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第七話 冷製人形 (5)

「く……ぅ、ぐっ、ぐぅぅ……っっ!!?」


 噛み締めた奥歯の間から秀彰の情けない悲鳴が漏れる。力任せに足を持ち上げようとしても、ガッチリと氷で固められた靴裏はびくともしない。既視感を覚える光景だが、前回の目に見えない重圧とは違い、相手の能力媒介はひと目で分かった。


(コイツの能力は相手を凍らせる力か? いや、違う。凍っているのは俺じゃなく、もっと前から準備していた――コッチの方だ)


 薄暗い倉庫の床上に不自然に撒かれた水、それこそが鈴峰の能力媒介だった。秀彰が安易に踏みしめてしまった水溜まりは今や凍てつき、靴裏を飲み込んだまま動かぬ氷板となって、彼の行動を著しく阻害している。


 よほどサイズ違いの靴でも履いていない限り、スポリと足だけを抜き出すことは不可能だ。ましてや呑気にしゃがみ込む猶予など、目の前の女が与えてくれようはずもない。


「さあ、ネズミ駆除の時間よ」


 期待通りの罠の成果を見て取った鈴峰は不敵な笑いを浮かべつつ、右手を高らかに掲げる。すると別の水溜りが噴水のように勢い良く、高らかに舞い上がった。それだけなら単なる愉快な水芸だが、舞い上がった水飛沫も瞬く間に凍りつき、やがては先端の尖った氷槍へと変貌を遂げた。


 続けて彼女の左右にあった水溜りも同じように液体から固体へと状態変化し、合わせて三本の氷槍が彼女の周囲に現れる。その優雅な戦闘スタイルはまさに氷を操る女騎士のようだ。


「『グリムスフォルム』、邪魔者を穿ちなさい」


 主の命に従い、氷霜を幾重にも纏った天然の凶器は空中でクルクルと回転して見せた後、切っ先を向けて飛来する。狙いは当然、逃げ足を失った鼠だ。溢れんばかりの純粋な殺意が秀彰の耳裏をビリビリと痺れさせて止まない。


「……く、はは……っっ」


 絶体絶命の危機を前にしてなお、秀彰の口元は嬉しげに歪んでいた。先制されて動きを封じられたのはこれで二度目だ。となれば対処法も既に心得ている。


「――ゥ、『ワイナルト』ォォ!!」


 高速で舌を回し、己が痕印の名を呼ぶ。その際、チラリと視界に映ったのは、変わらず余裕綽々な笑みを浮かべる敵対者の顔。先ほど彼女が自ら望んで話した通り、事前に秀彰の能力を調査しているからこそ、この場に有効な媒介などありはしないと踏んでいるのだろう。


 ならばその自信を――いや過信を、粉々に打ち砕いてやろうじゃないか。秀彰の胸の奥が俄然熱気を帯びていく。


「無駄よ、貴方に出来る事なんて何も無いわ。そのまま――」


 彼女の痕印能力を宿した三本の氷槍は、それぞれが違う角度から秀彰の身体を貫こうと差し迫る。が、その鋭利な切っ先に鮮血が付着することは一度たりとも起こらなかった。


「……っ、え……っ?」


 ビクリと鈴峰の眉が跳ね上がり、瞳も驚愕に見開かれる。


「ふん、残念でしたってな」


 倉庫内に響き渡る秀彰の得意げな声。彼の前には即席で創り上げた砂の壁が出現していた。厚さにして僅か1cmにも満たない脆弱な防壁だが、砂と砂の隙間には痕印の力が満ちており、氷槍の侵入を既の所で阻んでいる。


「この倉庫一帯の媒介は消力済みで、私が撒いた水以外は力を通さないはず。なのに何故――」


 不信感の篭った声で呟いた鈴峰だが、秀彰の足元を見てハッと気付く。そこには秀彰が手にしていたはずの通学用鞄が乱雑に捨て置かれ、そのすぐ傍には胴体に大きな風穴の空いた500ml入りペットボトルの空き容器が無残に転がっていた。


