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第三話 変わりゆく日常 (3)

 休校が解かれた日の朝。燻る眠気を押し殺しつつ、未だ慣れない通学路を秀彰は一人で歩いていた。高校に入学して早一ヶ月が経つが、この道を通った回数はまだ数えるほどしかない。


(停学期間が二十日、休校期間が八日か。長い春休みだったな)


 白線の内側を窮屈に感じながら憂鬱げな顔で歩く。歩道の脇に植えられた桜はほとんどが散り終え、枝葉に小さな薄桃色を残す程度となっている。儚い春の風物詩だ。


 踏切の近くまで進むと、カンカンと警鐘を鳴らす遮断機が行く手を阻んだ。間が悪い日だと秀彰がうんざりしながら列車が通り過ぎるのを待っていると、不意に視線の端を何かが横切った。ふわりふわりと風に揺れ、彼の前髪へと落下してくる。取ろうかどうしようかと悩んでいる内に、通過してきた走行列車の風圧に煽られ、桜の花びらは何処かへと消えていった。


 踏切を越えると穏やかな住宅風景は一転して、喧騒の絶えない駅前通りへと様変わりする。車道は朝早くから混み合っており、歩道も通勤途中のサラリーマンや学生達でごった返している。


 歩道に放置された自転車を避けながら、駅前通りの細い脇道を進む。曲がりくねった坂道を登りきると、先日テレビで放映された校門が見えてきた。門付近に立つ生活指導の教諭と見慣れない格好をした警備員に見守られながら、生徒らは暗く沈んだ表情を浮かべて登校している。


(無理もないよな。何が悲しくて、全国ニュースで放送された事件現場に通わなければならないのか)


 続報を聞く限り、犯人は未だ捕まっていないらしい。よくそんな中で休校解除に踏み切れたものだと、秀彰は死人のような顔付きの生徒らに同情した。


(しかし、俺にとってはこの上なく有意義な休校期間になったな)


 この八日間、秀彰は件の廃墟公園を利用して人知れず痕印能力とその発動条件について探っていた。初回の大事故を含め、何度か生命の危機を感じる場面はあったが、ようやく安全な能力の発動手順を彼なりに導き出せるまでに至った。


(まだまだ研究段階だが、ある程度のコントロールは可能になったと思っていいだろう)


 加えて、己の痕印能力への理解も深まってきた。ゴミ同然と思っていた能力も、慣れ親しむと意外に悪くない。要は使い方次第で化けるのだと、すれ違う他人の暗い顔など意に介さず、秀彰は自分の世界に浸っている。


(後はより実戦的な場面を想定した訓練が出来れば理想だな)


 秀彰の中で危険な好奇心が鎌首をもたげる。道の真ん中で立ち止まり、興味本位で右腕を掲げてみた。


(例えば――此処みたいに、標的の多い場所だと尚更好都合か)


 ゴクリと秀彰の喉が鳴る。研ぎ澄まされた意識が、傷痕の刻まれた肩口へと向かう。耳裏が痺れるような独特の気配を察し、痕印能力の高まりを強く感じた。俯きがちに傍を歩いていた生徒らも不穏な空気を悟ってか、秀彰から距離を置き始める。


 ちょうど今は通学ピークの時間帯だ。有象無象の的目掛けて能力を発動するには絶好の機会だろう。外道のやることだと思いながらも、秀彰の脳内では別の思考が渦巻いている。


 殺さなければいいだろう、少し怪我をさせるくらいならセーフだ。そんなトチ狂った価値観が、自然と湧いて出てくる。


(少しだけ、あのパーカー男の気持ちも分かる気がするな)


 口端を歪ませ、秀彰は不気味に笑う。漆黒の誘惑に心が揺らぎ掛けた、そんな時だった。


「なーにしてんだよ、秀彰ぃ。んなトコでぼーっと突っ立ってさぁ」

「ぐっ……!?」


 不意打ち気味に背中を強く叩かれ、秀彰の張り詰めていた集中力がプツンと切れた。


「っ!? 信吾、テメェなにしやがんだよ」

「おいおい、そりゃこっちの台詞だろ?」


 振り返りざまに睨みつけると、そこには飄々と佇む信吾の姿があった。相変わらずニコニコと人懐っこい笑みを浮かべているが、よく見るとその目は笑っていない。狐のように薄く引いた瞳は静かな怒りを孕んでいる。


