第八話 不完全な自立 (2)
「――焔心の魔女?」
聞きなれない呼び名を耳にして、秀彰は思わず問い返していた。
「そう、それが真田先生の通り名。自分で付けたのか、あるいは誰かに名付けられたのかは不明だけれど、組織内部でも浸透している程には有名よ」
問い掛けに答える女生徒は美しく知的だが、胸元には不調和な西洋人形が抱え込まれている。今は昼休み、新校舎裏にある校庭のベンチ付近は人通りがまばらで、隠れて話すには都合が良い。といっても、秀彰も鈴峰も変な意味で有名人なので、通りがかった生徒らにはやはり奇異な視線を向けられる。
「自分で付けたんならお粗末過ぎるな。まんま、能力を暗示してるじゃないか」
「そうね。本来、痕印者の能力はギリギリまで秘匿しておくべきというのが通例。手の内を明かし、事前に対策を講じられては対等な戦闘なんて出来ないでしょう。けど、そんなハンディを背負ってもなお、あの人は打ち倒されずに生きている。組織にとって、その名は脅威以外の何者でも無いわ」
ふと、鈴峰の美貌に見惚れたらしい一人の男子生徒が歩を止めてこちらを見る。すると必然的に隣の目つきの悪い男子とも視線が合う事になり、伸びていた鼻の下が急速に元の長さへと戻っていく。別に睨んでいるつもりはないのだが。
遠ざかる足音を聞きながら、秀彰はやるせない溜め息を吐いた。これで三人目だ。
「……俺がアンタに呼び出されていた時も、真田センセは組織の奴らと戦ってたって言ったよな?」
「えぇ、詳細は知らされていないけど、実力者を複数人送り込んでいたという情報は聞いていたわ」
「それを一人で返り討ちにしたってか、あの人は」
秀彰は首を動かし、晴天な空模様を見上げた。つくづく化け物だと思い知らされる。
「今更な感想ではあるけれど、私も向こう側の班に居なくて良かったと思うわ」
「真田センセに焼き殺されるからか?」
「それもあるし、もし仮に生き延びたとしても、拠点に戻ればどんな目に遭うか分かったものじゃない。無様な敗北者が辿る末路に興味はおあり?」
「いや……、話さなくていい」
秀彰は手のひらを突き出して制止した。想像しただけで気分が悪くなる。だというのに、隣で座る喋りたがりの先輩は人形の髪を手櫛で梳かしながら、意味ありげな笑みを口端に浮かべていた。もしやこの死体愛好家の変人は自分が死ぬ姿を後輩男子に想像させたかったのか、だったら悪趣味にも程がある。
「そう、残念。組織が如何に残虐か、知ってもらいたかったのだけれども」
「だとしても、そんな嬉しそうな顔で話すことじゃないな」
「だってこうして赤坂くんと話しているだけで、私は嬉しいもの」
「……」
本気か冗談か分からない言葉を、微笑を湛えて言われても、どう捉えていいのか分からない。秀彰は仕方なく、話題を変えようとした。
「アンタの組織が真田センセを危険と認識している状況は良く分かった。しかし、だったら何故俺まで狙われたんだ?」
一応、秀彰も痕印者の端くれではあるが、新米も新米の未熟者だ。わざわざ狙われる理由が分からない。
「何度も言っている通り、私も組織では末端に属していた人間だから上層部の判断なんて知り得ないわ」
「そうだったな、悪ぃ」
表情や口調には変化は無かったが、それでも微かに鈴峰の感情が負の方向へと揺らいだ気がして、秀彰は咄嗟に謝っていた。
「ただ――これは私が組織内で耳にした断片的な情報を集めた結果の、いわゆる仮説なのだけれども、赤坂くん襲撃の件には瀬能亮太という少年の存在が一枚噛んでいるように思えてならないの」
「瀬能……? 誰だソイツは」
