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第七話 冷製人形 (6)

 閉じた瞳の裏側に断片的な映像が浮かんでは消えて、又浮かぶ。揺れる揺りかご、豪奢なシャンデリア、壮健な紳士に連れ添う麗しき淑女、派手に割れた皿の転がるキッチン、暗転、晴れやかな空の下に開かれた入学式、嗤う子供の顔、ズタズタに切り裂かれた机、暗転、暗転……。


 移り変わる世界の中心には常に一人の少女が居た。病弱で引っ込み思案で、本くらいしか友達の居ない彼女の事を、私は誰よりも良く知っている。


(これは……夢ね)


 そう自覚した途端、パッと映像が――記憶の中の場面が切り替わった。立派な武家屋敷の門戸を背に、白のワンピースを着た少女がはにかみながら佇んでいる。視線の先には、襟付きのシャツを着てカメラを構える少年の姿。少年の方がやや年上で、内気な少女に対しても気さくに話し掛けている。


(……そしてまたあの時の、か)


 白い歯を見せながら笑顔で手を伸ばす少年の下へ、少女が駆け寄っていく。と同時に、急に映像が乱れ始めた。まるで早送り中のビデオのように、凄まじい速さで時間が進み、状況が変化していく。


(…………)


 やがて早送りが収まると、再び場面が動き出す。そこは読経が響く寺の中で、少女は――まだ小学生だった私は、状況も理解出来ぬまま両親と祖父母に連れられ、葬儀に参列していた。


 忘れようとも忘れられない記憶。消したくとも消えてくれない思い出。故人は従兄、先程まで一緒に遊んでいた少年だ。


 私は泣いていた。心の底から悲しくて、僧侶の読経をかき消すくらいの大声で泣きじゃくっていた。私だけではなく、従兄を慕っていた近所の子供らも皆、喉を詰まらせながら泣き喚き、大合唱となって寺内を響かせていた。


(あの頃の私はまだ、普通の子だったわ。少なくとも、今よりはずっと――)


 読経が終わり、故人に近しい者から順番に棺へ花を供える。赤く目を腫らした私も一輪、母から預かっていた。棺に花を入れる際、従兄の死に顔を見てか、多くの子供がまた泣いた。献花を順番で並んでいる時は、私も死体を見るのが怖かった。


(ならば尚更見るべきではなかった。目を背けたまま、手に余る献花など親に預けてしまえば良かったのに……)


 やがて私の番が訪れる。母に優しく背を押され、私はゆっくりと死体に近付いていく。生き返ると怖いなと、子供心に思っていたりもした。


(恐怖を感じていれば良かった。素直に涙を流すだけで良かった……)


 開いた棺の隙間から、震える手を抑えつつ、花を添える。


 まず、顔の青さを見て、驚いた。 ”――恐怖――”。

 そして、動かない従兄を見て、泣いた。 ”――哀悼――”。

 やがて、綺麗な死に顔を見て、興奮した。 ”――目覚め――”。



  ※



「……っ、ぅっ……!!?」


 頭痛を伴う猛烈な不快感で鈴峰は目を覚ました。反射的に布団を捲り上げて、上体を起こす。


「……ここ、……は」


 視線を左右へと巡らせている内に、自然と口から声が出た。覚醒した場所はどこか見覚えはあるものの、途切れた記憶とは一致しない。シーツも布団もやけに白く、鼻孔には絶えず消毒液のニオイが運ばれてくる。組織の管理する病院の一室とも考えたが、それにしては医療設備が簡素過ぎた。


「目が覚めたのか」

「っ!?」


 不意に傍から声を掛けられ、鈴峰は咄嗟に身を強張らせる。仲間と判断するには早計だ。いや、そもそも彼女には寝起き姿を許せるほど信頼のおける仲間なんて一人も居ない。


 充分に警戒心を漲らせながら振り向くと、そこには見知った顔があった。とはいえ、あまり喜ばしい相手ではなかったが。


「……赤坂、くん」

「見ての通り、学校の保健室だ。つっても、優等生なアンタにしちゃ馴染みの薄い場所かもな」


 薄桃色のカーテンの隙間から半分だけ顔を出している男子――赤坂秀彰は、鈴峰が所属する組織『聖痕民潭』の敵対リストに追加された、新顔の痕印者だ。


 そして、数刻前に彼女が万全の罠を張って誘い込んだ挙げ句、無様に敗れた相手でもある。


「やめとけ、起き抜けの状態じゃロクに戦えないだろ。それに……」


 鈴峰の睨むような視線を感じた彼は個室ベッドのカーテンレールを一気に開け放ち、斜陽の差し込める背後の窓を示した。窓の外には保健室に隣接した校庭が広がっており、運動部の勇ましい掛け声が音漏れのように耳に響いてくる。


