表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/23

EP 10

最強の常連客、誕生

 『ビストロ・アオタ』の朝は、悲鳴から始まった。

「だーかーらー! 本当なんですってばぁ!」

 開店前の店内。ルナがカウンターをバンバン叩いて訴えていた。

「昨日の夜に来たあの女の人! あれは女神ルチアナ様です! この世界の創造主です! オーラが違います! 神気が凄かったんですぅぅ!」

「はいはい。ルナ、昨日は疲れてたんだな」

 青田優也は、全く取り合わずにコーヒー豆を挽いていた。

「創造主が、あんな『仕事帰りのOL』みたいに管を巻いてビールを飲むわけがないだろう。それに、柿の種をポリポリかじってたぞ?」

「むぐぐ……! そ、それはそうですけどぉ……」

「大方、王都の貴族か何かだろ。……まあ、これだけの額を置いていくんだ。身分が高いのは間違いないが」

 優也は手元の『白金貨』を弾いた。

 日本円にして100万円相当。

 昨夜の売上だけで、リフォーム費用とこれまでの仕入れコスト(原価)を全て回収し、大幅な黒字プラスに転じている。

「お客様が誰であろうと関係ない。代金を払うなら『神様』だ。……飲食店経営の鉄則だよ」

「うぅ……信じてない……」

『ルナ様、諦めなさい。旦那様は、目の前の現金しか信じない悲しき生き物なのです』

 ネギオが淹れたての紅茶をルナに出しながら、やれやれと肩をすくめる。

 そこへ、外の掃除をしていたキャルルが飛び込んできた。

「優也様ー! お客様だよー! なんか凄そうな馬車が来た!」

 ランチタイムにはまだ早いが、優也はすぐに表情を「店主」のものに切り替えた。

「案内してくれ」

 ドアが開く。

 入ってきたのは、昨夜のルチアナとはまたベクトルの違う、圧倒的な存在感を放つ女性だった。

 艶やかな黒髪に、深紅の瞳。

 知性的だが、冷徹な刃のような鋭さを秘めた美貌。

 黒を基調としたドレスは、露出は少ないものの、体のラインを妖艶に強調している。

「……ここか。最近、ゴルド商会の私兵を壊滅させ、女神のような女が出入りしているという店は」

 彼女は店内を見渡し、ふん、と鼻を鳴らした。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

「ええ。……私の舌を満足させられるものがあるなら、ね」

 挑発的な物言い。

 だが、優也は動じない。

 『鑑定(簿記眼)』が、彼女の身につけているアクセサリーの価値を測定不能エラーと弾き出していた。

 間違いなく、昨夜の客と同等以上の「超太客(VIP)」だ。

(……最近はこの辺りの治安が良くなったから、高貴な女性のお忍び旅行が流行ってるのか?)

 優也はカウンター席を勧めた。

 彼女――魔王ラスティアは、優雅に腰を下ろすと、単刀直入に言った。

「甘いものを所望するわ。それも、ただ甘いだけじゃない……私の退屈な日常に刺激をくれるような、洗練されたものをね」

「かしこまりました」

 優也は即座にメニューを決めた。

 知的な彼女には、この店の「看板商品」を使った、大人のデザートが相応しい。

 優也は『ネット通販』で購入した業務用エスプレッソマシンのスイッチを入れた。

 プシューッ! という蒸気音と共に、高圧力で抽出された濃厚なエスプレッソがカップに落ちる。

 次に、冷凍庫から取り出したのは『プレミアムバニラアイスクリーム』。

 冷えたガラスの器に、真っ白なアイスを盛る。

 そして、その上から熱々のエスプレッソを回しかけた。

「『アフォガート・アル・カフェ』です」

 ラスティアの目の前に出されたのは、白と黒のコントラスト。

 熱いコーヒーの熱で、冷たいアイスがゆっくりと溶け出し、マーブル模様を描いていく。

「……熱い珈琲と、冷たい乳菓子の組み合わせ?」

「溶けきる前にどうぞ。温度差と、苦味と甘味の融合を楽しむドルチェです」

 ラスティアはスプーンを手に取り、とろりと溶けた部分を口に運んだ。

 冷たっ、熱っ。

 相反する温度が舌の上で踊る。

 濃厚なバニラの甘さを、エスプレッソの強烈な苦味が引き締め、また次の一口を誘う。

 口の中に残るのは、芳醇なコーヒーの余韻。

「……っ」

 ラスティアの冷徹な仮面が、アイスのように溶け崩れた。

 頬が紅潮し、口元が緩む。

「美味しい……! 何これ、凄くお洒落じゃない……!」

 魔王城の料理人が作る、砂糖を山盛りにしただけの甘ったるい菓子とは次元が違う。

 計算され尽くした味の構築。

「気に入っていただけましたか?」

「ええ、認めるわ。……貴方、魔王軍の専属シェフにならない? 月給は金貨100枚出すわよ」

「お断りします。私は一国一城の主(個人事業主)ですので」

 優也が即答した時だった。

 店の奥の扉が開き、昨夜の客――ルチアナが、あくびをしながら現れた。

「あら~? いい匂いさせてるじゃない。私にもそれ頂戴。……って、げっ」

「……げっ」

 ルチアナとラスティア。

 女神と魔王が、カウンターで鉢合わせた。

 バチバチと火花が散る……かと思いきや。

「なんでアンタがいんのよ、引きこもりの魔王様」

「貴女こそ、昼間から酒臭いわよ、自堕落女神」

 まるで悪友のような軽口。

 店内にいたルナだけが、「ひぃぃぃ! 世界が終わるぅぅ!」とテーブルの下に隠れて震えている。

「あら、ユーヤ君の料理を食べに来たのよ。ここの『柿の種』は最高なんだから」

「ふん、私はこの『アフォガート』の方が高尚ね。……ユーヤ、これをおかわり。あと、その『カキノタネ』というのも出しなさい」

 ラスティアが対抗意識を燃やして注文する。

 優也は、二人の美女(と認識している)の間に割って入り、伝票を書き込んだ。

「喧嘩をするなら外でお願いします。……追加オーダー、ありがとうございます」

 結局、二人は隣同士に座り、ビールとコーヒー、そして通販のお菓子を広げて、あーだこーだと盛り上がり始めた。

 「最近の勇者が弱すぎる」「天使族の予算申請が煩い」といった、物騒な単語が飛び交っているが、優也は「ファンタジー小説の設定談義か何かだろう」とスルーした。

 カウンターの中で、優也は手元の帳簿タブレットを確認する。

 【今月の売上見込:目標達成率 1200%】

 人参で雇った最強の用心棒キャルル

 土木工事と雑用をこなすエルフと執事(ルナ&ネギオ)。

 そして、白金貨を落とす二人の太客(ルチアナ&ラスティア)。

 『ネット通販』という最強の兵站と、『簿記1級』という管理能力。

 それらが噛み合い、この異世界の荒野に、確固たる経済圏が生まれつつあった。

「……悪くない」

 優也は、楽しそうに笑う女神と魔王、そして賄いのカレーを頬張るキャルルたちを眺め、ポケットの中のコーヒーキャンディを一粒、口に放り込んだ。

「さて、次はディナーメニューの拡充だな。……日本の『ラーメン』でも出してみるか?」

 三つ星シェフの野望は尽きない。

 『ビストロ・アオタ』。

 そこは、世界を動かす者たちが集い、胃袋を掴まれ、骨抜きにされる――世界で最も危険で、美味しい場所。

 その伝説は、まだ始まったばかりである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