「厨二ゴッコがしたいんなら、人の邪魔にならないところでやれよ。ここは往来のド真ん中、しかも今は通学ピークの真っ只中。分かるだろ? ほら、あれだ、ピーティーオーってヤツ、弁えろって」

「それを言うならTPO……いや、お前の言う通りだな」


 秀彰は半分吐き出しかけた反論を飲み込んだ。周りを見ずとも、自分の置かれている状況が何となく把握できたからだ。突き刺さる周囲からの視線は危機を感じてではなく、単に痛いヤツを薄ら目で見ていただけなのだと。


「悪ぃ、俺の方こそちょっとどうかしてたみたいだ」


 それでも目を合わせるのが癪だったので、秀彰は顔を逸らしたまま謝った。すると、信吾は彼の頭をポンポンと軽く叩きながら、今度はいつも通りの自然な笑みで呟いた。


「へへ、分かればよろしい」

「おい……、よせよ」


 秀彰が何度手で振り払っても、信吾は攻撃をかわしながら彼の頭を触ってくる。鬱陶しい、恥ずかしいから止めろと秀彰が抗議しても彼はニヤニヤと笑うだけで一向に止めようとしない。怒られた手前、強く出ることも出来ないのがもどかしいらしく、秀彰は歯を噛み締めて呻いた。


(けど……結果的には俺の暴走を止めてくれたんだよな)


 入学式の日に起きた痕印者との遭遇事件。その時居合わせた信吾も、パーカーを着た怪しげな男が暴風を操る姿を見ていたはずだが、あれ以来秀彰との会話の中で話題に登ることはない。いや、案外それが普通の対応なのかもしれない。


 それまでの価値観が崩壊するような異常事態を目にしたとして、それを鵜呑みにするのは秀彰みたく退屈な非日常からの脱却を願っていた極一部の人間だけだろう。


 だからこそ、単純に友人を心配する気持ちだけで暴走を止めてくれたという事実が、秀彰にとっては何よりも嬉しかった。


「にしても、お前こそ妙にいつも通りじゃないか。あんな事件があったってのに、怖くないのか?」

「まーね。気にしても仕方ないし……さ。ほら、オレが沈んでても気持ち悪いだけっしょ」


 信吾は気丈に振舞っているが、その仕草はどこかぎこちなさを感じさせる。自分への追求を避けるように、信吾は話題を変えた。


「それよりも、ちょっとばかし気になる情報があってね。例の事件、犠牲者はなんと、あの『鬼の林婆』らしいんだよ!」

「……へぇ」

「聞きたいかい? 気になるかい? おーけーおーけー、話してやるともさ。ふふん、こりゃマジで特ダネだからな、聞いて驚け!」

「別に聞きたいワケじゃ――」


 秀彰の意見など無視して信吾はここぞとばかりに騒ぎ立てる。周りに居た生徒も突然の大声に驚き、視線を向け始めた。俺が馬鹿ならコイツも馬鹿だな、と秀彰は呆れながら溜め息を吐き、仕方なく信吾の耳を傾けることにした。


「事件が起きたのは夜。場所は新校舎一階の正面玄関前だ。校舎には宿直当番だった林婆以外の学校関係者は居なかったらしいぜ」


 鬼の林婆こと林教諭は校内でも名の知れた名物教師だった。老いてもなお盛んな熱血指導っぷりと規格外の身体能力から数々の逸話が生まれ、敬われ、疎まれ、恨まれ、入学間もない新入生の間でも彼女の噂は広がりを見せているらしい。と言っても、精力的に広めているのは自称情報通のこの男くらいなのだが。