「ここなら砂も石も大量にあるし、地面も近い。なまじアンタの『力』を見た後だったら、負ける気はしないな」

「ふん、私を殺せば土方くんの行方も生命も永遠に失われてしまうということを、もう忘れたの?」

「あぁ……しっかり覚えてるさ。だから俺から喧嘩を仕掛ける気はねぇ」


 そう言いつつも、秀彰の瞳は闘争心を掻き立てられた猛獣のようにギラつき、滾っている。自分の生命を守るためなら、たとえ友人の生命と引き換えにでも相手を殺すと、瞳の奥に潜む意思は力強く主張している。


 だが、暫くその光を眺めていた鈴峰はふと、それは気持ちの裏返し、虚勢だと感じた。最初に対峙した時なら、彼が持つ底知れない迫力に呑まれて信じてしまっただろうが、結局鈴峰がこうして穏便に生き残っているのも、その証拠の内だ。良く言えば人間らしさ、悪く言えば詰めの甘さが彼の心中に燻っている。他人の命を奪うには、まだまだ心の穢れが足りていない。


「……ふふ、いいわ。私も平和的に解決する方が好みだし、ね」


 自分でも癖の一つだと自覚している、頭を振って髪を靡かせる仕草をした途端、ズキリと肩周りが痛んだ。そういえば砂入りのペットボトルを飛ばされた時に鎖骨を折られていたことを思い出す。常人に比べて、痕印者の身体は頑丈で回復も早いが、さすがに数時間で骨折が治るとまではいかない。


 指を滑らせて患部に触ると、湿布らしき感触があった。それが示す意味を思い浮かべ、鈴峰は口に出さず小さく笑う。勘の悪い彼はただただ気味悪く思って視線を鋭くしたが、別に言う必要はないので黙っておくことにする。


「ところで、真田先生はお元気かしら?」

「あん? あの鬼ババァがそう簡単にくたばるはず無いだろ」


 当たり前だ、と言わんばかりの口調で秀彰が答える。その様子から察するに、どうやらあの女は組織が差し向けた刺客の事を秘密にしているようだ。幹部未満とはいえ、それなりの手練を複数名用意したと聞いていたが、さすがは悪名高き特行のエリート痕印者。役者が違ったというべきか。


「そう、てっきりあの女狐が私を尋問、いえ、拷問するものかと思っていたから」

「女狐って……アンタ、以前から真田センセと面識あったのか?」

「いいえ、痕印者としての彼女とは一度足りとも出会ったことは無いわ」


 サラリと言い流したが、秀彰の方は恩師を馬鹿にされたのが不服らしく、苛立った眼で鈴峰の顔をジロリと睨んでいる。面白い、何ともからかい甲斐がある子だ。


「それほど有名だという話よ。真田煉華という名前はね」

「それに比べりゃ俺は格落ちってワケか。ケッ、ナメられたモンだな」

「あら、自己分析は得意なのね。珍しく的を射た意見じゃない」

「……っっ」


 ピクリと彼の眉が引き攣り、握りしめた拳がわなわなと震えだした。こと戦闘においては冷静で隙のない強者だが、ひとたび皮を剥いたら歳相応の少年だと分かる。


 まだまだ青い、純朴な男子だ。知らず内に鈴峰の口角が上がる。


「随分と挑発的な態度だな。次は鎖骨じゃ済まねえぞ」

「そうね、貞操くらいは守りたいけれど、駄目かしら?」

「……っ、違う、そういう意味じゃない」


 鈴峰が少しからかうと秀彰は咄嗟に視線を逸らし、むっとした顔で呟く。頬が赤く色付いているのは彼女の気のせいではないだろう。嗚呼、面白い反応だ。


「照れなくとも、世間一般の男子高校生なら正常な欲求でしょうに」

「あぁクソ、そういう事か。アンタ、分かっててからかってんな?」

「あら、どうしてそう思うの?」


 秀彰は上下の歯を擦り合わせながら苦々しい表情を作ると、不貞腐れた児童のような声で鈴峰に言った。


「そのニヤついた顔、どっかの馬鹿野郎にそっくりなんだよ」

「ふふ……」


 望み通り、彼の親友の笑いに似せて口端を歪めてみせた。するとまた、苛立ったような困惑したような、不思議な表情をして鈴峰の顔をジロリと睨む。久方振りに他人に対して興味を惹かれ、死闘の余韻も忘れて彼との会話を続けようとしたが、不意に薬品棚に映る自分の顔を見た瞬間、現実の重みが鈴峰の儚い気持ちを掻き消していく。


(所詮、私は異常性癖者。狂人の分類から外れる事は今世では無いでしょうね)


