第六話 悪魔の仔 (2)
「ねえおにーさん、もう一度だけチャンスをあげるからさぁ。よぉ~く考えてから、答えてね」
硬い土の上で跪いた秀彰の下へ瀬能の声と足音が迫る。
「――ぐっ…!!」
そのまま秀彰の髪を掴むと俯いていた顔を無理やり持ち上げられ、血走った眼で覗きこまれた。正気の欠片もない怖気の走る相貌はもはや少年とは呼べない。
赤目の小鬼――そう形容するに相応しい化物っぷりだ。
「今夜のお月様も、『満月』だよねぇ?」
秀彰の額から流れた汗が鼻筋を滴り、ポタリと地面に落ちる。恐らくはこの返答次第で彼の命運は決まるだろう。人の寿命を蝋燭の長さで測れるとしたら、秀彰の蝋燭はきっと小指の第一関節くらいの長さしか残っていないはずだ。
(考えろ考えろ考えろ、まだ打つ手はある。いや、利用できる隙はあるはずだ!)
死の恐怖と隣合わせになりながらも、秀彰は懸命に頭を廻し、思考を巡らせた。
(手足が動かせない状態とはいえ、いくらなんでも無警戒過ぎる。コイツはまるで俺の能力を――いや、下手すれば痕印者とすら認識していないのか?)
突如、秀彰の脳裏に浮かび上がる生命線。それは最も初歩的で、考慮すべき事象を相手が見逃しているという可能性だ。秀彰がわざわざこの場所を選んで誘導した理由、それをこの少年は気付いていないのではないかと。
「おい、答えろよ。黙ったまま死んじゃうなんてつまらないだろ。それともボクにゴーモンされるまで喋りたくないのかな……それも面白そうだけど、うひひ♪」
無言のまま顔を歪める秀彰の眼の前で、小鬼は嗤う。天上の月と同じく、口を弓なりに捻じ曲げて。
(今のうちに笑ってろ。その生意気な唇を砂石まみれにしてやる)
秀彰の取るべき手段は決まった。後は賽の出目次第だ。一か八か、もしかすると賽の目を振る機会すら与えられないかもしれない。そんな不安を押し殺しつつ、彼は覚悟を決める。
不意に恩師の不敵な顔が秀彰の頭を過ぎった。そうだ、彼女の助けを待つという選択肢もある。あの人なら、きっと――。
(いや、それはダメだ。それだけはダメだ)
考えを進める前に、秀彰は強く否定する。あの人の足手まといにだけは絶対になりたくない。その強い気持ちが、彼の命運を決定づけた。
「よし、答えないならゴーモン決定ー! それじゃ腕から順番にツブしていくよ~、せーの……」
「…………ねぇよ」
死にかけの虫が鳴くかのような秀彰の呟き声に、瀬能は耳聡く反応した。
「は? 何? 何だって? そんなちっちゃな声じゃ聞こえないよ~? おしっこ漏らしそうなくらい怖いのは分かるけどさぁ、どうせ死ぬならもっと大きな声で――」
「満月じゃねえって言ってんだよぉぉッッ、このクソガキがぁぁッッ!!」
その瞬間、秀彰は腹の底から声を振り絞り、周囲の草木が震えるほどの声量で叫んだ。彼の口元へ耳を寄せていた瀬能は血走った目を見開きながらも、よろよろと情けない足取りで後退せざるを得ない。
「お、ぉ…お前ぇぇ!!!? じ、自分が何したか分かってるの!?」
「知るか。不用意に近付いてきたテメェが悪いんだろうが」
会話が淀みなく出来るということは、鼓膜までは破れていないらしい。惜しいことをしたと言いたげな邪悪な笑みを浮かべつつ、秀彰はペッと地面に唾を吐きかけてやる。子どもにも分かる幼稚な挑発行為を見せられ、瀬能は赤い瞳を更に赤くして嗤った。
「く、ふふ、そっか、お前もアイツらと同じビックリ型のゴミクズってワケか。死ぬ直前だけボクを驚かせるけど、結局は殺されるっていう間抜けのバカ。最後は何の意味もなく、死ぬんだ。ひひ、こーゆーのイヌジニって言うんでしょ?」
「言ってる割にはお前、随分とビビってるじゃないか」
瀬能の全身から発せられる痕印の圧はさらに増していくが、秀彰の挑発が止むことはない。