「で、その林婆が夜間の見回り中、何者かに襲われた。明くる日の朝、出勤してきた教師に変わり果てた姿で発見されたってワケだ。発見時、すでに血塗れで――」

「おい、ちょっと待て」


 適当に聞き流してやろうと思っていた秀彰だが、事件の情報があまりにも詳細に語られていたため、口を挟まざるをえなかった。


「お前……どっからそんな情報を仕入れてきてんだ? まさか本当に取材したってんじゃないだろうが」

「そこはお約束の『企業秘密』ってヤツだよ」


 そう言って、おどけて誤魔化す信吾。毎度のことながら、信吾は決して自分が得た情報源を漏らしたりはしない。普段教室で話しているような、学校内のろくでもない噂話ならまだしも、今回の件は一介の学生が知り得る権限を超えている。両親がマスコミ関係者だという噂も存外嘘っぱちではないのかもしれない。


「ところで秀彰、新校舎一階の右手廊下の突き当りってさ、何があるか覚えてる?」

「……化学準備室か?」

「ご名答。ロクに登校して来ないのに良く覚えてたな。そこの窓が一つ、派手に打ち破られてたらしいんだ」

「外部犯の侵入経路か」

「いや、そう思うだろ? 問題は床だよ。床に散らばったガラス片から林婆の血痕が見つかったらしい」

「……どういうことだ?」


 上履きに履き替えながら、秀彰は眉をひそめる。信吾は自分の靴箱に靴をしまいながら、声を潜めて続けた。


「おかしいだろ? 正面玄関で襲われてから化学準備室に運ばれたなら、ガラス片に血が付くのはおかしい。つまり、襲われたのは化学準備室。なのに、わざわざ人目につきやすい正面玄関まで死体を運んだことになる。これじゃ、早く見つけてくれと言ってるようなものだよ……!」

「――おい、信吾」


 強い口調で名前を呼ばれ、信吾はハッとした表情になった。慌てて周囲を見渡すと、ようやく置かれている事態に気付いたらしい。


「……お、おい……聞いたか? 死体だってよ……」

「……うぅ、せっかく気にしないようにしてたのに……」

「やっぱり嫌だよぉ……事件が起きた学校なんて……行きたくない……」


 周りに居た登校者らは一様に、信吾達から遠ざかる。中には目に見えて怯えている者も居た。


「こういう事はあまり大声で話すな。余計な不安を煽るだけだろ」

「そう……だね、ごめん」


 今度は逆に秀彰の方から迂闊な言動を戒められた信吾は、ポツリと呟いたまま肩を落とし、頭を垂れてしまった。どうにもらしくない友人の態度に、秀彰はふと事件の話題が出た時のぎこちない様子を思い出す。


 もしかしたら、信吾なりの強がりだったのかもしれない。普段やかましいくらいに喋る友人が無言になった様子を見ていると、秀彰まで気分が滅入りそうだ。


「そんな気にすんな。早めに止めなかった俺も同罪だ」

「うぉわっ!?」


 お返しとばかりに、信吾の頭をポンポンと叩く秀彰。本人は地毛と言い張るが、どう見ても茶色に染めたであろうその髪は逆立っていて、叩くたび手のひらに刺さって痛い。が、構わず秀彰は叩き続けた。


「やーめーろーよおーーーっ」


 てっきり噛み付いてくるのかと思ったが、信吾は満更でもなさそうな顔で受け入れている。まるで従順な犬のようだ。これ以上やるとさすがに気持ち悪いので、ここらで秀彰も止めてやる。


「不謹慎な上に無責任な話だけどさ。これで秀彰が偏見の目で見られなくなったらいいなって、オレはちょっと期待してるんだよ」


 靴箱で肩を並べながら上履きに履き替えている秀彰に、隣の信吾が複雑そうな表情を浮かべて言う。


「どうだかな。俺は別に今のままでも構わないぞ」

「なんでさ」

「噂が消えたからって、それまで作り上げられた雰囲気はそうそう変わらない。火のないところに煙は立たないって言うだろ。俺が喧嘩っ早いのは事実だからな」


 秀彰は吐き捨てるようにそう言うと、履き替えたばかりの上履きのつま先で、床を軽くコン、と叩いた。まるで、自分自身に言い聞かせるかのように。


「それに、俺はこういう方が楽なんだよ」


 秀彰はどこか遠い目をして呟いた――。

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