 これは束の間の楽しみなのだと、鈴峰は誰とも無く自分自身に言い聞かせた。


「……それよりアンタ、自分は死体愛好者って言ってたな?」

「えぇそうよ。ついでに蒐集家の気もあるわ」


 鈴峰は正直に自分の性癖を秀彰に告げる。親には勘当され、精神科医からは重篤な症状だと専門病棟への入院を薦められたが、果たして彼はどう反応するのだろうか。歪んだ愉悦が彼女の乾いた心をくすぐって止まない。


(さぁ、どうするのかしら、赤坂秀彰。私を罵倒するか、説得するか……。どちらにせよ、他愛のないお説教が私の心に響くとは到底思えないけども)


 捻くれた心持ちのまま、鈴峰は笑みを浮かべて二択の答えを待っていた。


「ほら」

「……っ?」


 しかし、秀彰の答えは否定でも肯定でもなかった。ぶっきらぼうな動作で椅子の上に置いてあった物体を拾い上げると、そのまま鈴峰に投げて寄越した。驚いて思わず手を出して受け取るも、その物体は思っていたよりも大きく、ズシリと生物的な重みがあった。


「これ……は?」

「人形だ」


 確かに、彼が投げ渡したのは50cmくらいの大きな人形だった。髪は金色、瞳は翠色をした、西洋風の渡来人形のようだ。年代物らしく、今どきのお人形と比べると顔の造形はリアルで、不気味な部類に入るのかもしれない。けれど、洋服や指の先など細部まで精巧に作られており、職人が心血を注いだ証ともいうべき生命の息吹さえ感じられる。


「…………??」


 両手で支えるのは難しいので、私は人形を抱きかかえたまま、神妙そうな顔を浮かべた。目の前で、人形が置いてあった椅子に腰掛ける後輩男子の意図が全く掴めない。


 何故、人形なんぞを私に渡すのか? 一体何故に?


 例えばこの中に特殊な爆薬が封じてあって、彼の意志一つで木っ端微塵に爆発させられる。そんな悪趣味な事も考えたが、それは余りにも回りくどいというか、勿体無いというか。


「まぁ、アンタの言いたい事も分かる。けど、まずは俺の言い分を聞いてくれ」


 鈴峰の疑念を感じ取ったらしく、秀彰はこほんとわざとらしく咳払いをしてから、その理由を話し始めた。


「死体愛好ってのはこの世じゃ到底受け入れられない、実行すれば即刑務所行きの異常癖だ。だからと言って俺がそれをやめろなんて云うつもりは無い。そんな義理も、権利も無いしな。ただ思うのは、その世の中から敬遠される趣味ならば、いっそ別の物に昇華してしまえばいい。アンタの望む美しさは――その人形では叶えられないのか?」

「……え?」


 暫し、鈴峰の脳が停止状態に陥る。パチクリと瞼を開閉しながら時間を稼ぎ、ようやく動き出した思考を繋ぎ合わせると、つまり彼は、この人形で私の欲望を代替わりしろと、そう言いたいのだろうか。


「……ふっ」


 吹いた。鈴峰の口は自然と、嫌味ではなく、吹き出してしまった。馬鹿馬鹿しい。頓珍漢(とんちんかん)にも程がある。彼女が望まずに生きてきた数年間の中ですら、そんな愚直な答えなんて一度も出てこなかったというのに。


「この年でお人形遊びなんて、恥ずかしいわ」


 言いながら鈴峰はぎゅっと人形を抱きしめる。無機質な触感は不思議と暖かく、優しかった。


「ソレ、結構高いらしいぞ。つっても俺にとっちゃ、親父の残してったガラクタに過ぎんがな。一応丁重に扱ってくれ」

「…………」


 ガラクタとは酷い言い草だ。恐らく鈴峰に恩を着せまいと言っているのだろうが、組織の幹部から伝えられていた秀彰の身辺情報を思い返せば、彼の父親はすでに――。


(本当に勝手で、ズルい男ね……)


 実際のところ、指令対象の抹殺および懐柔に失敗し、なおものうのうと生き延びている鈴峰の行き場など、どこにもない。組織から見れば、所詮は使い捨ての末端構成員だ。戻れば無能者と処罰され、逃げれば裏切り者と処刑される。


 ならばいっそ、氷漬けにした土方(アレ)を元に戻して、『焔心の魔女』の庇護に入った方が賢明なのではないかとも思う。しかし、それは鈴峰久美子としての主義を捨て去る事に他ならない。だから彼女に残された道は、『死ぬ』か『殺される』かの二択しか無いのだと思っていた。