「そういう事、このペットボトルの中に砂を詰めて持ち込んでいたのね」

「さすがセンパイ。優秀な頭脳をお持ちで」


 凍りついた靴を脱ぎ捨て、湿気の無い床へと靴下で降り立つ秀彰。完璧な対策を講じていたはずの相手を出し抜けたことで得意気に答える彼だが、アイディア自体は真田の入れ知恵だったりする。わざわざ言うつもりも無いが。


「けど、その程度の砂の壁で私の攻撃を防げると思っているのなら、考えを改めた方がいいわ。媒介の量では依然こちらが有利のまま。同じ手段は――」

「さっきから思ってたけどよ。意外にお喋りなんだな、アンタって」

「……っっ」


 パキン、と氷の砕ける音を立て、砂の壁に突き刺さっていた氷槍が次々に瓦解していく。細かな氷の礫となったそれらは持ち主の方へと集約され、更に別の水溜りをも新たな媒介として加えた後、今度は数え切れないほど大量の氷弾をお供に再び氷槍の形を取った。単一の殺傷力を下げる代わりに、攻撃手段と範囲を広げて砂の壁を死角から突破しようと考えたのだろう。悪くない判断だ。


「挑発でもして思考を鈍らせようとする作戦かしら? 甘く見ないで欲しいわね」

「そう怒るなよ、たかが本音を言っちまっただけだろうが」

「粗野で乱暴、おまけに好戦的な性格まで併せ持っている。可哀想な人。きっと死ぬまで女の子にはモテないでしょうね」

「るせぇ、余計なお世話だ」


 高まる危機感と反比例して、互いに軽口を飛び交わせる中、先手を打ったのは鈴峰だ。しなやかな細指で長い髪を靡かせながら、無数の氷の粒を迂回させ、左右同時に挟み撃ちを狙ってきた。


「ふっ……!」


 それを目で見るのではなく、気配から読み取っていた秀彰は、つま先に重心を乗せつつ、一気に床を蹴って駈け出した。何も馬鹿正直に痕印能力だけで応じる必要はない。彼女が言う通り、今は秀彰の方が媒介の量で劣っているのだ。防衛戦略で圧し負けそうならば、搦め手でも何でも使って強引に勝機を掴むしかない。


「っ、逃がすもんですか――ッッ」


 先回りしようと待ち構えていた氷槍を盾状の砂壁で防ぎつつ、秀彰は積み荷の山を縫うようにして逃げ走った。狭い倉庫内を駆け回り、足と痕印能力の両方で回避する秀彰に対し、鈴峰は動揺した様子もなく果敢に追撃を続ける。痕印能力の発動には精神を要するモノだが、彼女が使役している氷弾の数は数十、いや数百。加えて軌道も前後左右自在、高度な操作性まで兼ね備えるとなれば、おぞましいまでの精神力だと感服せざるを得ない。


 どこかで精神力も疲弊するはずだ。そう願いながら逃げ続けたが、先に底をついたのは秀彰の体力の方だった。


「は……ぁ、……ふぅ……」


 錆で赤味を帯びた壁に背を預けつつ、荒くなった息を吐く。どうやら鈴峰はこの場の地形を完全に把握済みらしく、どれだけ逃げ回っても最短距離で詰められ、無理な状況での消耗戦を強いられてしまう。


(チッ、顔色一つ変えずに居やがって。なら――)


 逃げるのはここまでだと、秀彰は腹をくくった。死角から襲いかかってきた氷弾の群れを最小限の砂の壁で押し留めると、残る媒介を拳に集約させながら、追いかけてくる鈴峰との間合いを一気に詰めた。一撃で仕留める、そんな気概を相手に魅せつけるが如く、秀彰は地面を蹴った。


「攻めるなら今しかない、そう考えているのは読めているわ」


 自ら懐へと飛び掛ってきた秀彰を好機と見て、鈴峰は後方で待機させていた水溜り二つ分ほどの氷弾群を一斉に発射させた。それは例えるなら、(あられ)が暴風に乗って降り掛かってくるが如く、全てを避けることも、防ぐことも不可能な激烈な攻撃。


