EP 13
狼王、陥落。「替え玉」の誓い
「――替え玉だ! 硬さは『バリカタ』で頼む!」
『ビストロ・アオタ』の店内に、野性味溢れる注文の声が響いた。
カウンターには、既に空になった丼が5つ積み上げられている。
狼王フェンリル。
世界を司る三柱の調停者にして、絶対零度を操る最強の神獣。
その彼が今、上着を脱ぎ捨て、額に汗を浮かべながら、ひたすらに麺をすすっていた。
「へい、バリカタ一丁」
青田優也は、湯切りをしたザルから熱々の極細麺を丼へ滑り込ませた。
フェンリルは卓上の『紅生姜』と『生ニンニク(クラッシャーで潰したもの)』を大量に投入し、スープと絡める。
ズズズッ! ズズズズズッ!!
豪快な吸引音。
硬めに茹でられた低加水麺が、濃厚な豚骨スープを纏って喉を刺激する。
小麦の香りと、ニンニクの暴力的なパンチ。
「くぅぅぅッ! これだ! この喉越し! 身体の芯から熱くなる!」
フェンリルは恍惚の表情を浮かべていた。
彼は氷属性の権化ゆえに、常に身体が冷えている(という設定はないが、本人は熱いものを好む)。
豚の背脂が膜を張り、最後まで冷めない熱々のスープは、彼にとって至高の温泉に浸かっているような快楽だった。
「あのぉ、フェンリル様……? そろそろお腹いっぱいでは……?」
店の隅で震えていたルナが、恐る恐る声をかける。
だが、フェンリルはギロリと睨みつけた。
「黙れエルフ。俺の胃袋は宇宙だ。……店主! 次は『ハリガネ(粉落とし寸前)』だ! もっと小麦を感じさせろ!」
「はいよ」
優也は淡々と麺を茹でる。
『ネット通販』で仕入れた業務用冷凍麺と、豚骨。原価は一杯あたり数十円。
対して、フェンリルが食べている量は凄まじいが、それでも在庫は山ほどある。
(……そろそろ頃合いか)
10玉目の替え玉が消えたところで、フェンリルは満足げに息を吐き、丼を置いた。
「ふぅ……。悪くない饗宴だったぞ、人間」
「それは何よりです」
「うむ。褒めて遣わす」
フェンリルは王らしく尊大に頷き、そのまま立ち上がって出口へ向かおうとした。
「お会計は、銀貨15枚になります」
優也の冷徹な声が、その背中に突き刺さった。
フェンリルが足を止める。
ゆっくりと振り返り、きょとんとした顔をした。
「……は?」
「お会計です。チャーシュー麺一杯、替え玉10回、トッピング全部乗せ。締めて銀貨15枚(1万5千円)」
「……金? 俺がか?」
フェンリルは自分の胸を指差した。
「俺は狼王だぞ? 神だぞ? その俺が食ってやったのだ、光栄に思え」
「神様でも食い逃げは犯罪です」
優也はカウンターを出て、フェンリルの前に立ち塞がった。
身長差はある。魔力差は天と地ほどある。
だが、優也の目は死んでいなかった。むしろ、未払いの客を見る「取り立て屋」の目をしていた。
「貴方は言いましたね。『俺の縄張りで』と。……ここは私の店(縄張り)です。私のルールに従えないなら、然るべき対応をさせていただきます」
「ほう……。人間風情が、この俺を脅すか?」
フェンリルの全身から、冷気が噴き出した。
店内の窓ガラスに霜が張り、空気が凍りつく。
キャルルがトンファーを構え、ネギオがルーク形態へ移行しようとする。
一触即発。
だが、優也は眉一つ動かさずに言った。
「私を凍らせれば、二度とそのラーメンは食べられなくなりますが? このスープのレシピを知っているのは、世界で私だけです」
ピキッ。
フェンリルの動きが止まった。
冷気が霧散する。
「……なに?」
「貴方は神だ。私を殺すのは簡単でしょう。ですが、その瞬間、貴方の未来から『豚骨ラーメン』という概念は永遠に失われます。……それでもいいのですか?」
フェンリルの脳裏に、先ほどの快楽が蘇る。
あの濃厚なスープ。コシのある麺。ホロホロのチャーシュー。
あれを、もう二度と味わえない?
これからの長い神としての寿命を、あの味なしで過ごす?
(……そ、それは困る!!)
フェンリルの顔色が青ざめた。
最強の狼王にとって、「空腹」と「退屈」こそが最大の敵だ。
この店は、その両方を満たす稀有な場所。それを自ら破壊するのは愚策極まりない。
「ぐ、ぐぬぬ……! 卑怯だぞ人間!」
「商売とは対等なものです。……さて、お金がないのであれば、別の方法で支払っていただきましょう」
優也は懐から、一枚の羊皮紙(雇用契約書)を取り出した。
「身体で払ってください」
「な、なんだその言い方は!」
「簡単な仕事です。……これから私は、このラーメンを武器に街へ商売に行きます。貴方には、その『広告塔(宣伝マン)』兼『用心棒』になってもらいたい」
優也の提案。
それは、神としてのプライドを揺るがすものだった。
人間ごときに雇われる? この俺が?
「断る! 俺は誰の下にもつかん!」
「そうですか。では、この『新メニュー・味噌豚骨ラーメン』も、幻となりますね……」
「み、味噌だと……!?」
「さらに、『激辛坦々麺』や『魚介豚骨つけ麺』も開発中なのですが……」
優也が呪文のようにメニュー名を唱えるたびに、フェンリルの喉がゴクリと鳴る。
「……条件がある」
「聞きましょう」
「一日三食、ラーメンをつけろ。替え玉は無制限だ。……あと、ニンニクは多めで頼む」
フェンリルが、悔しそうに、しかし食欲に負けて膝を屈した。
「交渉成立です」
優也はニヤリと笑い、契約書にサインをさせた。
こうして、世界最強の狼王は、時給で働くアルバイト店員へとジョブチェンジした。
「さあ、戦力は揃った」
優也は店の外を見た。
ゴルド商会の経済封鎖により、食材の供給は止まっている。
だが、今の彼には『地球の食材』と『神の武力』がある。
「行くぞ、野郎ども。……ルミナスの街を、ラーメンで制圧する」
優也が指を鳴らすと、虚空から巨大な影が落下してきた。
それは、異世界の人々が見たこともない銀色の要塞。
――『大型キッチンカー(移動販売車)』だった。




