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第七話 冷製人形 (4)

「鈴峰、久美子……ッッ」


 予期せぬ眩さに目を細めながらも、秀彰は頭上から聞こえた女性の声へと身体を向ける。照光に慣れてきた視界の先、緑色に塗装された階段を規則正しいリズムで下りてくるのは秀彰と同じく制服姿の女学生――鈴峰久美子だ。


「ふふ、その血肉に飢えた獣のような表情、良く似合ってるわね。最初に会った時の無愛想な顔よりよっぽど魅力的だわ」

「大きなお世話だ」


 階段を下りきった鈴峰は妖しげな笑みを携えつつ、秀彰の前へと歩み寄る。その距離およそ三メートル、痕印による急襲も十分可能な間合いだ。握りしめた右拳が、今すぐにでもこの女をぶっ飛ばしたいと訴えているが、それを必死で堪えて信吾の安否を問い質す。


「それより、信吾はどこだ。無事なんだろうな?」

「無事? えぇ無事よ。外傷もなければ罹患(りかん)もせず、五体満足で居るわ」

「なら今すぐ引き渡せ、さもなくば――」

「さもなくば? ふふ、どうするというのかしら?」


 おもむろに鈴峰の眉が上がる。彼女の挑発に乗るつもりはない。秀彰はゆっくりと右手を掲げ、威嚇の体勢を取った。


「無論、力尽くで応じさせるまでだ」

「勇ましいこと。けど――そんな事をすれば土方くんの命は一生助からないわよ」

「何……?」


 鈴峰は顎に手の甲を当て、優雅に微笑んでいる。絵になりそうなほど美しい仕草とは裏腹に、口から出る言葉は徐々に不穏さを増していく。


「どういう意味だ?」

「彼の身体は今、特殊な状況下にあるの。製造途中と言ってもいい。生きるも死ぬも、そしてどちらにも属さぬまま永い永い時を刻むも、私次第。その意味は同じ痕印者である貴方になら、分かるでしょう?」

「……テメェ……ッッ」


 ギリリと噛み締めた下唇から、鉄に似た味が広がっていく。言っている意味の半分は理解不能だったが、肝心の部分はハッキリと理解出来た。もし自分に手を出せば、彼女の能力によって信吾は死ぬ、というシンプルな脅迫だ。


 鈴峰が自らを痕印者だと曝け出したことで、一旦奥へと押しやった戦闘衝動が更に強まり、秀彰の胸の内側で疼き始める。戦う準備は充分出来ている。だが、信吾という人質がある以上、下手な手出しは出来ない。


「…………っ」


 秀彰は一度、ふぅと短く息を吐いた。過剰な感情は短絡的な思考を生む。ならば吐息と共に体外へ排出しようと数度意識的な呼吸を繰り返す事で、モヤがかった頭の中が少しずつ晴れていく。


「お利口さん。そうやって大人しくしていれば、土方くんの生命が無為に潰える事もないわ」

「俺を殺したいがために、わざわざ信吾をダシに使ったってのか?」

「不快な言い方ね。それではまるで赤坂くんが私の本命だと聞こえるじゃない。貴方を始末するのは組織からの命令で、単なるノルマ遂行でしかないの。一緒にしないで欲しいわ」


 鈴峰の口から、おおよそ敵に漏らすべきではない情報が軽やかに紡がれていくのを、秀彰は困惑しながら聞いていた。聡明で冷静なイメージの強い彼女には似つかわしくない短絡的な行動だが、その口調には強い我の感情が含まれている。


 直感的に、彼女の言葉には偽りがないのだと判断した。


「……今ひとつ、アンタの目的が分からねぇ」


 それでも秀彰の頭には疑念が浮かぶ。組織とは何か。真田の言っていた聖痕民団なのか。聞けば答えてくれるのかも知れないが、秀彰の興味は別の方を向いていた。


「信吾を狙う理由はなんだ? アイツは痕印者じゃない、普通の人間だろ」

「痕印者だから狙う、という貴方独自の見方をあたかも共通認識のように押し付けないで欲しいわね」

「なんだと?」


 会話しているのか説教されているのか、どちらともつかない鈴峰の話しぶりに思わず秀彰は苛立ちに唇を噛み締める。脅迫文をクラスメイトに預けるような輩が何を言うか。


「自分を棚に上げて、俺だけ異常者だと言いたいのかよ」

「まさか。私は私の価値観が一般的とは微塵も思っていないわ。常人の枠から外れた異常者、異端者の分類(カテゴリー)に属していることは重々承知の上よ。でも、だからこそ、貴方のその中途半端に人間寄りな思考が気に食わないの。同族嫌悪って言うのかしらね」

