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第三話 変わりゆく日常 (4)

「最初から『危ないヤツ』だと思われてりゃ、誰も妙な期待も信頼もしてこない。下手に良い人を演じて、それが崩れる方がよっぽど面倒だ」


生来の目つきの悪さも相まって、彼の斜に構えた態度は常に軋轢を生んできた。その度に、彼は自ら悪役を演じることで自分を守ってきたのだ。闘争を望む本能を、不良というレッテルで飼いならしてきた、とも言える。信吾の制止がなければ、先ほどその本能が暴走していたかもしれないという自覚もあった。


だが、先に靴を履き替えた信吾は秀彰の方を振り向いて、ただ一言だけ、


「やっぱり強いよね、秀彰は」


何故か羨ましげな顔でそう言った。


「オレだったらありもしない噂を立てられたら平気な顔して学校なんて来れないよ。いや、仮に一部が事実だったとしてもさ、それまで守ってきた仮初の顔が崩れた時点でもうその場から逃げたくなっちゃうね」

「真っ当な人間の意見だな」

「あ、馬鹿にしてる?」

「少しだけな」


 クソ野郎が、と吐き捨てる信吾の顔はどこか楽しげに見える。秀彰にとっても入学式から今までこんなに短い期間で親しくなった友人は初めてだ。悪友、そんな分類タグが自然と浮かぶくらいには信吾との会話を楽しんでいる。


「いっそ、エスカレートして犯人扱いされたりしてね。あはは」

「止めてくれ」


 爽やかに軽口を叩く友人の隣で、人知れず異能の力を手にしてしまった秀彰は全く笑えずにいた。


「あ~~~、信くん~~、ちょっと待って~~!」


 二人が昇降口を抜け、二階にある教室への階段を上ろうとした時だった。廊下に居た一人の女生徒が慌てた様子でこちらに駆けてくる。女子の間ではポピュラーなあだ名を呼ばれた信吾は振り返り、ついでに秀彰も歩みを止めた。


「ん、どしたの笹塚さん。僕に何か用?」

「うん、大した事じゃないんだけど、そのぉ――」


 笹塚と呼ばれた女子はモジモジと身体をくねらせ、言いづらそうに言葉を濁している。大した事じゃないと言ってる割に、その目は真剣そのものだ。


 ふと秀彰が女生徒の方へ視線を向けると、後ろ手にラッピングされたお菓子を持っているのが見えた。


(なるほど、そういう用事か)


 秀彰が一人納得して頷いていると、視線を感じ取った彼女がビクリと肩を震わせた。まるで獰猛な獣を恐れるような反応に苦笑したくなったが、ここは余計な事をせずに去るのが最善だろう。


「先に教室行っとくぞ」

「え、あっ、ちょっと秀彰っ!」


 状況を飲み込めていない信吾が素っ頓狂な声を上げるが、秀彰は無視してその場を立ち去った。人の恋路を邪魔した挙句、馬に蹴られて死ぬのは勘弁だ。


(信吾のお眼鏡に適えば良いがな)


 友人の恋愛成就を適当に祈りながら、秀彰は教室までの道のりを歩く。今の彼女が例外なだけで、新校舎の雰囲気はお通夜のように暗い。長居するとこっちまで気が滅入りそうなので、極力足早に廊下を通り過ぎた。


 そして教室の扉を開けようと手を伸ばした瞬間、横から制服の袖を掴まれ、阻まれた。


「おいおい勝手に先行くなよー、水くさいじゃないか」

「どうせ用事はお前にしかないんだろ、なら待つ必要なんて――」


 と秀彰は言いかけて、ふと信吾の手荷物に目を落とし、気がつく。


「さてはお前、受け取らずに逃げてきたな」

「あはは、バレちゃった?」


 スカスカの鞄には女生徒が渡そうとしていた菓子袋を入れた形跡はなく、勿論手にも持っていない。紳士的な彼の性格から考えて、せっかくのプレゼントを鞄でぐしゃぐしゃに潰すような真似は絶対にしないだろうが、それにしても受け取りすら拒むというのは秀彰にも予想外だった。


