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第八話 不完全な自立 (4)

(くそっ!!)


 夕暮れ時の駅前通りを、秀彰は無我夢中で駆けていた。ロクに前も見ず、邪魔な通行人らに肩がぶつかろうとお構いなしに、ただ走る。中には当然、怒りを露わにして掴みかかる連中も居たが、逆にこちらが凄んでやると押し黙り、すごすごと引き下がっていく。低俗な優越感が一瞬だけ胸を満たし、すぐにドブ底のような嫌悪感がそれを焼いた。目に映る何もかもが鬱陶しい。


(あんな自分勝手な女を信用した俺が馬鹿だった……!)


 期待を裏切られたという喪失感が、記憶の中の思い出すら黒く塗りつぶす。熱くなりすぎているのは自分でも分かっている。だが、冷静になれと思えば思うほど頭の熱は更に高まり、正常な判断をさせてくれない。だから秀彰は走った。走り続けた。燻った感情が消え去るまで、ひたすら無我夢中に。


 どれくらい走っただろう。息切れを感じて足を止めた途端、フラリと倒れこんでしまいそうな疲労感に苛まれた俺は、その場で膝に手を付き、一時の休息を取ることにした。


「はぁ……はぁっ、……ふぅ」


 荒ぶる息を整え、ふと顔を上げると目の前には小さな交番があった。開けっ放しの戸の向こうでは二人の男性警官が背広を着た長身の男と、隣り合った机を挟んで何やら話し込んでいる。


 と、ちょうど用事が済んだのか、背広の男が椅子から立ち上がってこちらへと歩き始めた。その後ろでは二人の警官が、敬礼しながらその男を見送っている。妙な待遇だなと思うより早く、秀彰は背広男の顔を見て、思わず声を掛けていた。


「アンタは、あの時の……」

「んぁー?」


 気の抜けるような間抜けな声がソイツの口から漏れたかと思いきや、すぐにニヤッと獣染みた獰猛な笑いに変わる。まるで静と動とがスイッチで切り替わるかのような、極端な態度を持つ人間を秀彰はもう一人知っている。加えて、彼女と同種のニオイを目の前の男からも感じていた。


「おぉ、誰かと思えば例のボウズじゃねえか。元気そうでなによりだ」


 言いながら男は右腕に挟んでいたトレンチコートを取り出すと、バサッと大きな音を立てつつ、慣れた調子で一気に纏った。短く揃えたオールバックの黒髪に威圧的な眼光、額に痛々しく刻まれた一文字の傷痕が、彼の異質な存在感を醸し出している。


 見間違えようもない。入学式の日、秀彰が初めて遭遇した痕印者と死闘を演じた後に現れた刑事風の男。当時は名乗らなかったが、彼はソイツの名前を知っている。


「真道、龍一……」

「どうして俺の名前を知ってるんだ、って問いたいトコロだが、生憎事情はあの腐れ縁女から聞いているんでな。別に驚きゃしねぇさ」


 低い声でそう告げると、真道はコートの懐から煙草の箱とライターを取り出して一服しようとしたが、ふと背後から感じる警官らの視線に気付いたのか、トントンと箱を指で小突いて寂しげに懐へと戻した。


「ちょっくら場所を変えて話そうや。ここじゃちと目立ちすぎるからな」

「話って、俺は別に……って、おいっ!?」


 真道はあろうことか交番の脇に停めてあったミニパトの後部座席へ秀彰を無理やり押し込むと、自らも運転席に乗り込んで勝手にエンジンを掛け始めた。あまりの手際の良さに怒ることも忘れ、秀彰は呆然と車窓の外を眺めていた。ガラスの向こうには先程の警官二人が、あちらも呆然とした面持ちでこちらの様子を眺めている。


「……良いんですか、勝手に運転しても」

「マズけりゃ止めてるはずだ。彼らだってカカシじゃない」


 真道は素知らぬ顔で言い放つが、警官の反応を見る限りあれは完全に予想外の反応だった。きっと何かしらの特権がこの男には与えられていて、それで仕方なく見逃したと見るのが妥当だろう。考えたくもないが、もし将来この男の下で働くことになったら、後々尻拭いで大変な目に遭うのは想像に難くない。


