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第八話 不完全な自立 (6)

 真道と別れた後、秀彰は下校する生徒らの波に逆らいながら、再び旧校舎を訪れていた。


「……閉まってる、か」


 立て付けの悪い宿直室の戸を何度か引いてみたが、ガチャガチャと耳障りな音が響くばかりで、開く様子は一向にない。どうやら真田は既に帰宅済みのようだ。となれば自分も無駄骨を折らずにさっさと家路に着くべきだが、どうにも心が落ち着かない。妙な胸騒ぎがする。


(待てよ、そういや確か宿直室の裏側の窓はいつも開きっぱなしになってたな)


 一旦職員室に寄ろうとも考えたが、自分の風評を鑑みるに先生方が素直に鍵を差し出してくれるとは思えない。それよりも現実的で、かつ己の非行具合にも適した方法を思いつく。


 旧校舎を抜け出て時計回りにぐるりと廻り込むと、ちょうどグラウンドとフェンスの間に各教室の裏窓が並んでいる。その狭い隙間を早足で駆けつつ、あらかじめ数えておいた番号の箇所まで辿り着くと、そこは記憶の通り半開きだった。


「よっと……っ」


 付近に人の気配が無いことを確認してから、秀彰は窓のサッシに手を掛け、強引に宿直室の中へと降り立った。この部屋の畳を土足で踏んづけたのはこれが初めてだ。きっと真田にバレたら半殺しにされるだろう。だが、今は状況が状況だけに気にしている余裕はない。指先に付いた埃をパンパンと払いのけながら、もう十数回は訪れたであろう室内の景色を眺めてみる。


「ん、これは……?」


 移ろいでいた秀彰の視線が見慣れた丸机の前で止まる。普段なら散らかっているはずの場所が、今はやけに綺麗に整理されているからだ。その隅に一枚の便箋が折りたたまれた新聞の中に入っている。若干躊躇した後、秀彰は中身を見ようと雑に破かれた開け口を下に向けて、トントンと叩いてみた。すると薄い紙の擦れる音がして、中から数枚の写真が零れ落ちてきた。


「写真……?」


 そこに写っているのは、見覚えのない三人の男の顔だ。どれも凶悪な面構えをしている。一体この男らと真田の間にどんな接点があるのか。訝しげに見ていたが、ふと裏側を覗いた瞬間、秀彰の背筋に強烈な痺れが走った。


『役立たずの始末は完了した。次は貴様の番だ』


 脅迫的なメッセージの末尾にある聖痕民団の文字を見て、すぐに鈴峰との話を思い出した。秀彰が彼女と鶴彦倉庫で戦っている最中、真田もまた聖痕民団の刺客と人知れず死闘を演じていたという。ならばこの写真の三名は、大方その時の襲撃者だろう。そして、この手紙を読んだということは、真田は恐らくたった一人で――。


「――クソッッ!!」


 苦々しく奥歯を噛み締めながら、秀彰は天井を見上げて睨んだ。どこまでも自分勝手な人だ。他人のやることには無謀だなんだと忠告を飛ばしておきながら、いざ自分のこととなったら平気で死地に赴こうとする。先程の剣幕だって、考えてみれば妙だ。いくら激情家だといえど、あそこまで有無を言わさず他人に干渉してくるなんてことは、今まで一度もなかった。きっと、そうしなければならない理由があったのだ。他人を巻き込みたくない事情が。


(どこだ、どこに行ったんだ、真田センセ……ッッ!!)


 携帯を取り出し、教えて貰った番号に掛けてみるが、当然の如く繋がらない。喧嘩別れする直前、無理やりポケットに突っ込まれていた真道の名刺に書かれてある番号にも掛けてみたが、やはりこちらも繋がらない。つーつーという無情な電子音を聞きながら、秀彰は必死に脳味噌を働かせる。


(考えろ……もし、俺があの人の立場なら何処へ行く……?)


 秀彰は自らに問い掛けるように、心の中でブツブツと呟いてみる。無論、彼の知らない場所だって沢山あるだろう。だが、ここ最近の動向を振り返ると、殆ど毎日と言っていいほど、秀彰は真田と共に過ごしてきた。自惚れかもしれないが、彼女の行動原理を多少なりとも読み取ることは出来るはずだ。たとえそれが大きく的を外れた答えだとしても、何もせずただ結果だけを待つよりはずっと良い。

 カチカチと古びた壁時計の針が急かすように耳に入る。秀彰は目を閉じ、外界の音を遮断しながら、深い思考の海へと身を投じた。


(手紙の内容からして、既に敵の監視の目はセンセの身近まで及んでいると見るのが妥当だ。となればそう遠くには行くまい。加えて先程の真道の対応、あれは恐らく事情を知らないものと考えていいだろう。誰にも知られず、密かに刺客と相対せる場所……そうか!)