「ふはっ、……面白ぇッッ!」


 ならばいっそ、食らってしまえばいい。闘争から来る高揚感が秀彰の思考を蛮族色にでも染め上げたのか、無謀極まりない策を彼は迷わず採用した。つまりそれは飛び交う氷弾の群れに自ら突っ込む形となり、鈴峰を斃すための最短経路を突き進む。


 数秒後に全身を襲うであろう痛みを覚悟し、奥歯をギリリと噛み締めて、秀彰は拳を振りかざした。


「ふふ、奇を(てら)ったつもりなのだろうけど、それは真に愚かな選択よ、赤坂くん。貴方は物事の本質をまるで理解出来ていない」


 パチン、と鈴峰が指を鳴らした。それが合図となり、秀彰の眼前まで迫っていた氷弾の嵐が突如として状態を元通りに――つまりは水へと変化させた。


「……ッッ!?」

「水を氷に変えられるのなら、その逆も出来て当然でしょう? そして、その水を媒介として人体そのものに使役すれば何が起きるか、今からその答えを身体で教えてあげるわ」


 バシャリ。顔面から靴下まで、倉庫に滞留していた臭みのある水をモロに被ってしまう。咄嗟に秀彰は右手に集めていた砂を飛ばそうと試みたが、鈴峰の痕印の力を宿した水に覆われたせいか、言うことを聞かない。


 優雅な足音が近付いて来る。その度に火傷するほどの熱さ、いや、寒さが秀彰の全身を駆け巡っていくのを感じていた。


「ぐ……ぅ、ぁぁ……ッッ!!」

「無駄よ。僅かに残しておいた砂で反撃しようと考えているのでしょうけど、残念ながらそれくらいはお見通し。全ての砂を水で覆うのは難しいけれど、これくらいならば簡単に浸水可能よ」


 体勢を屈めたまま、身動きを取れなくなった秀彰の上から、鈴峰の冷たい言葉が振り下ろされる。


「これで、チェックメイトよ」


 秀彰の後頭部に極大の冷気が近付いてくる。恐らくは利き手で触れ、痕印能力を最大限発揮することで、秀彰そのものを無様な氷像へと作り変えようとしているのだろう。


「……く、くくく……ッッ」

「……何?」


 突如漏れ出した気味の悪い秀彰の笑いに、鈴峰が不快げな声を上げる。気でも狂ったのかと言いたげだろうが、決してそんな事はない。彼は単純に心の奥底から楽しくて堪らなかっただけなのだ。


「ぁ、あぁ、そ、そうだな。これでアンタは――」


 秀彰はガチガチと震えが走る奥歯に喝を入れ、凍死に怯える筋肉達を気合で止める。同時に学ランを着込んだ彼の肩口から淡い青色の光が溢れ、痕印の力が発動する。


 思念の糸を飛ばす必要などない。何故なら使役すべき媒介の場所はずっと前から把握済みだったのだから。


「――チェックメイトだ、『ワイナルト』ォォ!!!」

「……っ、嘘……!?」


 パンッ、と小気味良い破裂音を響かせ、通学用鞄からもう一つの砂入りペットボトルが飛び出した。奥の手とは最後の最後まで取っておくものだ。クルクルと歪な回転を保ちながら急加速したそれは、秀彰の背中を通り越して標的の身体へと突き刺さる。


「……ぅがっ……ッッ!!??」


 眉目秀麗な女生徒には全く持って似つかわしくない醜い声と、骨の折れる鈍い音が耳裏に響く。おおよそ鈍器で殴りつけたのと同等の威力だ。無事なはずがない。耐え難い痛みによって彼女の精神は乱れ、秀彰の全身を覆い尽くそうとしていた氷は状態変化の力を失い、再び元の液状へと戻っていく。


 再び汚水に塗れた格好のまま秀彰が立ち上がると、首元を押さえて蹲っている鈴峰の姿があった。どうやら砂入りペットボトルは彼女の左鎖骨付近に命中し、そのままあっさりと圧し折ったようだ。


「く……ッ、も、持ち込んだ媒介がもう一つあったなんて……油断していたわ」


 鈴峰は片目を伏せ、息も絶え絶えの状態ながら、今も睨みを利かせている。その顔には充分すぎるほどの敵意が残っていた。歪んだ願望への執着心がそうさせるのか、それとも秀彰への殺意が原動力か。