 ルームミラーを見ると、いつの間に準備したのか真道の口元には火の点いた煙草が差し込まれていた。道理で先程からやけに煙たい訳だ。副流煙で満たされた車内の空気を入れ替えようと、秀彰は勝手に車窓を開けた。なんて自分勝手な男なんだ。内心でそう毒吐いている間に、気付けば秀彰の頭に上り詰めていた血はすっかり冷めていた。


「俺を何処に連れて行く気ですか?」

「どこって決まってるだろ、俺の職場。公安特務執行部水橋支部だ」


 ハンドルを片手で捌きながら、真道は事も無げに告げる。なるほど、と秀彰の中で合点がいった。薄々感じてはいたが、真田が口添えしたという特行の知り合いとはこの男、真道の事だったのだと。


「……………」


 再び車窓の外へと視線を投げ、秀彰は静かに溜め息を吐いた。もしかすると真道は、このまま自分を組織に引き入れるつもりなのか。いや、彼にその気が無くとも、真田の依頼とあれば協力を惜しまない間柄なのかもしれない。腐れ縁とボカしていたが、仮に昔の交際相手だったとしたらどうだ。どちらが立場的に上なのかは知らないが、あの暴力女教師のことだ。過去の男の弱みくらい、余裕で握りしめていそうな雰囲気はある。


「……くくっ」


 不意に車内に響いた笑い声は、秀彰のモノではなかった。


「何がおかしいんです?」

「いや、なんつーかボウズの顔が通夜の参列者みてぇに暗かったからよ、『ドナドナ』って歌を急に思い出して笑っちまっただけだ」


 小馬鹿にされたような笑い方にムッとしてミラーを睨んだが、真道は依然としてフロントガラスの向こうを注視したまま、余所見をする素振りは見せない。パトカーという国家権力の象徴を運転しているせいもあろうが、法定速度を遵守した緩やかな走りで住宅街路をのんびりと進む様は、どうにもこの男の印象とそぐわなかった。平気でカーチェイスや追い越しをするようなタイプだと思っていたのに。


「つまりは俺を出荷するってコトですか。その特行とやらに」

「おいおい、人のコトを奴隷商人みたいに言うなよ」


 赤信号に引っかかると、真道は鼻から濃煙を棚引かせながら、車用灰皿にトントンと灰殻を落とした。


「俺はあの激情家、ボウズにとっちゃあ先生にあたる人に頼まれた口なんだぜ?」

「だからなんですか。勘違いしているようなので言っておきますけど、俺はまだ特行に入ると決めたワケじゃありません。真田セン……セイが、勝手にアンタと連絡を取って進めた話だ」

「ほう、ならお前さんはまだアイツの下で痕印者としての心得を教わりたいって言うのか?」


 信号が変わり、エンジンが哮りを上げる。アクセルをベタ踏みでもしたのだろうか、発進と同時に俺の身体はガクンと後ろに倒れ込みそうになる。先程までの安全運転とは打って変わり、速度超過しないギリギリのスピードで公道を駆け抜けていく。それは有無を言わさぬ、強引で傲慢な脅しのように思えた。


「……っ、それは……」

「そこまで執着する理由が俺には分からねえなぁ。そんなにいい女か?」

「違うっ!」


 不意に二人の乗った車が、ガツッと嫌な音を立てて左右に揺れた。それはタイヤの下に入り込んだ小石が跳ねて暴れたせいだったが、そのアクシデントの元凶は後部座席に座る男子学生の仕業だった。


「――うをっ!?」


 前後に他の車の影が無かったのは、不幸中の幸いだった。真道の運転する車はフラフラと危うい蛇行運転を続けた後、路肩に突っ込みかけながらも何とか無事に停止した。


「あ、あっぶねぇなぁ……もう少しで懲罰モノだったぞ」


 ハンドルに上半身をもたれ掛かりながら、真道は首だけ上に傾けてルームミラー越しに俺の顔を覗き見た。そこには怒り半分驚き半分といった食えない表情が浮かんでいる。


「癇癪起こすのは別に構わんけども、俺ごと自爆させようってのは迷惑極まりないからやめろや」

「……ふん」


 どうやら真道は誰に原因があるか思い至ったらしい。てっきり振り向きざまに顔面でも殴られるのかと構えていたが、意外と平和主義者のようだ。秀彰は鼻から強く息を吐き出すと、消化不良の感情をぶつけるように唇を尖らせながら続きを漏らす。