真田の通り名と同じく、秀彰の耳には聞きなれない言葉だ。だが、不思議と嫌な雰囲気というか、苦々しいモノが込み上げてくる。
「組織の次期幹部候補として持て囃されている子よ。幼い外見とは裏腹に、ゲームのように人殺しを愉しむ性格から、別名『悪魔の仔』と呼ばれているわ。記録上では真田先生ともう一人、無名の痕印者と交戦して半死半生の身になったと記されているけど」
「あぁ……ソイツなら覚えがある」
特徴を聞いた秀彰はすぐにそれが、公園で邂逅した『グラシャラボラス』という重力を操る痕印を宿した子供の事だと、合点がいった。
「察するに、恐らく組織は赤坂くんの実力を測る意味もあって、私を仕向けたのだと思うわ。たとえ返り討ちにあったとしても差し支えのない、使い捨ての駒として選ばれたのが、私」
さらり、と鈴峰が髪をかき上げる。控えめなコロンの香りが、秀彰の鼻腔を刺激した。自嘲めいた言葉も相まって、酷く感傷的な気分になる。
「けど、これでいいの。私にはもう聖痕民団に属する理由が無いし、戻る気だって無い。貴方から貰ったこの子のお陰で、私の趣向は変わったの」
言いながら鈴峰は胸元に抱いた人形の頭を撫でる。前に渡した時よりも、服装がやけに豪華になっていた。よく見ればバッグまで所持している。
まさかここまで大事にされるとは思ってもみなかったので、秀彰も内心動揺していた。長年庭の倉庫に埃まみれで放置していた事が今となっては悔やまれる。
「そうか、気に入ってくれたのなら良い。元々ソイツは親父が残したガラクタだったからな」
「ガラクタなんて失礼ね。この子のお洋服を揃えに近くのアンティークショップに寄ってみたら、数十万円は下らない代物だと言われたわよ?」
何気なく答えた鈴峰の言葉に、秀彰の細い目がカッと見開かれた。
「マジかよ」
聞き間違いでなければ、とんでもない金額だ。それを知っていれば、埃まみれで放置など絶対にしなかっただろう。
(いや、数十万円の価値があるってんならたとえ中古でも売っちまえば……)
顎に手を当て、真剣に考えを巡らせていると、鈴峰から鋭い言葉を投げ掛けられる。
「ねぇ赤坂くん、『こんな事なら譲る前に売っていれば良かった』なんて思っているでしょう?」
「あぁ、その通りだ」
本音を隠さず、秀彰は正直に答えた。すると何故か鈴峰の口端が釣り上がり、いつもの微笑が消える。満面の笑みなのに、背筋が冷えるほどに恐ろしい。
「本気でそう思っているのなら、今すぐにでも返却してあげるわ。代わりに赤坂くんが私の部屋で一生を氷像として過ごすことになるけれど、それでも良い?」
「悪かった、冗談だ」
穏やかだが、的確に心を抉る口調に耐え切れず、秀彰は即座に頭を下げた。だが、彼の言葉を聞いているのかいないのか、鈴峰は目を細めてさらに言葉を続ける。
「遠慮しなくてもいいわ。私としてはどちらの選択肢でも魅力的で捨てがたいから。貴重な体験でしょうね、動く事も喋る事も出来ず、ただ虚ろな目で私の死を待つだけの生涯というのも――」
「その子を一生大切に扱ってくれ、頼む」
このままでは本当に氷像にされそうだ。秀彰は手を合わせ、心から懇願した。するとようやく鈴峰の表情が和らぎ、普段の微笑へと戻る。これで修羅場が去ったと安堵した直後だった。
「ふふっ、勿論よ。貴方も含めて、ね」
とんでもなく意味深な言葉を残し、鈴峰は優雅に立ち去っていった。それと同時に、遠巻きから秀彰達の様子を観察していた生徒らが一斉に移動を始める。
静けさを取り戻したベンチの上で、秀彰は誰にともなく呟いた。
「……真田センセ並に恐ろしいな」




