第七話 冷製人形 (1)
薄暗い部屋の中心に私は居る。
女一人で暮らすにはあまりに空虚な部屋の中、本棚に配架された文献だけが私の個性を代弁してくれる。「錬金術とは」「中世時代の異常偏愛者」「人体の冷凍保存」等々、偏った思想を記した書名の数々は私が歩いてきた半端な人生の足跡に等しい。
棺のように中央に設置されたセミダブルのベッドに背を預け、暗闇の天井を向いて瞑想する。高まる意識の中、読み慣れたフレーズが浮かび上がる。言の葉はいつしか私の持論へと変化し、私的哲学の世界へと誘われた。
人は知らず美しいものに憧れを抱く。それは形あるものだったり、目に見えぬ魂だったり、叶うことのない理想だったり、様々だ。だが、私が望む美しき存在を口にするたび、押されるのは決まって『異常者』の烙印だった。
馬鹿げている。
何が?
――世界の全てが。
誰が?
――下俗な楽しみしか知らぬ人々が。
ならば、私は。
狂っている?
――あぁ、狂っているとも。私を測る定規そのものが。
間違っている?
――あぁ、間違っているとも。私を改めようとする考え自体が。
まだ未熟な感性しか持ち得なかったある日のこと、私はふと気がついてしまった。自分が求める究極の芸術品とは永遠に美しい人間の死体だと。性別は問わない。男性でも女性でも、ただ美しければソレで良い。
ゆえに死体は腐らせてはいけない。汚物のような腐乱死体なんかに興味は無い。それこそ永久に、劣化しない美しさを保つため、冷凍状態で保管しなくては。
だが、今の世界には冷凍保存の技術はあれど、大の人間を長期的に安定して冷凍保存出来るカプセルなんてものは存在しない。保管だけでは意味がないのだ、死後もその美しさを鑑賞出来なければそれは単なる埋葬と変わらないのだから。
私は手当たり次第、それこそ世界中のありとあらゆる保管技術や情報を探求したが願いは適わず、己の不遇さと適応出来ない世界を嘆き、諦めていた。
あぁ、そうだ。
私は死体愛好者の蒐集家だ。
世間では存在そのものが禁忌とされる異常者。『普通』と呼ばれる凡百な他人と違う嗜好を持っただけでこの世界では処罰の対象となる。
何故だ。
何故、私の芸術が理解されない?
何故、私の考えを改めなければならない?
何故、私の趣味嗜好は社会から淘汰されなければならない?
いや、違う。
馬鹿な他人にはこの高尚な趣味嗜好が理解されないのは当然だ。
だが、理解出来ないからといって、ただおぞましいからといって――私の行動を制約するのは許せない。
美しい素体を傷つけずに手に入れる方法はいくらでも思いつく。しかし、最大の問題点は保存方法だ。たとえ完璧な素体を手に入れたとしても半永久的に美しいまま死体を保存しなくてはならない。
その方法がどうしても見つからず、私は何年もの間、自らの嗜好を理性で押さえつけてきた。
だが、それも先月までの話。
恨んでいた運命は、思いがけない形で私の道標となった。
聖痕民潭。そして、痕印の啓示。
突如転がってきた人を超える異能の力は、私の夢を現実のモノへと昇華してくれる魔法だ。
薄暗い部屋の中で私は独り笑う。
素晴らしい、これさえあれば長年の夢が成就する。
後は、最高の素材を選ぶだけだ――。
※
半人前の痕印者、赤坂秀彰が夜の廃墟公園にて死闘を繰り広げてから一週間が経過した日のこと。超常的な力とは全く無縁の平穏無事な日常を送りながら、人知れず頭を抱えている男がいた。
(ったくもー、秀彰のヤツ。今日も放課後になったらすぐ真田センセんトコ行きやがって)