(どちらでもいい、とにかくブチのめすのが先だ)


 たとえ相手が女だろうが、秀彰に容赦する気は毛頭ない。弾け飛んだペットボトルの中身の砂をぶち撒けると、弱った相手の首筋に巻きつくよう命じて飛ばした。


「ぐっ!? ……ぅ、ぅぅ……か、は……っっ」

「妙な真似はするなよ。これでも加減してるんだからな」


 辛うじて言葉を紡げるだけの余地は残したまま、呼吸を抑圧して脅しを掛ける。長く続ければ窒息、失神、果ては死に至るかもしれない。その事は苦痛を受ける相手の方が良く理解出来ているはずだ。


「ふ……ふふ、……それで、私に何をさせようと……いうのかしら……?」

「決まってるだろ。信吾の居場所を吐かせて、五体満足のまま返却させるんだよ」

「ん……ぐ……っ、私がそんな素直に協力すると……思っていて……?」

「でなけりゃアンタの息の根を止めるだけだ」


 秀彰がグッと拳に力を込めると、砂の縛鎖がより一層きつく締まる。苦悶の表情でヒュウヒュウと掠れた呼吸を漏らしながらも、鈴峰の声には不敵さが消えない。


「ぐぐ……む……、無駄……よ、……私にとって……死は……恐れじゃない……身近な……存在……っ、……なの…だ…から、……ふふ……っ」


 だが、その顔色が青ざめ、窒息寸前まで陥ったところで、秀彰は思わず拘束を緩めてしまった。死の兆候を見せる事で考えも改まるかと少しは期待したが、ダメだった。白目を剥き、舌を垂らされながらも自分を曲げないとは。やはり狂人だ、この女は。


「……チッ」


 砂の縛鎖を解いてもなお、秀彰の右手は震えが治まらない。砂の媒介を通して彼女の鼓動が弱まっていくのを直に感じ取ったせいだろうか。人殺しの(カルマ)、それを背負う気概が今の彼には無いのか。


 いや、あるいは――。


「……っ、…………、…………」


 秀彰の眼下には、失神した鈴峰が横たわっている。僅かに四肢を痙攣させ、顔には苦悶の色が薄っすら残っているが、呼吸は安らかだ。


(死体愛好家、か)


 世間からは決して望まれない性癖、欲求。それを何処までも純粋に追い求めた女による、自らの死すらも厭わない覚悟は、果たして狂気の一言で済ませて良いものなのか。


 携帯が鳴る。真田からだ。


「……はい」

『その声から察すると無事のようね。あの女はどうなった?』


 あの女とは鈴峰の事だろう。


「床で寝てます。殺しちゃいない」

『そう……ま、それがアンタの下した判断だってなら正解だろうさ』


 真田は言葉に含みを持たせつつも、苦言を呈することはしなかった。珍しい事だと秀彰は鼻で笑う。


『こっちもこっちで色々と大変な目に遭ってさ、事情は何となく察しているわ』


 ところで、とありふれた前置きを敷いてから、真田が訊きづらそうに言う。


『……土方の行方も分かった?』

「いえ、鈴峰が匿っているとは話していましたが、詳細はまだ」

『なるほど、まだ終わっちゃいないってワケね。口を割らせたいんならアタシも協力するけど』


 真田が明るい声色でサディスティックな提案をしてくる。頼もしくはあるが、この人に任せればきっと鈴峰の様々な部分が壊れてしまうだろう。秀彰の答えは決まっていた。


「結構です。それより迎えの車が欲しい、場所は――」


 秀彰は丁重に断りを入れつつ、電話越しに所在地を伝え終えると、すぐに通話を切った。直後、薄暗い倉庫の隙間から思い出したように潮風が吹き抜け、鈴峰の長い髪を靡かせる。


「お互い、面倒くさいモノを背負っちまったな、鈴峰センパイ」


 彼女の髪から漂うシャンプーの香りがどこか寂しげに鼻孔をくすぐったかと思うのも束の間、やがては塩とビニールの臭いに紛れて雲散した――。

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