「薄情なヤツだな。断るにしろ、せめて気持ちくらいは受け取ってやれよ」

「いやぁ、自分でもそれが正しい対応だとは思うんだけどねー。ああいう突然の贈り物ってどうにも苦手でさ、どうしていいか分かんなくなっちゃうんだよ」

「だからって逃げることはないだろ」

「てへっ」


 秀彰の追求を誤魔化すように、信吾は舌を出してウインクしてみせる。無性に殴りたくなる顔だが、握りしめた拳をグッと堪え、秀彰は教室内に入る。


「モテる男ってのは、相手を傷つけない断り方を心得ているモンだと思ってたがな」


 教室内の雰囲気も廊下や通学路と同じく、決して明るいものではなかった。それでも見知った顔と居ると安心するのか、ポツポツと話し声は聞こえてくる。


 机の横に立て付けられたフックに鞄を掛け置くと、秀彰は自分の席へと座った。信吾も自分の席――ちょうど秀彰の一つ前の席に当たる――に座ると、椅子を反転させ、嬉々とした表情で話に食らいついてくる。


「え、モテる男って誰のことさ?」

「さぁな」


 余計な一言だったと、言った傍から後悔する秀彰。


「あれれー秀彰クン、もしかしてオレに嫉妬してらっしゃる? いやー悪いねー、そうなんだよー、実はオレ、結構モテるんだー、はっはっはー!」

「うぜぇ」


 どうやら手遅れだったようだ。天狗になった信吾を相手にするのは、もはやバカらしくて無意味な行為だと悟った秀彰は、机に肘を付いてそっぽを向く。するとその先に、なにやら真剣な瞳でこちらを見つめている女生徒の顔があった。


「うわっ、居たのか中川」

「や、やっと気づいた……?」


 秀彰の机の横にしゃがみこんでじっと様子を窺っていたのは、クラスメイトの中川だ。肩に掛かる長い三つ編みと大きな丸眼鏡が特徴で、全身からこれでもかと優等生オーラを放っている。それが担任の美月教諭の目に止まったどうかは定かではないが、入学第一号のクラス委員長に任命されている。


 見た目通りに気が弱く、話していると小動物的な印象を受けるが、意外と面倒見がいい。停学中、わざわざ秀彰の家までプリントを届けに来てくれた恩もあってか、学内に名を轟かせた問題児である秀彰とも時折こうして話を交わしている。信吾を除けば、校内で気を使わずに話が出来る唯一の生徒だ。


「あ、おはよー文子(あやこ)ちゃん、ちーっす!」

「おはようございます、土方君。ち、ちーっす?」


 信吾は人差し指と中指を眉に添えながら、何ともチャラい挨拶を中川に送っている。無視すればいいものの、受け取った中川もそのポーズを真似て挨拶を返そうとするが、添えた指先が眼鏡のフレームに当たってカチカチと音が鳴るばかりで、上手く出来てない。真面目だが、結構不器用なタイプなのか。


「あ、あれ? これでいいのかな…? 何だか違う気がするけど……」

「いや、別に無理して真似する必要なんて無いぞ」

「ご、ごめんなさい! 今度練習してきます……」


 フォローしたつもりが、中川は何故か秀彰に向かって頭を下げる。勢いを付けて振りかぶった上半身は、分度器で測ったかのように斜め四十五度の位置でピタリと静止した。素晴らしいお辞儀、いや最敬礼だ。もはやお辞儀芸と呼んでも差し障りの無いのレベルではないかと、秀彰はくだらないことを考えてしまう。


(にしても、なんだこの視線は)


 ふと居心地の悪さを感じて周囲を見渡してみると、普段は怯えて視線を合わそうとしないクラスメイト達が一斉に秀彰を睨み、糾弾するような厳しい視線を向けている。完全に悪者扱いだ。


 理不尽だ。理不尽過ぎる。秀彰はそう内心で愚痴りながら信吾を睨むが、彼はチロリと舌を出すだけで詫びの欠片も無い。秀彰は小さく溜め息を吐いてから、話題を変えた。


「それで中川、俺に何か用か? 始業前に委員長が回収する物でもあったっけ」

「あ!そうでした」


 気を取り直した中川がこほんと咳払いを交えてから、話し始める。


「今日の午前授業は臨時の職員会議がある関係で全科目自習になると美月先生から連絡があったので、良ければそのプリント運びを副委員長さんに手伝って貰おうかと……」

「副委員長?」


 反射的に信吾の方を振り向く秀彰だが、『何とぼけてんの?』とでも言いたげな、呆れた視線を返される。


「君だよキミ。赤坂秀彰副委員長だよ」

「俺が副委員長?」


 自分の顎を指差しながら、怪訝な表情を浮かべる秀彰。そう言われても、全くもって記憶に無い。記憶には無いのだが、隣にいる委員長がうんうんと頷いている辺り、事実なんだろう。