時折強く吹く春風が茶色く染まった彼の前髪をバサバサと掻きあげている。新校舎二階の渡り廊下の手すりにもたれ掛かりながら、土方信吾は遠く青い空を仰いだ。まるで悩める乙女のような淡い吐息には、親友への愚痴が多分に混じっている。自分との付き合いが悪くなったのも面白くないが、それ以上にあの女教師と連日密会しているというのが、信吾の感情を揺さぶってやまない。
背中越しに聞こえてくる男女混合の楽しげな喧騒に、信吾はそっと耳だけを傾けて、その様子を密偵の如く窺ってみる。会話の端を拾って結んでみると、どうやら二組のカップルが週末の予定を仲睦まじげに相談しあっているようだ。それを知った途端、淡い吐息が重い溜め息へと変わる。カップルへの嫉妬ではない。むしろあやかりたいくらいだ。
(確かにセンセは美人だけどさぁ、もっといい人が近くに居るってのによぉ。クールな顔して意外と押しに弱いのな、アイツってば)
信吾が内心で呟いた『いい人』とは、ずばりクラスメイトの中川文子のことだ。真面目で大人しいという外見の印象そのままに、クラス委員長を務め上げながら恋愛にはひどく奥手な三つ編み眼鏡っ子は、どういう因果か不良の赤坂秀彰に片思いをしているのだ。
本人から直接そうだと聞いた訳ではないが、共通の友人をしている信吾からすれば疑いの余地すら無い。その甘酸っぱい恋心に気付いてからというもの、彼は赤坂と中川の関係を縮めようと陰ながら努力していた。だからこそ、突然の恋敵の登場は寝耳に水、いや大水だ。
さりとて別に信吾も真田センセの事が嫌いな訳ではない。普段は破天荒で恐ろしい女王様だが、一度砕けた話をした際には口が悪いだけで面倒見の良い教師だと再認識出来たし、恋愛に奥手な秀彰にはあれくらいの強引さが必要なのも理解出来る。
だが、それでも中川の純情な思いを間近で見ている彼にとっては、どうにかして事態を好転させてやりたい気持ちに駆られてならないのだ。
(つーかオレの努力が足りないせいか。もっと積極的に二人をくっつけないとダメだなぁ)
元より切れ長で細目寄りな目を糸のように薄く伸ばしながら、信吾は校舎に鳴り響くチャイムの音を聞いた。もうじき所属している部活の始まる時間だが、全くもって乗り気がしない。ここ最近の彼は何かと理由を付けて部活をサボりがちになっていた。
それでも彼を咎める者は居ない。それどころか、「きっと別のクラブチームの練習に参加しているのだろう」と勝手な推測を持たれ、仲間内からも顧問からも褒められる始末だ。輝かしい過去の実績というものは本人の意思とは無関係に輝きを放つものらしい。
厄介だなと信吾は鼻で笑いながら、教科書の詰まった鞄を拾い上げて振り向いた。視線の先には、同じように帰り支度をした生徒らが去っていく光景が映る。上級生と下級生が入り交じる放課後の渡り廊下の途中で、とある一人の女生徒に信吾は目を奪われた。
(ん? あの人は確か……)
西洋人形のように白い肌と、整った顔立ち。作り物を疑わせるほどの突出した美貌と凛と背筋の伸びた歩き姿は、玉石混交の人波にあっても目立ち過ぎていた。
「鈴峰久美子、先輩……」
不意に彼の悪い癖が出た。校内の有名人を見かけた際、自然と脳内のデータベースから照合した結果を口に出してしまうヤツだ。ただしそれは単なる独り言、消え入りそうな呟きの一つ。決して本人には届くまい、届いたとして無視するだろう。
という信吾の思惑に反し、あろうことか鈴峰はくるりと振り向いて彼の方へと向かってきた。
(げっ、マジかよ……っ!?)
