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第七話 冷製人形 (2)

「お前、最近やけにゴキゲンだよな」

「んーそうかい?」


 昼休みに入るやいなや、弁当箱の入った袋を手にそそくさと教室から出ようとする信吾の背中に秀彰はふと声を掛けてみる。気のない返事とは裏腹に振り返ったその頬は緩みに緩んでいて、有頂天っぷりが窺える。


「えへへー、いやぁなんてーのかさぁ、春っていいですよねぇ~♪」

「頭に花でも咲いてんのか?」


 怪しいクスリでもキメてそうな信吾の間抜け面の前で、秀彰はひらひらと手を振ってみた。眼球運動は正常らしいのでとりあえず安堵する。


「ちげーよ、春って言ったらほら、恋の季節じゃん」

「コイ? あぁ、鯉飼い始めたのか。成長してもちゃんと面倒見ろよ」

「本気かどうか分かりづらいボケはやめろよな」


 はぁと深い溜息を吐きつつも、信吾の鼻の下は伸び切ったままだ。さすがに秀彰もやりづらさを感じて眉を顰めたが、その理由はすぐに本人の口から語られた。


「オレ実はさ、恋人が出来たんだよ。まだ付き合い始めて三日ほどだけどね」

「そうか、おめでとさん」

「でさ、その相手がなんと……って、おいこら! 一人で飯食い始めるなっての!」

「うるせえな。つまり今日もこれから一緒に飯食う約束してるんだろ? だったらこんな所で油売ってないで、さっさと彼女の元へ行ってやれよ」


 パカリと弁当箱の留め具が外れる軽快な音を鳴らしながら、昼食の準備を始める秀彰。何が悲しくてモテ男の惚気話など聞かされなければならないのか。秀彰は何か言いたげな信吾の事などお構いなしに一面海苔で覆われた弁当にがっつき始めた。見た目は質素極まりない代物だが、海苔とおかかと白米の相性は抜群に良い。中学時代からの秀彰の好物だ。


「いやいや聞いてくれよ。その彼女がさ、どういうワケかお前の噂に――」


 それでも話を続けようとする信吾にシッシと手で合図を送ろうとした直後だった。ガラガラと引き扉を開ける音が聞こえたのと同時に、騒がしかった教室内が突如水を打ったように静まり返った。どこか既視感を覚える光景に、またあの暴力女教師がやって来たのかと秀彰は本能的に身構えながら入り口の方を見たが、どうやら少し事情が違うようだ。


 開け放たれた後ろ扉の前に立つのは、上級生らしき女子生徒が一人。教室に居た十数名の視線を一身に受けながらも彼女は眉一つ動かさず、凛然とした声を発する。


「少しお邪魔してもいいかしら?」

「「「す、鈴峰先輩っ!?」」」


 まず反応を示したのは、教室の後方席でたむろしていたクラスメイトの男子数人。彼らは驚きに目を丸くしたまま、示し合わせたかのようにその名前を呼んだ。呼ばれた渦中の女生徒も――どうやらそういった下級生男子の反応は珍しくないようで――きゅっとお淑やかに口元を引き締めて、無言で彼らに目配せを送る。それだけで男子連中はにへにへとだらしない笑みを浮かべ、女生徒の周りに一定距離を保ったまま集い始める。まるでアイドルを見に来た熱烈なファンのようだ。


(誰だあの人は、有名人なのか…?)


 遠目から見てもかなりの美少女だということが分かるが、生憎秀彰には他人の顔を覚えるという習慣がなかった。なので代わりに近くの自称情報通から話を聞こうとしたが、振り向いた時には既にヤツの姿は無かった。


「う、ウチのクラスに何か御用でしょうかっ!?」

「人を探しているの。名前は――」


 やがて鈴峰先輩と呼ばれた女生徒の周りにガヤガヤと人が集まりだした頃、聞き慣れたお調子者の声が野次馬の列に割って入った。


「はいはーい! ちょっと退いてね~…先輩っ、お待たせしちゃってすみません! わざわざ迎えに来てくれたんですか?」

「えぇ、食前の運動がてら土方くんを呼びにね。そう畏まる必要なんて無いわ」

「あはは、そ、そうですか?」


 信吾は持ち前の爽やかな笑顔を振りまきながら、迎えに来た上級生の彼女を出迎えている。その場で二人が和やかに談笑を始めると、それまで微妙な距離を保っていた男子連中は皆、恨みがましい視線を残して一線を退いていく。


 のり弁を食べ終えた秀彰は食後のお茶を水筒のコップで飲みながら、ぼんやりと二人の様子を眺めていた。男の方は中身が少々残念とはいえ、外見だけ見れば美形であるのは疑いようがない。なので傍から見れば美男美女の理想的なカップル像と言えよう。あまりにお似合いすぎて他の有象無象の輩には横槍を入れる資格すら無い。勿論、友人である秀彰さえも。