「誰が同族だ、勝手に決めんな」


 クスリ、と嫌味なほど上品に口端を曲げ、微笑する鈴峰。まるで自分が狂人であることを誇るような言い草に、秀彰の背筋にゾワリと粘着質な悪寒が走る。


「ところで赤坂くん、貴方は土方くんの顔立ちについて、どう思っているの?」

「……は?」


 秀彰の口がぽかんと半開きになる。一瞬、問われている意味が良く分からなかった。


「整っていると思うのか、それとも醜いと感じるのか、どちらかしら?」

「そりゃあ整っている方だろ。性格はともかく、顔だけなら芸能事務所にスカウトされてもおかしくねえ」


 正直に答えつつも、心の中で何言ってんだと自分自身にツッコミを入れる。これがもし、信吾の耳に入れば悶絶死したくなるレベルの失言だ。


「ふふ、本人の居ないところでは存外正直なのね」

「からかってんのか、アンタ」


 挑発されたと捉えた秀彰は、変わらず漂ってくる気味の悪い空気など構わず、鈴峰の方へと一歩前に出た。パシャリと水溜りを踏みつけた不用意な足音が倉庫内に響き渡る。


「いいえ、それが答えよ。土方くんを狙った理由、それは彼の姿形が美しいから」

「なんだそりゃ、至って普通の理由じゃねえか」


 勿体ぶった割には随分と俗な理由だと、その時の秀彰は思った。

 しかし――


「だからその美しさを永遠のモノにしたいと、そう決めたのよ。美しい姿形のまま、変わらず傍に置いておきたい。それが私の、死体愛好者(ネクロフィリア)蒐集家(コレクター)としての願望」


 鈴峰はうっとりと、恍惚に染まる瞳で己の世界を語りだす。もはや秀彰には一片足りとも理解出来ない価値観だった。


「でも安心なさい。死体と言えど、腐乱死体のように醜悪で美の欠片もない愚物には興味がないわ。成長も老いもなく、生と死すらも凌駕した停滞の中にこそ真の美がある。それを叶えてくれるのが私の痕印(ちから)と、土方信吾くん。彼は私の処女作としてふさわしい恋人(ひと)なの」

「なるほどな。立派な狂人だよ、アンタは。聞いてて寒気がしやがる」


 だが、ようやく秀彰の中にある鈴峰という女の像に輪郭が付いた。歪んだ愛情、いや、果たしてそれを愛情と呼んでいいのかすら疑問だが、結局この女が見ているのは信吾の外面、器だけ。内面の性格など視界の隅に落ちた糸くず程度としか思っていないのだろう。


「理解できない主張をするからといって他人を狂人呼ばわりなんて、愚かね。マイノリティが弾圧を受ける(いわ)れなんて、本当はどこにも無いのに。普通や平凡に線を引いて、そこから僅かばかりの上下のキャパシティから溢れただけで人としての認定を受けられないなんて、この世は本当どうかしてるわ」

「……ハッ」


 美の価値観、行動原理は別として、その意見だけは秀彰も多少同意する。彼が持つ内なる闘争心をひけらかした際、師の真田は異常の域だと言った。本来は個性であるはずの一面が、度を越すと有害と判断され、異端者の認定を受ける。そんな経験は鈴峰だけでなく、秀彰も通ってきた道だ。


(同族嫌悪か、なるほどな)


 先ほど鈴峰が漏らした言葉を反芻しながら、秀彰もふと考える。痕印者としての生まれ育ちが違えば、あるいは二人とも同じ組織に属していたのかもしれないと。


「やはり、その目は馬鹿にしている目ではなさそうね。貴方も経験があるのでしょう、赤坂くん。他人が持ち得ない特殊な欲求、それも世間からは到底認められない類のモノが」

「ある……って言ったらどうなるってんだ?」

「一つ、提案があるわ。私が組織から下された指令は始末の他に懐柔というのがあるの。つまり此方側の人間になれば生命の保証もするし、能力の使い道だって用意してくれる。悪くない話だと思うけれど」

