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第二話 深夜の校舎 (2)

 この時、意外にも彼女は至極あっさりと自分の死期を受け入れた。理不尽な運命を呪うのでもなく、抗えない自分の無力をただ寂々と悟り、無心で享受した。すると皮肉にも腹が据わり、妙な活力が湧いてきた。いや、この場合活力とは適切ではないのかもしれない。生きるためではなく散るための力なのだから。死にゆく老体に残された力を目一杯振り絞りつつ、林教諭は最期の壇上へと登壇する。


「ババァですって、言ってくれるわね……。こう見えても私はまだ六十と少しよ、せめておばさんって言って頂戴」

「えぇぇ~、うっそだぁ。皺くちゃのお化けみたいな顔して」

「嘘じゃありません、失礼な子ね」


 無遠慮な少年の物言いに、彼女はムッと頬を膨らませた。足を押し潰され、地面に這い蹲っている人間とは思えない、陽気な仕草だ。


「それにね、皺だってそう悪いモノじゃないのよ。”皺の数だけ優しくなれる”って名言、知らない? 昔、オードリーって素敵な女優さんがね、若い頃の顔と今の年老いた顔を比べられたときに言った言葉なの。だから今の顔の方が好きなんですって。私もそう思うわ。この顔に刻まれた一本一本が、私が必死に生きて、たくさんの生徒たちと笑ったり泣いたりしてきた証拠だもの。若い頃のツヤツヤ肌より、ずっと価値があるのよ」

「ふーん、へぇ~、あっそ」


 少年はさも興味なさそうな顔で、床に膝を付いた彼女を見下ろした。言葉を紡ぐたび、足元に血の海が広がりつつあるのも見えているはずだ。だからこそ想定通りに進まない獲物の反応に、苛立ちを隠せない。


「そんなに皺が好きなら、ボクがもっと付けてあげるよ」

「いらないわ。そんなの、ただの傷じゃない。女の顔は命なの」

「……っ、イチイチうるさいババァだなぁ……っっ」


 少年はゆっくりと右手を掲げ、彼女の頭へと照準を向ける。それがトドメを刺す行為だということは、事情を知らぬ彼女にも何となく分かっていた。


「そうやって命乞いしようっていうんでしょ? 知ってるよ、大人って皆汚いヤツばっかだから」

「さぁ、どうかしらね」

「けどそんなの知らない。ボクが殺すって決めたら、必ず殺す。グチャグチャに潰して、ゴミみたいに捨ててやる」


 交わり合う二つの視線。だが、揺らいでいるのは若い瞳の方だ。やがて耐え切れなくなったのか、少年は右手を向けたまま彼女に問いかける。


「ねぇ、おばさん。今から死ぬのに怖くないの?」

「怖くないわけ、ないじゃないの」


 まるでその問いが来るのを待っていたかのように、彼女は即答した。月光に照らされた顔は病的に青白く、既に全身から血の気が引けているのは明白だった。


「でもね、人はいつか必ず死ぬわ。どんな人にも終わりが来る。終わりがあるからこそ、人生に価値が生まれるの。早いか遅いかはどうだっていい、大事なのは締めくくり。それと――」

「………? それと、なんだよ」


 急に言葉が途切れ、続きが気になった少年は彼女の顔元まで近づいた。そのタイミングを見計らっていたかのように、死人同然のはずの手が、最後の力を振り絞るように、しかし驚くほど穏やかに伸びていく。


「え、わ、……うわっっ!?」


 予期せぬ行為に少年は慌てふためく。それまで憮然と余裕の中間にあった彼の表情は一変し、不用意な行動を後悔した。


 だが、彼女の手は予想していた首筋を通らず、少年の背中へと優しく伸びていく。


「それとね――終わりを見届けてくれる人がいるかどうか、なの」


 ――抱擁。そう呼ぶにはあまりに非力で、ぎこちない行為だった。


「な、なにしてんだ、ば、ババァ! 離せ……はなせよぉっっ!」

「あぁ、ごめんなさいね。歳を取るとどうしても自分本位に走っちゃうのよ。でも、最期に孫みたいな歳の子を抱きしめられるなんて…、おばさん幸せだわぁ……うふふ」

「ふ、ふざ―――けんなぁぁぁ!!」


 激情に塗れた表情と、幸福に満ちた表情。果たしてどちらが勝者で、どちらが敗者なのか。相反する二人の表情を見る限りでは、それは分からない。


 絶叫とともに掲げた少年の右手の平に、高重力の波動が収束する。宣告されていた死の予兆は、まもなく現実のものとなるだろう。


(あらまぁ、そんなに怖い顔しないでよ。こども好きなおばさんのちょっとした茶目っ気じゃないの)


 それでも彼女は満面の笑みを崩さず、ひっそりと目を閉じた。人生の幕引きを万感の思いで演じきった彼女に、悔いの色は一片もない。


「ぐ、ぐぐっ、『グラシャラボラス』――!」


 癇癪を起こしたような少年の叫びに応え、彼の額に刻まれた幾何学模様の痕印が鈍い青光を放つ。極限まで高められた能力によって、彼女の輪郭がボコボコと大きく歪み、そして――