「へぇぇ、土方君って鈴峰先輩とお付き合いしていたんですねぇ……」

「知ってるのか、中川?」


 まるで忍びの者のように突然背後に現れた中川に内心ビビリながらも、秀彰は信吾から聞きそびれた情報を代わりに彼女から訊いてみる事にした。


「え、えぇ、有名ですよ。三年の鈴峰久美子先輩。成績優秀、眉目秀麗、おまけに全国レベルの絵画コンクールでも入賞するくらい絵がお上手だとか」

「そりゃ凄いな。信吾には勿体無い才女じゃないか」

「そ、そんなこと無いですよっ! お二人ともとてもお似合いじゃないですか~」


 そう言って中川は頬に両手を添えると、うっとりとした表情で二人の様子を眺め始めた。ぽや~んという効果音が良く似合いそうな塩梅で、自分の世界へと没頭していらっしゃるご様子だ。


(お似合い、ねぇ)


 空になった弁当箱を鞄に詰め込んでから、秀彰も幸せ満点といった友人の横顔を眺めることにした。別段彼も高校入学して初めて出来た友人に対して、嫉妬や羨望といった感情を持ち合わせているわけではなく、本音を言えば突然の出来事でどう反応して良いのか戸惑っているだけだった。ここは素直に祝福してやるべきだろうと心では分かっている。ただ、そういうのが青春嫌いの秀彰の性に合わないのだ。


 そのまま二人一緒に食堂か何処かへ行くのかと思いきや、どういうつもりか信吾は鈴峰を連れて秀彰の机の前へと戻ってきた。


「わざわざ彼女を自慢しに来たんですか、信吾さん」

「えへへ、それも大いにあるけどね。彼女の、鈴峰先輩たってのお願いだからさ」

「お願い?」

「紹介しますよ。コイツがオレの悪友――赤坂秀彰です」


 秀彰の疑問には答えず、信吾は隣に居る先輩に自分の場所を譲った。ありがとう、と小声でお礼を言いながら、皆が注目していた高嶺の花が秀彰の眼前に現れる。周囲から突き刺さるような視線を感じつつも、秀彰はお構いなしに彼女の顔貌を観察した。


 つんと通った鼻筋に切れ長の瞳、肌は初雪のように真白く、肩よりやや長めの黒髪は枝毛一つない艶やかなストレートヘアだ。なるほど、ここまでの美貌なら下級生の教室に現れただけでちょっとした騒ぎになるのも頷けると、秀彰は一人で納得する。


「初めまして……で、あってるかしら。赤坂秀彰くん」

「えぇ、あってますよ。鈴峰久美子先輩」


 睫毛に掛かる前髪を指でかき分ける仕草すら絵になる鈴峰だが、その美貌にはどことなく陰りがあるのを秀彰は感じた。根暗という意味ではなく、人が抱える心の闇を纏った、悪女の性分。それが内面から外面へとにじみ出ているような――。


(って何考えてんだ、俺は)


 しかし、こんな失礼な世迷い事を彼氏である信吾の前で口にすれば、即座に拳の嵐が飛んでくるだろう。世間知らずな秀彰もさすがに口に出すことはしないが、我ながら正直僻みにしか思えないと自省する。


「私の名前、知ってたのね。意外だわ」

「そりゃまぁ、なにせ有名人ですから」


 そう答えた秀彰がチラリと横目で信吾の顔色を窺うと、珍しくムッと膨れた面をしていた。どうやらヤキモチを焼いているらしい。なんて心の狭い男だ、自分から紹介したくせに。心配せずとも自分みたいな問題児がこんな才女と釣り合うはずがない事くらい、少し考えれば分かるだろうにと、秀彰は心のなかで悪友に軽口を叩く。


「ふふ、有名なのは貴方も同じじゃない。私のクラスの方まで噂は流れてきているわ。入学早々、停学事件を引き起こした大問題児だって」

「はぁ」

「その真偽がどうしても知りたくて、一度お話してみたいと思っていたのよ」

「……なるほど」


 彼女たってのお願いというのはこういう事か、と秀彰は何となく事情を察した。要は動物園の珍しい生き物を見るような気分で秀彰の面を拝みに来たのだろう。周りで聞き耳を立てていた信吾や中川の表情も、途端に同情的なモノになる。


「もし迷惑でなければ、その当時の出来事を貴方の口から教えて貰いたいのだけれど」

「えぇ、構いませんよ。別に秘密にするほどの価値があるとは俺も思っていませんから」


 秀彰は滅多に見せないビジネススマイルを浮かべると、快く鈴峰の提案を受け入れた。いい機会だ、ここでろくでもない噂話とやらの真相を明かしてやろう。自業自得だというのに、変に気を回されてタブー視されるのはもうゴメンだ。薄ら笑いにすら見える歪んだ口元は、声に出さずともそんな彼の内心を如実に語っていた。


「入学式の放課後、他校の生徒とファーストフード店内で喧嘩したってのは本当なのかしら?」

「事実ですよ。あの時ブチのめした何人かは病院送りになったとか、後で聞きましたけど」


 ざわっ、と信吾や中川以外にも聞き耳を立てていた生徒らが一斉に動揺の吐息を漏らした。それを内心でせせら笑いつつ、秀彰は直接話を聞いてきた鈴峰先輩の顔色も窺おうとした。どうせ温室育ちのお嬢様の事だろうから、端正な顔立ちに血の気が引いてしまったのではと、余計な世話を焼いていたが――。


「まぁ、それは恐ろしいわね」

(……え?)


