
「こ、このラーメンだ……! これを食った直後に、急に吐き気が……!」
男は口から泡を吹き(演技用に仕込んだ蟹の泡だろう)、白目を剥いて痙攣してみせた。
その言葉に、周囲の空気が一瞬で凍りついた。
「え……ラーメン?」
「毒が入ってるのか!?」
「そういえば、変な匂いがすると思ってたんだよ……やっぱり魔獣の肉なんじゃ……」
群集心理とは脆いものだ。
先ほどまでの熱狂が、一瞬にして疑心暗鬼へと変わる。
箸を止める者、丼を地面に置く者、そして遠巻きに離れていく者たち。
「……来たか」
優也は手を止め、冷めた目でその光景を見下ろした。
あまりにもタイミングが良すぎる。そして、あまりにも手口が古い。
カチャカチャカチャッ!
広場の外から、金属音を響かせて武装した一団が雪崩れ込んできた。
この街の治安を守る衛兵隊だ。
そして、その中心には――見覚えのある肥満体の男が、ハンカチで鼻を押さえながら立っていた。
「そこまでだ! 営業を即刻停止せよ!」
ゴルド商会支店長、ボルゾイだ。
彼は倒れている男を指差し、大げさに叫んだ。
「見ろ! 哀れな市民が苦しんでいる! 腐った肉を使ったな! 衛生管理もできぬ素人が、金儲けのために毒を撒き散らすとは……言語道断だ!」
「そ、そうだ! 俺はこの店に殺されるところだったんだ!」
男がタイミングよく叫び、さらに苦悶の表情を作る。
ボルゾイは勝ち誇った顔で優也を睨みつけた。
「衛兵! 店主を拘束しろ! そしてこの不衛生な鉄の箱を没収し、広場から撤去させるのだ!」
「はッ!」
衛兵たちが槍を構え、キッチンカーを取り囲む。
明らかに話が出来すぎている。衛兵の到着が早すぎるのだ。事前に待機していなければ不可能なスピードだ。
「ふざけんなぁぁぁッ!!」
ドンッ!
キャルルがキッチンカーから飛び出し、衛兵の前に立ちはだかった。
その全身から、怒りの闘気が赤いオーラとなって立ち昇る。
「優也様のご飯は世界一なんだよ! 毒なんて入ってるわけないじゃん! 嘘つきは私がぶっ飛ばしてやる!」
「ひぃッ!? じ、獣人ごときが公権力に逆らうか!」
「やめろキャルル!」
優也の鋭い声が飛んだ。
キャルルがビクリとして振り返る。
「で、でも優也様! あいつら嘘ついてるよ! 悔しくないの!?」
「……ここで暴れれば、それこそ相手の思う壺だ。『逆上した店主が暴行を働いた』と既成事実を作られる」
優也はゆっくりとキッチンカーのタラップを降り、ボルゾイの前に立った。
その顔に、焦りの色は一切ない。
「支店長。……随分と手際がいいですね。まるで、こうなることを知っていたかのような」
「ふん! 戯言を。被害者が出ているのが動かぬ証拠だ!」
ボルゾイは鼻で笑った。
勝った。そう確信していた。
食中毒の疑いさえかければ、真偽はどうあれ店の信用は地に落ちる。噂は消えない。
一度「毒入りの店」のレッテルを貼れば、二度と客は戻らない。
それが飲食業の脆さだ。
「さあ、言い訳は牢屋で聞こうか。連行しろ!」
衛兵が優也の腕に手を伸ばす。
市民たちも、残念そうな、あるいは軽蔑するような目で優也を見ている。
だが。
優也は静かに、しかし広場全体に響く声で言った。
「証拠なら、ありますよ」
優也の指が、空中の電子ボードを操作した。
『購入』ボタンをタップする。
「……科学の時間だ」
ポン、という音と共に、優也の手元に銀色のアタッシュケースが出現した。
中から取り出したのは、異世界には存在しない精密機器。
レンズのついた筒と、ガラスの板、そして試薬の入った小瓶たち。
――『ポータブル顕微鏡』と『簡易毒物・細菌検査キット』。
「な、なんだそれは? 魔道具か?」
「いいえ。真実を映す鏡ですよ」
優也は白衣のポケットから手袋を取り出し、装着した。
その姿は、料理人から『分析官』へと変貌していた。
「衛生管理責任者として証明しましょう。私の料理に毒が入っているのか……それとも、そこの男の胃袋に『別の何か』が入っているのかをね」
優也の眼鏡が、冷たい光を反射した。