   ※


「はぁはぁ……く、くそっ、なんなんだよこのババァは……っ」


 幼い顔にべっとりと付着した血と脳漿を拭いながら、少年は虚ろな目で呟く。


「ボクの事を全然怖がらないくせに、あっさり死んじゃいやがって……!!」


 今まで殺してきた大人たちは皆、無様な命乞いをしながら死んでいった。それを見るのが彼にとって何よりの楽しみだった。なのにコイツは――。


「くそ、イライラする……ちっとも楽しくない……なんだよぉぉっっ! コイツのせいだ、このババァのせいだっ、この、このぉっっ!」


 動くはずの無い亡骸を罵倒しながら、少年は攻撃を加え続けた。何度も、何度も、何度も……。


「もう、その辺にしておきなさい」


 事切れた死体の胴体を蹴り飛ばしたところで、誰かが少年を制止した。ギョロリと正気を失った瞳で声の方を向き、血塗れた手を掲げる。しかし、その能力が発動する事はなかった。


「なぁんだ、やっぱり世良(せら)か。毎回毎回ご苦労様だね」

「………」


 不届き者の正体が身内だと分かると、少年はそれまでの狂気を霧散させ、不満げに唇を尖らせた。世良と呼ばれた若い女は、一見するとキャリアウーマンのような格好をしていた。丸く纏めた後ろ髪に、ストライプの入った黒のビジネススーツ、それに何故かクリップボードに挟まれたカルテを腕に抱えている。


 世良は一瞥しただけで返事はせず、少年が転がした遺体の損壊状況を綿密に調べ始めた。血臭漂う凄惨な殺戮現場にも、彼女は眉一つ動かさずに作業をこなしていく。


「~~~♪」


 そんな世良の働きを尻目に、少年は呑気に口笛を吹いて暇を潰している。

 やがて調査結果を自前のカルテに記載し終えると、世良は胸ポケットから携帯電話を取り出し、電話越しの部下へ細々とした指示を出し始めた。恐らくは現場の後始末だろう。


 世良は一連の指示を伝え終えると、冷徹だった表情を徐々に忌々しげなモノへと変貌させながら、諸悪の根源たる少年の顔を睨みつけた。


「いい加減にして。これで何人目だと思ってるの。あなたの任務は無能力者の虐殺じゃなく、他の能力者を探し出すことでしょう?」

「えー、そんなこと言われてもさー、全然見つかんなくて退屈なんだもーん」


 少年は悪びれもせず、傍にあった机に腰掛けて足をぶらぶらと揺さぶりながら、口を尖らせた。


「幹部候補生だからって、調子に乗っていると痛い目見るわよ。瀬能亮太(せのうりょうた)

「おーこわ、怖すぎておしっこ漏らしちゃうよー!」


 瀬能と呼ばれた少年は開いていた股を閉じ、わざとらしくブルブルと震えてみせる。見た目だけの印象なら庇護欲を掻き立てられる可愛らしい反応だろうが、過激な組織の中でも冷血と名高い世良には全くもって通じない。


「でもさ、ボクみたいに殺すことしか出来ない能力者が動きまわったって、見つかるのは死体だけだと思わない?」

「だから加減ができないのなら、せめて行動を慎みなさいと言っているの。あなたの『退屈しのぎ』で生まれた死体(ゴミ)を始末する手間を、少しは考えたらどう?」


 世良がさらに言及すると、瀬能は机を叩いて叫び出した。


「あー、もー、分かった、分かったよぉ! これだから大人は嫌いなんだ、ムカつく、ババァ、死んじゃえ……」


 ブツブツと文句を言いながら部屋の隅に移動し、膝を抱えてうずくまる。暫くその体勢で待機していたが、彼の望む反応は訪れなかったようだ。


「何を遊んでいるの。無意味な時間を使わせないで」

「わっぷ……はぁ~い」


 乱雑に投げつけられた替えの服に顔を埋めつつ、瀬能は渋々従った。世良に導かれるまま、血臭漂う教室を抜け出し、校舎の外へと向かう。


「ねぇどこ行くの?」

「黙って歩きなさい、車を用意しているから」


 後始末を命じた部下と落ち合うため、世良は深夜の街道を二人で歩き始めた。途中、すれ違う通行人からは何度か視線を向けられたが、それ以上の興味を惹かれることもなかった。歳の離れた姉弟、もしくは親子に見えるのだろう。それが世良の狙いだ。


 誰もこの二人を無慈悲な犯罪者集団に属する構成員とは思わないだろう。知らぬが仏。いや、知れば仏になると言うべきか。


「ねぇねぇ、世良ぁ。見てよ見て、ほら、お月様だよ?」

「…………」

「見て、見―てーよー! こぉんな綺麗な満月、滅多に見られないんだからさ!」


 興奮した調子で話す瀬能を、世良はしばらく無視していたが、やけにしつこく絡まれるので仕方なく頭上を見上げた。


「ほら、ほらほらっ! 綺麗でしょ? ねっ?」


 そこには黒々とした星の海に漂う月があった。

 確かに月だ。しかし――世良は少しの間考えてから、儚げに輝く月の姿について、感想を述べる。


「月の形というのは見る人や場所によって異なるらしいわね」

「ハァ? だからなんだってんだよ。ボクは綺麗かどうかって聞いてるのに」

「えぇ、私も綺麗だと思うわ」

「でしょ!」


 同意を得られたのがよほど嬉しかったのか、瀬能は兎のように闇夜を駆ける。世良はすぐには追わない。脇に抱えたカルテに走り書きをしてから、もう一度月の方を見上げた。


「本当綺麗ね……けど私は、もっと『普通の』満月の方が好みかしら」


 意味ありげな呟きとともに、異能力者たちは漆黒の闇の奥へと吸い込まれていった――。

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