驚いたのは信吾だけではない。それまで彼女の後ろ姿を背後からひっそりと観察していたミーハーらしき生徒たちも皆一様に肩をビクつかせ、素早く道を開ける。さながら聖人が起こした奇跡のように、彼女は割れた人海の中を颯爽と歩いて来た。
呆然と立ち竦んでいる信吾の前まで来ると、彼女は頭のてっぺんからつま先までを一眸した上で、疑念を表すように右手を顎に添えて言った。
「私の名前を呼んだみたいだけど、何か用?」
「い、いや、美しい人だと聞いていたので実物を見たらつい呼んじゃいました、ハハ」
「そう」
これじゃ程度の低いナンパじゃないかと、空々しい愛想笑いを張り付かせながら信吾は冷や汗をかく。対して鈴峰は何ら特別な反応を見せない。驚くでもなく、怒るでもなく、ただ無機質な視線で自分に声を掛けた男の様子を観察している。
「…………ゴクッ」
値踏みされているかのような視線に晒され、信吾はこれ以上ないほどに緊張していた。美しい、という理由だけでは説明出来ない何か――例えるなら格や器といった人間としての傑出度を示す不可視のバロメーターによって圧倒され、平常心を失っていた。
「それで? 他に用件が無いのならこれで失礼させて戴くわ」
「あ、ハイ……お時間を取らせてすみませんでした」
そう言って信吾は素直に頭を下げるが、周囲に居た鈴峰のファンらしき男子からは露骨なブーイングが飛んでくる。
「チッ、なんだあの野郎。軽々しく鈴峰先輩にナンパしやがって…ちょっと顔が良いからって調子乗りすぎだろ」
「知ってるぞ、あの一年。土方っていう、例の問題児とつるんでるって噂の奴だ」
「例の問題児って……ま、まさか狂犬『赤坂』のダチかよっ!?」
深々と下げた頭の上から、聞き慣れた嫌な単語の羅列が飛び交い流れる。問題児、狂犬、そして赤坂。噂の蒐集家であり情報屋を自称する彼としては、悪友に付き纏うこのネガティブな称号はどうにか消し去ってやりたかったが、大衆の意識に根付いてしまった今となってはそう容易いことではない。
(人の噂も七十五日、つーけどこの様子じゃまだまだ忘れ去ってくれそうにないみたいぜ、秀彰クン)
悪友の鋭い目つきが更に鋭く険悪になる様を想像して、信吾の心は不思議と平穏を取り戻していた。それまで抱えていた鈴峰への畏敬の念も和らぎ、平常通りの軽薄な笑みが彼の口端に戻って来る。
(どうせもう嫌われてるんだったらさ、最後にその麗しい顔をもう一度拝んでいってもいいよな)
そんな普段通りの軽い気持ちで、信吾は鈴峰の表情を窺おうと頭を上げた。
(あ、あれ……?)
だがそこにあったのは、先程までの下等生物を見るような目付きではなく、何かを企んでいるような蠱惑な瞳。
「へぇ、貴方知り合いなのね。”あの”赤坂くんと」
柔和に崩れた口元に宿る高校生のモノとは思えないほどの艶めきに、信吾の汗ばんだ背筋がビクリと竦んだ。彼女の口から馴染みの名前が出て、つい饒舌に語ってしまう。
「は、はい、まぁ知り合いっつーか悪友みたいなモンですけど。あっ、でも悪友と言ってもアイツは噂されているほど凶暴なヤツじゃなくて――」
「ふふ、知っているわ。だって本当に噂通りの悪人だったら、今頃この学校はもっと野蛮で暴力的な色に染まっているでしょうし」
鈴峰は上質の鈴を鳴らすが如く、優雅な微笑を浮かべた。
「けれど、そこまで真剣にお友達を庇おうとするなんて、貴方も素敵な人ね」
氷のように冷たく素っ気無かった態度も嘘のように溶け、鈴峰は信吾の瞳をじっと見つめている。そのギャップから多くの男子が陶酔の嘆声を漏らした。無論、目の前で対峙している信吾も例外ではない。