「そんなんじゃない、俺はただ真田センセに約束を果たして貰いたいだけだ。一人前の痕印者になるまで面倒を見ると言ったのに、途中で投げ出すなんて教職者として、いや、大人として恥ずべきことだろ。失望を通り越して呆れるくらいだ」

「ははぁ、そういうことか」


 秀彰の独白を聞き終えた真道は、不精に伸びた顎ひげを手の平で擦りつつ、何やら面白げなオモチャを見つけた子供のように、ニヤニヤと無礼な笑みを顔中に貼り付けている。


「青いねぇ、実に青々しくてよろしい」

「何がだよ」

「要はアレと喧嘩したって事だろ? それで引っ込みがつかなくなって飛び出したところ、俺とバッタリ出くわしたってワケだ」

「な、なんでそこまで……っ!?」


 言って、ハッと口を押さえるが後の祭りだ。真道は愉快げに口笛を一つ吹いてから、新しい煙草に火を点け始める。


「ま、ボウズの気持ちも分かるし、アイツの大人気なさも俺は重々承知している。なにせアイツは昔からあぁいう性格の女だ。自分の傍に居ることで仲間を危険に晒していると分かったら、有無を言わさず遠ざけようとする。勝手なヤツだ。けど、ボウズもそれは承知で師事を仰いだんだろ?」

「勿論。けど俺は別に、自分がどうなろうと知ったこっちゃな――」

「それだ。その考えが余計にアイツを追い詰めてるんだよ」


 急に真道の眼光が鋭さを増し、瞳の奥に怒りの炎が灯った。その迫力に気圧された秀彰は、何も言えないまま押し黙ってしまう。


「自暴自棄ってのはな、守る側の人間からすりゃあ限りなく厄介な性格だ。放っときゃ勝手に野垂れ死ぬからな。だから常々目を光らせながら、ソイツを見張ってなきゃいけない。といっても所詮はどちらも人間、不意に油断することもあるだろう。期せずして集中力が切れたところを敵に狙われる可能性だってある。そうした不測の事態まで考慮して、アイツはお前を俺に託したんだろうよ」


 まるで魂の通った双子のように、真道は真田の気持ちを代弁し、そして迷いなく断言した。ズキリと胸の奥が傷んだのは、その意見を秀彰が知らず内に受け入れ、納得したからだろう。あれだけ高まっていた真田への反発心が、今では台風の目に呑まれたかのように、ピタリと止んでしまった。


「……そこまで考えて、センセは俺を……」


 秀彰はルームミラーから視線を外し、黒いレザーシートの掛かった後部座席の真ん中をぼんやりと眺めながら呟いた。真道の話を全て真に受ける気はないが、逆に自分の意見を変わらず貫き通せる自信も失っていた。ならば一体、どうすればいいのか。漠然とした不安が秀彰の思考に薄っすらと靄を掛けていく。


「ま、今俺が言ったのはあくまで個人的な観点からの想像だ。本人の前では言うなよ。絶対ブチ切れて、俺まで焼き殺されちまうからな」


 カチカチと規則正しく点滅していたハザードランプが消え、再びエンジンの勇ましい音が車内外に響き渡った。ハンドルを握った真道は不敵に笑みを零すと、次の交差点で大きくUターンを試みた。


「だから真実はお前さん自身の眼と耳で確かめろ。なぁんてカッコつけちまったけどよ、つまりはアレだ、喧嘩の仲直りは早い内にした方が後引かなくて良いってこった。ふはっ、これは俺の実体験から導き出された経験則だから、間違いないぜボウズ?」

「色々と苦労してるんすね……」

「ケッ、そういうのは止せよ、なんか惨めになっちまうだろうが」


 秀彰の安い同情を嫌がってか、真道は荒々しく煙草を掴むと、残り少なくなった煙草を灰皿へと押し付け、くしゃりと潰した。


「**高校だったな? そこの校門前で捨ててやるから、後は勝手にやってろ」


 投げやりな口調とともに吐き出された残留煙は、見事な龍の姿を描きながら立ち昇ると、やがては半開きの車窓の隙間から逃れるようにして消えていった――。

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