「赤坂君が知らないのも無理ないですよ。決定したのはその……停学処分中のことでしたから」

「そうそう、推薦で決まったんだよね、たしか」

「推薦? 一体誰がそんな酔狂な真似を――」

「オレだよオレ」


 当然だと言わんばかりに信吾は胸を張る。だったら復学した後に一言伝えれば良いだろうに。相変わらず無責任な野郎だと、秀彰は目の前の男を睨んだ。


「はぁ。にしても、こんな無責任野郎が副委員じゃ、文子ちゃんも苦労するよねぇ。ホント、共通の友人としては申し訳ないばかりだよ」


 どっちがだよ、と突っ込もうとする秀彰だったが、それより早く中川のフォローが入る。


「い、いえっ、苦労なんて全然っ! 普段は大した仕事量でもないですし、その……す…、好きでやってる事ですからっ」


 何故か必死で中川から弁明された秀彰が、どう反応していいやら分からず黙っていると、信吾が更に調子付き、余計な文句を飛ばし始める。


「いやいやー、そこは謙遜しちゃいけないよー。花瓶の水差しや黒板消しの掃除だって、聞けば毎朝文子ちゃんが『一人で』やってるみたいじゃないか。たまには副委員長が代わってやってもいいはずなのにねー」

「け、謙遜だなんて、そんな……」


 自分の不親切を棚に上げておいて、よくもまぁそこまで嫌味を呟けるものだと違う意味で信吾を感心する一方、段々と中川のフォローが善意の刃となって秀彰の心をチクチクと刺激し始める。


「プリント、取ってくる」


 心の痛みに耐え切れなくなった秀彰は、名誉挽回に自ら副委員長の職務を遂行しようと、立ち上がってそのまま教室から出ようとした。


「いってらっしゃい、副委員長さん」


 清々しいほどの笑顔で送り出そうとする信吾に対し、コイツだけは後でブチのめそうと心に誓う秀彰。そうして彼が教室を出て廊下を歩いていると、後ろからパタパタと上履きの靴音が近付いてきた。


「す、すみません。えぇとプリントは職員室横の連絡ボックスに入っているはずなので、よ、よろしくお願いします……」


 申し訳なさそうに頭を下げる中川を見て、秀彰は柄にもなく善人ぶったような言葉を返してしまう。


「いや、中川が謝ることなんてねぇよ。停学中、わざわざプリントを家まで届けて貰った恩もあるし」

「あ、あれこそ委員長として当然の役目ですから、恩だなんて……」

「そうか? いくら役目ったって問題児の家に行くのは面倒だし、嫌なモンだろ」


 つい、自然な口調で本音が漏れてしまい、中川の表情が更に硬くなる。が、それでも中川は胸元を手のひらで押さえつつ、秀彰の顔を見上げながら一言一言大事に言葉を紡いでいく。


「は、初めは少し、怖かったですけど……話してみたら優しい人だったので、嫌なんて思っていませんよ」

「優しいって、俺がか?」


 そんな言葉、生まれてこの方掛けられた覚えがなかった秀彰は、ずいっと顔を近付けてしまう。すると中川は焦ったようにぶるぶると顔を左右に震わせ、教室の方へと後ずさっていく。


「い、今のは聞かなかったことにしてください……っ、で、ではっっ!!」

「おう、そっちも委員長の仕事頑張ってくれ」


 ふらふらと教室に戻っていく姿を見届けてから、秀彰は職員室へと向かった。途中、教室の窓際に置かれていた水差しと黒板消しが脳裏に浮かぶ。普段は何気なく見ていたが、今にして思うとどちらも欠かさず手入れされ、清潔に保たれていた。


(たまには早起きして、委員長の手伝いでもするか)


 一時限目開始のチャイムが鳴り響く中、秀彰は真面目なクラス委員長のことを考えながら、凝り固まった首をコキコキと鳴らしてみせるのだった――。

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