EP 10
最強の常連客、誕生
『ビストロ・アオタ』の朝は、悲鳴から始まった。
「だーかーらー! 本当なんですってばぁ!」
開店前の店内。ルナがカウンターをバンバン叩いて訴えていた。
「昨日の夜に来たあの女の人! あれは女神ルチアナ様です! この世界の創造主です! オーラが違います! 神気が凄かったんですぅぅ!」
「はいはい。ルナ、昨日は疲れてたんだな」
青田優也は、全く取り合わずにコーヒー豆を挽いていた。
「創造主が、あんな『仕事帰りのOL』みたいに管を巻いてビールを飲むわけがないだろう。それに、柿の種をポリポリかじってたぞ?」
「むぐぐ……! そ、それはそうですけどぉ……」
「大方、王都の貴族か何かだろ。……まあ、これだけの額を置いていくんだ。身分が高いのは間違いないが」
優也は手元の『白金貨』を弾いた。
日本円にして100万円相当。
昨夜の売上だけで、リフォーム費用とこれまでの仕入れコスト(原価)を全て回収し、大幅な黒字に転じている。
「お客様が誰であろうと関係ない。代金を払うなら『神様』だ。……飲食店経営の鉄則だよ」
「うぅ……信じてない……」
『ルナ様、諦めなさい。旦那様は、目の前の現金しか信じない悲しき生き物なのです』
ネギオが淹れたての紅茶をルナに出しながら、やれやれと肩をすくめる。
そこへ、外の掃除をしていたキャルルが飛び込んできた。
「優也様ー! お客様だよー! なんか凄そうな馬車が来た!」
ランチタイムにはまだ早いが、優也はすぐに表情を「店主」のものに切り替えた。
「案内してくれ」
ドアが開く。
入ってきたのは、昨夜のルチアナとはまたベクトルの違う、圧倒的な存在感を放つ女性だった。
艶やかな黒髪に、深紅の瞳。
知性的だが、冷徹な刃のような鋭さを秘めた美貌。
黒を基調としたドレスは、露出は少ないものの、体のラインを妖艶に強調している。
「……ここか。最近、ゴルド商会の私兵を壊滅させ、女神のような女が出入りしているという店は」
彼女は店内を見渡し、ふん、と鼻を鳴らした。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「ええ。……私の舌を満足させられるものがあるなら、ね」
挑発的な物言い。
だが、優也は動じない。
『鑑定(簿記眼)』が、彼女の身につけているアクセサリーの価値を測定不能と弾き出していた。
間違いなく、昨夜の客と同等以上の「超太客(VIP)」だ。
(……最近はこの辺りの治安が良くなったから、高貴な女性のお忍び旅行が流行ってるのか?)
優也はカウンター席を勧めた。
彼女――魔王ラスティアは、優雅に腰を下ろすと、単刀直入に言った。
「甘いものを所望するわ。それも、ただ甘いだけじゃない……私の退屈な日常に刺激をくれるような、洗練されたものをね」
「かしこまりました」
優也は即座にメニューを決めた。
知的な彼女には、この店の「看板商品」を使った、大人のデザートが相応しい。
優也は『ネット通販』で購入した業務用エスプレッソマシンのスイッチを入れた。
プシューッ! という蒸気音と共に、高圧力で抽出された濃厚なエスプレッソがカップに落ちる。
次に、冷凍庫から取り出したのは『プレミアムバニラアイスクリーム』。
冷えたガラスの器に、真っ白なアイスを盛る。
そして、その上から熱々のエスプレッソを回しかけた。
「『アフォガート・アル・カフェ』です」
ラスティアの目の前に出されたのは、白と黒のコントラスト。
熱いコーヒーの熱で、冷たいアイスがゆっくりと溶け出し、マーブル模様を描いていく。
「……熱い珈琲と、冷たい乳菓子の組み合わせ?」
「溶けきる前にどうぞ。温度差と、苦味と甘味の融合を楽しむドルチェです」
ラスティアはスプーンを手に取り、とろりと溶けた部分を口に運んだ。
冷たっ、熱っ。
相反する温度が舌の上で踊る。
濃厚なバニラの甘さを、エスプレッソの強烈な苦味が引き締め、また次の一口を誘う。
口の中に残るのは、芳醇なコーヒーの余韻。
「……っ」
ラスティアの冷徹な仮面が、アイスのように溶け崩れた。
頬が紅潮し、口元が緩む。
「美味しい……! 何これ、凄くお洒落じゃない……!」
魔王城の料理人が作る、砂糖を山盛りにしただけの甘ったるい菓子とは次元が違う。
計算され尽くした味の構築。
「気に入っていただけましたか?」
「ええ、認めるわ。……貴方、魔王軍の専属シェフにならない? 月給は金貨100枚出すわよ」
「お断りします。私は一国一城の主(個人事業主)ですので」
優也が即答した時だった。
店の奥の扉が開き、昨夜の客――ルチアナが、あくびをしながら現れた。
「あら~? いい匂いさせてるじゃない。私にもそれ頂戴。……って、げっ」
「……げっ」
ルチアナとラスティア。
女神と魔王が、カウンターで鉢合わせた。
バチバチと火花が散る……かと思いきや。
「なんでアンタがいんのよ、引きこもりの魔王様」
「貴女こそ、昼間から酒臭いわよ、自堕落女神」
まるで悪友のような軽口。
店内にいたルナだけが、「ひぃぃぃ! 世界が終わるぅぅ!」とテーブルの下に隠れて震えている。
「あら、ユーヤ君の料理を食べに来たのよ。ここの『柿の種』は最高なんだから」
「ふん、私はこの『アフォガート』の方が高尚ね。……ユーヤ、これをおかわり。あと、その『カキノタネ』というのも出しなさい」
ラスティアが対抗意識を燃やして注文する。
優也は、二人の美女(と認識している)の間に割って入り、伝票を書き込んだ。
「喧嘩をするなら外でお願いします。……追加オーダー、ありがとうございます」
結局、二人は隣同士に座り、ビールとコーヒー、そして通販のお菓子を広げて、あーだこーだと盛り上がり始めた。
「最近の勇者が弱すぎる」「天使族の予算申請が煩い」といった、物騒な単語が飛び交っているが、優也は「ファンタジー小説の設定談義か何かだろう」とスルーした。
カウンターの中で、優也は手元の帳簿を確認する。
【今月の売上見込:目標達成率 1200%】
人参で雇った最強の用心棒。
土木工事と雑用をこなすエルフと執事(ルナ&ネギオ)。
そして、白金貨を落とす二人の太客(ルチアナ&ラスティア)。
『ネット通販』という最強の兵站と、『簿記1級』という管理能力。
それらが噛み合い、この異世界の荒野に、確固たる経済圏が生まれつつあった。
「……悪くない」
優也は、楽しそうに笑う女神と魔王、そして賄いのカレーを頬張るキャルルたちを眺め、ポケットの中のコーヒーキャンディを一粒、口に放り込んだ。
「さて、次はディナーメニューの拡充だな。……日本の『ラーメン』でも出してみるか?」
三つ星シェフの野望は尽きない。
『ビストロ・アオタ』。
そこは、世界を動かす者たちが集い、胃袋を掴まれ、骨抜きにされる――世界で最も危険で、美味しい場所。
その伝説は、まだ始まったばかりである。