 そう、この男の酔狂な提案を聞くまでは――。


「……少し、時間を頂けないかしら。大丈夫、土方くんの事なら多少日数が経過したところで生存状態に変化は無いわ。ただ、決断するには相応の覚悟が必要だから」

「そうか」


 短く答えた秀彰は椅子から立ち上がり、そのまま保健室から出て行ってしまった。本当に勝手な男だ。まだ私は人形の礼すら言っていないのに。


「……ふ、ふふ、あはは……ははっ……」


 いつしか鈴峰は、誰も居ない保健室で笑っていた。作り笑いではない、本来の笑いを浮かべたのは一体いつ以来だろうか。


 ……まぁ、構わない。どうせこの笑いを見聞きしているのは、膝元にいる新しい友達だけなのだから。



  ※



 あれから三日後。秀彰がいつもの通学路を一人で歩いていると、横から心底辛そうな声が耳を叩いた。


「聞いてくれよ、親友ぅ……、オレはもう駄目だぁ」

「お前が駄目なのは普段通りだろ」


 相変わらず校則違反の頭髪に、着崩した制服のお調子者。土方信吾だ。


「酷ぇ。けど、話くらい聞いてくれよぉ」

「どうせ鈴峰センパイと別れたんだろ?」


 秀彰は素知らぬ顔で返してやる。あの一件以来、鈴峰とは顔を合わせていないが、そうなるべき関係なのは予想出来ていた。


「な、な、何でお前が知ってるんだよぉ!!?」

「近いしウザいし鬱陶しいぞ、朝っぱらから大声で騒ぐな」


 事情を知らない信吾は驚き、秀彰の首元を掴んではブンブンと振り回す。周りに居た生徒らはそそくさと小走りに傍から離れていき、中にはあからさまに邪険な視線を示す者もいる。


 とそこへ、一人の女生徒が颯爽と近付いて声を掛けた。


「あっ、す、鈴峰先輩! おはようございま……」

「おはよう、赤坂くん」


 元気よく挨拶を返した信吾を軽くスルーし、仏頂面の秀彰と親しく挨拶を交わすのは話の渦中にいた三年生の鈴峰久美子だ。


 久々に顔を合わせた彼女からは以前のように敵意を向けられる事はなかったが、それでも傍に寄られるだけでどこか独特な威圧感を感じさせる。仮にも命を奪い合った仲なのでそれも当然の話なのだが、かといって挨拶を無視するのもばつが悪いと秀彰は声の方に向き直る。


「おはようございます、鈴峰センパ……って、それは」


 返事の最中、思わず視線が鈴峰の腕元に釘付けになる。それはどうやら他の生徒らも同じようだ。


「あぁ、この子のこと? 結構気に入ってるのよ、可愛いし」


 そう言って鈴峰が両腕で大事そうに抱えているのは、秀彰が渡した西洋人形だった。いや、よく見ればいつの間にか服飾のリボンが増えている。


「貴方の言ったとおり、この子がいれば『渇き』を代替出来るかもしれないわね。人形が持つ美しさも半永久的なモノだから」


 それに怪しまれないし、と鈴峰は微笑むが、周りの人間からは凄まじい視線を集めている。まさかとは思うが、校内や教室内でもずっと一緒に過ごすのだろうか。この人の事だから、なまじありえないとは言いがたい。


 だが、続く鈴峰の言葉は周りの人間の顔をさらに唖然とさせた。


「それとね、今の私は赤坂秀彰という男子にも強い興味と関心を抱いているの。私の渇望はもしかしたら人形じゃなく、貴方に移ったのかもしれないわね」

「は?」


 突然の告白に秀彰の口がぽかんと開く。事情を知らぬ信吾の耳にもその言葉は届いた。


「い、いや、ちょっと待て。それはどういう――」


 数秒後、彼女の意図をようやく汲み取った秀彰が、何か反論しようとしたが、


「……~~♪♪」


 言いたいことだけ言うと、鈴峰は鼻歌交じりで去っていった。腕に抱え込んだ大きな西洋人形と一緒に。


 鈴峰が立ち去った後は皆、何も見なかったように登校を再開した。秀彰もそれらに倣って一歩進んだ直後、横から綺麗なストレートパンチを見舞われる。


「テメェェェ、よくもオレの鈴峰先輩を寝取りやがったな、許さねぇ!!!!」

「落ち着け信吾、俺は先輩に手なんか出してない。あの人が勝手に……って、痛ぇなこの野郎ッッ!!」


 季節は春の暮。寒気も過ぎ去り、春本番の暖気が包み込む晴天の下。


「うるせぇ、これはオレの心の痛みだ、思い知れ!!」

「んだと言わせておけばっ! 元はといえばお前のせいでなぁ……!!」


 校門前での二人の馬鹿騒ぎが静まったのは、始業を知らせるチャイムが鳴り終えた後のことだった――。

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