 秀彰の予測に反して、そこには晏然(あんぜん)とした笑みがあった。口元も瞳も頬も、画一された美しい(フォルム)のまま静止している。ちょうど彼が美術の時間に習ったアルカイックスマイルに近いが、受ける印象は生命感とは真逆の『死命感』、ゾッと凍えるような微笑を湛えていた。


「……信じられませんか?」

「いいえ、疑ってなんかないわ。赤坂くんが停学処分に科せられたのは紛れも無い事実なのだから。それに――」


 不意に鈴峰が秀彰の唇に自らの人差し指を押し当てる。悪戯染みていて、どこか官能的な行為に周りの悲鳴が一際大きくなるが、当の本人はそれどころではない。


「――私には分かるもの。貴方には他の人とは違う、特別な強さがある。そうでしょう?」

「……っ、ぐ……っ」


 鈴峰のひんやりとした指先が、秀彰の唇を強制的に震わせた。低体温持ちなのか、その指はやたらと冷たく感じる。


(なんだこの女、何を言っている?)


 不穏な空気が漂い始めた刹那、鈴峰先輩が伸ばしていた指を引っ込めた。そして、何事も無かったかのように姿勢を正すと、平然とした口調で会話を続けた。


「ふふ、冗談よ。噂を聞いてどんな人かと想像していたけど、思ったより普通の男の子だったから、ついからかってみただけ。ごめんなさいね」

「俺は構いませんけど、そこに居る彼氏が嫉妬しますよ?」

「うぇっ!?」


 学生服の袖口で口元を拭ってから信吾を指差してやると、それまで秀彰に集まっていた敵視が一斉に彼の方へと再集結した。


「そうなの、土方くん。嫉妬していたの?」

「え、えーっと……っ、あっ! そうだ先輩っ、急がないと昼休み終わっちゃいますよ! 今日は校庭裏のベンチでお弁当食べるって約束でしたよね!?」

「そうね。なら私達はこれで失礼するわ。貴重な時間をありがとう、赤坂くん」

「いえ、こちらこそ」


 露骨に焦りを浮かべる信吾とは正反対に、鈴峰先輩は始終落ち着き払った態度のまま、教室から去っていく。別れ際、チラリとこちらを見た時には評判通りの才色兼備な女生徒の顔に戻っていた。素性はどうあれ、相当な変わり者であることは間違いなさそうだ。


「……鈴峰先輩の指先、柔らかかったですか?」


 お騒がせカップルが去っていった扉の方を何の気なしに眺めていると、再び秀彰の背後から馴染の女生徒の声が掛かった。


「あぁ、冷たいけど丸っこくて、まるで溶けかけの雪見だいふくみたいな感触……って、何を言わせるんだ、中川」

「ひゃっ! ご、ごめんなさいっ」


 つい信吾と話している時の気分でノリツッコミを入れてしまい、驚いた中川の口から調子はずれな声が漏れる。それが秀彰には少し滑稽だった。


「話で聞いてたより随分と変わった人だったな。鈴峰先輩って」

「そ、そうですね、意外と言っては失礼ですけど、私ももっと近寄りがたいイメージを持っていましたから……」

「信吾の軽薄な性格が伝染(うつ)っちまったんじゃないのか?」

「え、えーっと…ど、どうなんでしょう……あはは」


 中川も敢えて否定はせず、困ったような顔で誤魔化し笑いを浮かべている。


 ――キーンコーンカーンコーン。

 そんな他愛のない話を続けている内に、昼休み終了を告げる予鈴が教室に鳴り響く。中川も席に戻り、他のクラスメイトもいそいそと教科書やノートの準備を始めるが、約一名姿を見せない不良生徒がいた。


「はい、皆さん揃っていますね。それじゃ午後の授業を始めましょう……って、そこの空いている席は誰ですか?」


 やがて担任兼数学担当の美月先生が現れ、秀彰の前の空席に目を付けた。昼休みを教室で過ごした生徒らはヒソヒソと内緒話を始める始末。秀彰は一度短い溜め息を吐いてから、挙手して不届き者の名前を告げようとした。


「ここは土方――」

「お、おっ、遅れてすみませぇぇんっ!」


 ガララと勢い良く扉を開け放ちながら、滑り込みで信吾がやってくる。よほどギリギリまで逢瀬の時間を楽しんでいたのか、息は絶え絶えでワイシャツも汗びっしょりだ。


「もぅ、予鈴が鳴ったら席についておくように教えたはずですよ?」

「ハハハ……、つ、次から気をつけますぅ」


 一部の男子からドス黒い視線で見守られつつも、自分の席へと向かう信吾。退屈な授業が始まる中、秀彰は彼女――鈴峰久美子への疑念を募らせていた。

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