 不意に浮かんだ閃きに、秀彰はすぐさま瞼を開け放つ。答えは見つかった。


(どうせ行った所で足手まといだなんだと罵倒されるんだろうが、知った事か。このまま和解もせずにお別れだなんて不義理は、俺は絶対に認めねぇぞ……!)


 来た時同様に狭い窓から抜け出した秀彰は、煮え滾るような激情を瞳に携えつつ、一目散に駆け出していく。一方で、もしも真田の危機を救えたならば、これを期に彼女の元を離れ、特行の下に所属しても良いとも考えていた。


 不完全な状態からの自立。だが、その行為自体が不完全なモノになるとは、この時の秀彰はまるで思いもしなかった。



  ※



「……くぅ、ぅぅぅぅ!!!!!」


 一体、幾つもの刃をその体で受け止めたのだろうか。

 元は紺色だったスーツは今やボロキレのように切り刻まれ、己と相手の鮮血で赤紫に変色している。それでもなお、彼女の気迫は衰えず、瞳は鬼神のように勇壮に煌めいている。累計三桁をカウントオーバーしたナイフとメスと剃刀の嵐を掻い潜った末、真田の地獄の劫火は殺気だった男の全身を舐め尽していた。


「ぐぅぉおぉッッ!!!?」


 くぐもった絶叫。しかし男は斃れず、炎を切り裂いて決死の刃物を放つ。もはや全てを避ける事は諦めたのか、太股や肩口で数本の刃を受け止めながら、真田は鎌路に向かって疾走する。そこに躊躇や油断は無く、相手を半殺しで済まそうなんて甘い考えは存在しない。ただひたすら、自分が斃れる前に相手を斃すだけ。肉体はどちらも限界に近い。


 ならばやはり、最後に勝つのは精神力で上回っている方だ。人を殺してきた数なら鎌路の方が圧倒的に多いが、『化け物』を殺してきた数なら真田の方が上だ。鎌路は自分の理想と主のために戦っている。真田は不出来な生徒のために戦っている。


 いや――違うのか。


(赤坂のため……って言っても、アイツはもう、アタシに愛想を付いたんだろうねぇ)


 ふっと、数十分前の出来事を思い返し、一瞬だけ真田の心が緩んでしまった。その隙を鎌路が逃すはずも無く、『ザック・レスタ』の攻撃が襲い掛かる。


「ぐ…ぶっ……!!!」


 殺到する凶器、凶器、凶器の弾幕。その悉くが彼女の肢体を貫いては、肉片と鮮血の華を撒き散らす。


「……くっ、くはぁっ……ぉ、終わったか……化け物めぇ……」


 ――決定的な攻撃だった。

 仕掛けた方も地面に膝を付いては、ひゅうひゅうと不規則な呼吸を繰り返している。だが、真田の方は仰向けに倒れたまま起き上がらない。否、起き上がれないのか。


「………っ、……」


 微弱に胸元が振動し、呼吸は続いている事が分かる。しかし、口元からはいつもの冗談も、痛みを訴える声すらも出てこない。


「……ち……ぃ、まだ、生きてやがる……しぶてぇアマだ、クソぁ……っ」


 鎌路の方も全身が焼け爛れ、無残な姿を晒している。それでもなお執念で立ち上がると、地面に転がっていたナイフを一本拾い上げた。それを握り締めたまま、ヨロヨロと真田の傍へと近付いていく。


「く、は、はははっ……、これ、で終わり、だっ……!!!」


 振り下ろす力すら残っていないのか、男はガクンと転げるように足を崩すと、その勢いで真田の首筋へナイフを突き立てようとした。


「………ぃず」


 真田の表情は虚ろで、何を思っているのかは誰にも分からない。ただ口元は小さく、独り言のように何かを囁いている。ようやく自分にも死ぬべき運命が訪れたのか。彼女はゆっくりと目を伏せた。時間が止まったのか、それとも自分だけがそう感じているだけなのか。コマ送りの世界で、過去のビジョンが走馬灯のように甦る。


 無精髭を生やした男が叫ぶ。


 ――可愛くねぇ女だなぁ、お前ぇは、よぉ!!


(あぁ、そんな事今更言わなくても分かるでしょうに。相変わらず馬鹿ね)


 生意気な生徒が嫌らしく呟く。


 ――真田ほど『先生』が似合わない人も居ないですよ。


(悪かったわね。これでも気にしてるんだから、あまりそういう事言わないでよ)


 年老いた老教師が優しい眼差しで説く。


 ――枠の中で生きる事も大切ですが、たまには貴方みたいな型破りが居ても楽しいですよ。


(懐かしいなぁ、林の婆さん。この人がいなければ、今頃アタシは……)


 浮かんでは消える、まるで泡のような儚い記憶。他人の目からはガラクタに見える思い出も、彼女の中では今なお宝石のように輝いている。


「……ライズ」


 粗忽(そこつ)で横暴な女教師、真田煉華が築き上げてきた思い出は――、


「『リアライズ』ッッ!!!!」


 絶望に染まった彼女の心を奮起させるには充分な代価だった――。

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