「そのためにアンタと同じ組織に入って、信吾を見捨てろと?」


 鈴峰は当然だと言わんばかりの瞳でこちらを見ている。


「えぇ、そうよ。私は土方くんという素体を手に入れ、貴方は他人に堂々と能力を振りかざせる組織の後ろ盾を手にできる。まさにWIN-WINの関係でしょう? 友人一人の生命で長年抱いてきた願望が手に入るというのなら魅力的だと思わない?」

「…………」


 暫く考えこんだ後、秀彰は大きく頷き、同意を示した。


「そうだな、確かに魅力的な提案だ」


 一瞬、鈴峰の眼差しに疑惑の色が浮かぶ。だが、すぐにそれは取り除かれ、元の不敵な氷の笑みへと変わった。その一連の変化を真っ向から見ていた秀彰は、さらに言葉を続けた。


「考えてみりゃ当然だな。たかが馬鹿一人の生命で、何を俺は躊躇(ためら)ってたんだ。阿呆らしい。つくづくそう思わされたよ、鈴峰センパイ」

「ふふ、潔い判断ね。思っていた通り、赤坂くんには此方側の素質があるわ」

「おいおい、勝手に変な勘違いすんなよ」


 そこで一旦、秀彰は言葉を区切り、荒々しい行動へとシフトチェンジした。左肩に担いていた通学鞄をブンと大きく振り回してから、鈴峰の方目掛けて思い切り投げつけたのだ。鞄はギリギリの所で避けられたが、それまで仮面のように穏やかな笑みを張り付けていた彼女の表情に、初めて怒りの亀裂が走る。


「……っ!?」

「これで心置きなくアンタをぶっ飛ばせるって意味だよ。信吾の安否なんざもう知らねえ。俺が投降しようが何しようが、どうせ無事じゃ済まねえんだろ? ならいっそ、ここでアイツの無念を晴らしてやった方が後々の為にもなるってコトよ」


 秀彰はニヤリと過剰なまでに口端を上げて、笑ってみせた。自分が完全優位だと思っている相手の顔を歪ませた時ほど気持ちの良い経験は、そうそう無いのだから。


「吠えるじゃない、『ワイナルト』の赤坂秀彰」


 対して鈴峰は感情のない、死人のように虚ろな目で見返しながら低く呟く。


「貴方の能力は事前に把握済みよ。土と砂を操る痕印。それも練度の低い半人前とも聞いている。それで私と――いいえ、聖痕民団と戦うというの?」

「カッコイイだろ? 正義の味方みたいでさ」


 チリチリと秀彰の耳の裏がざわつき始める。それは危険な兆候を知らせる合図であると同時に、又とない愉悦の時間を約束するサインでもあった。


「残念だけど、貴方に与えられているのはそんな大層な役柄じゃないわ。貴方は卑しい子鼠。大好きなチーズの匂いに誘われて、のこのことやってきた可哀想な存在」

「だったら、さしずめアンタはお調子者の”イエネコ”ってトコロか? そりゃ負けフラグだろ」


 軽口の応戦で、次第に鈴峰の瞳に光が灯り始める。自信に満ち溢れた、それでいて己が欲望に限りなく純粋な眼差しが、両者の間で真っ向から衝突する。


「猫ならば、ね。けれど、私は人間よ。目障りな害獣を駆除するために雇われた専門業者。だからこの倉庫内に足を踏み入れた時点で――」

「……っっ!!?」


 直後、急激に秀彰を中心とした周囲の温度が下がった。比喩ではなく、周りの空気が冷気を帯び始めている。これはマズイ、そう秀彰が思った時には既に手遅れだった。


 ピシリ、肌を刺す鋭利な音がして、足元に視線を下げるとそこには――。


「貴方はもう私の術中に(はま)っているのよ、赤坂くん」


 水溜りに浸かっていたはずの秀彰の靴裏が、コンクリート床と共に凍りついていた――。

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