「良ければお名前を聞かせてくれるかしら?」
「はいっ! 土方信吾と言います!」
「土方くん、ね。覚えたわ。良ければこの後、私ともう少しお話しない?」
「……!? そ、そりゃ勿論大歓迎ですよ!!」
思いがけない鈴峰からの申し出に、ミーハーな男子の波からはこの世の絶望を集約したような怨嗟の念言が発せられ、一人また一人と渡り廊下の床に膝を付いていく。代わりに躍り出た友人らしき女生徒たちが必死に鈴峰に考え直すよう説得するも、彼女はまるで構わず信吾の手を掴んで先へと歩き出す。
「なら行きましょう。場所は喫茶店でいいかしら?」
「ぜ、是非ともそこでお願いしますっ!」
信吾もすっかり鈴峰に魅了され、その後は誘われるがまま駅前の珈琲店に立ち寄る事になった。
「いやー、それにしてもまさか尊敬する鈴峰先輩と二人きりでお話出来るだなんて、夢のようですよ~!」
「大袈裟ね、土方くん」
駅前の小さな喫茶店で向かい合うように座る一組の男女。信吾はイタリアンエスプレッソを、鈴峰はキャラメル入りのスチームミルクをそれぞれ口に運びながら、談笑を楽しんでいる。
「これも場をつないでくれた秀彰のお陰です。あ、良ければ今度紹介しますよ。先輩が嫌で無ければですけど」
「ふふ、勿論歓迎するわ。だって大事な彼氏の親友ですもの」
何気なく口にした鈴峰の言葉に、信吾は危うく飲み物を吹き出しそうになる。
「か、彼氏!?」
「あら、違うの? てっきりそういう意味で私に声を掛けてくれたのだと思っていたけれど」
「全然っ、違わないですよ!」
「なら近いうちに紹介して頂戴。私も一度、直で話がしてみたいわ」
そう言って怪しげな表情を浮かべる鈴峰を見て、信吾は少しだけムッとした顔になった。
「先輩、秀彰にも興味あるんですか?」
「そうね。無いといえば嘘になるかしら。彼の噂話……武勇伝が本当なのか、一度本人に確かめてみたかったのよ」
「なるほど……」
「ふふ、この答えで安心したかしら?」
いつの間にか鈴峰の方はスチームミルクを飲み終え、じっと信吾の顔を見つめていた。ステンドグラス付きの窓から射し込める夕陽に照らされ、鈴峰の長い髪が鮮やかに染まる。傍から見れば二人は美男美女のカップルで、誰も文句が付けられないほどお似合いだった。
「あはは、先輩には敵わないです。男の嫉妬なんて醜いだけですよね」
「そんな事はないわ。だって私が二人に抱いている興味は全く別のベクトルだもの。赤坂くんの方は仕事で、土方くんの方はプライベート……特別なの」
「んぐっ!?」
唐突に鈴峰は容器の底に残っていたキャラメルミルクを指で掬い取ると、躊躇なく信吾の唇へと押し込んだ。柔らかな指の感触に興奮しながらも、まさか口を広げて舐めしゃぶる訳にもいかず、結果的に彼は息を止めることを選択した。
「ふふ、困った時の土方くんの顔。可愛くて、いじらしくて、美しいわ」
「ん……んふ」
「出来ることならこのまま時間を停めて、永遠に保存しておきたいくらいよ」
「ぷはっ……はぁ、はぁ……お、面白い……冗談です、ね……っ」
ようやく鈴峰が手を離した頃には、酸欠寸前で頭が朦朧としていた。甘酸っぱい、それでいて甘美な時間。信吾の中でも鈴峰に対する好感度は毎秒ごとに膨らんでいく。
だが――。
「そうね、冗談よ」
「ハハ……ハ」
彼女の瞳の奥に宿る底知れぬ威圧感を前に、不思議とそれが長くは続かないだろうという確信めいた予感が信吾の心の何処かで渦巻いていた――。