「ハァ? ボクがビビってるだって?」
「あぁ、俺を殺したいならいくらでもチャンスはあっただろ。それを余裕ぶっこいて見逃して、挙句ただの大声如きでビビっちまうなんてな。そーゆーヤツの事を『根性無しのヘタレ』って呼ぶんじゃないのか?」
瀬能は眉を釣り上げ、歯を剥き出しにして顔全体で激怒の感情を表している。その態度を見るのが秀彰には堪らなく面白い。挑発による短絡的思考の誘導、それこそが秀彰の狙いであるという事をこの幼子の怒りに沸騰した頭では到底理解出来ないようだ。
「ぐぎぎ……、お前、どれだけボクにぶっ殺されたいんだッッ!? あぁもう、ただ殺すだけじゃ足りない、バラバラのグッチャグチャにしてやるッッ!!」
「御託はいいからさっさとやってみろよ。それともまさか、この俺が怖いのか?」
殺気を漲らせた邪眼と真っ向から睨み合いながら秀彰が煽る。
そしてそれが開戦を告げる合図となった。
「だったらぁ、望みどおりぶっ殺してやるよぉぉぉぉぉッッッ!!!」
瀬能の掲げた手から痕印反応がこれでもかと噴き上げ、発現の形を為した。分析するまでもなく、当たれば即死級の攻撃だろう。それを十分理解した上で、秀彰は口端を歪めて余裕の笑みを返した。彼に向かって放たれるより疾く、周囲の砂が一挙に舞い上がる。
秀彰の痕印――『ワイナルト』によって。
「えっ……?」
一瞬にして驚愕に染まる瀬能の顔は、すぐに砂の渦に飲まれて見えなくなった。秀彰の手足は今、媒介の源である地面に直接触れている。相手が攻勢に出る寸前を狙って発動させたのだから、遅れを取るはずがない。
「ぐッッ、ぐえッ、……す、砂だとぉ……!?」
怒りのままに目一杯広げていたせいで、瀬能の瞳や口には多量の砂が侵入した。妨害工作による精神の乱れが生じたことで秀彰の身体に掛かっていた負荷が嘘のように消え去った。
(今だ――)
咄嗟に起き上がった秀彰は地面を蹴り上げ、間合いを取った。そして、すぐさま周囲の媒介の中から使役可能な硬石を選ぶと、瀬能に向けて発射する。以前、校内グラウンドで行った試し打ちでは、巨木の幹を易々と貫通したほどの威力だ。喰らえば重傷必至。いや、当たりどころによってはそのままあの世行きだろう。
だが、その石弾が奴の身体を貫くことは無かった。
「ふざけやがって……お前も痕印者だったのかよ、この嘘つき野郎ッッ!!」
「嘘なんてついてねぇよ。テメェが勝手に勘違いしただけだろうが」
口端から砂まじりの涎を垂れ流しながら、瀬能は右手を前方へと掲げていた。その足元には、秀彰が放ったはずの石弾がひび割れた状態で地面にめり込んでいる。
(チッ、さすがにこの程度じゃ通用しないか……)
察するに秀彰に仕掛けた負荷を転用し、自身を守るバリアとして使ったのだろう。不意を突いた一撃をこうもあっさりと防がれてしまい、秀彰の舌が忌々しい音を鳴らした。
「ひひ、まぁいいさ。どうせお前のショボい能力じゃボクの痕印には勝てっこないんだ。なんだよ今のカスみたいな攻撃は? せいぜいボクに狩られる間、砂遊びでもしてろよゴミクズ」
「いいのか? あんまり馬鹿にしてるとその砂に足元すくわれるぞ?」
「うるさいなぁッッ!!」
瀬能は秀彰の方へ一歩間を詰めながら、間の空間を抉るように腕を振るう。その動きを読んでいた秀彰はバックステップで後退し、再度間合いを取った。ブオンと鈍い音が耳を掠め、元居た場所の地面には巨大な鉄球で圧し潰したかのような凹みが出来上がる。恐ろしき殺傷能力だ。しかし、その範囲はそれほど広くはない。
お返しにと、秀彰は奴に向けて三発の石弾を同時に放ったが、見えない負荷障壁の前に潰され、阻まれる。砂も同様、数秒間の足止めを行うのが精一杯で、決定的な打撃を与えるには至らない。
「く……ッッ、このッッ、ゴミクズのくせに逃げるなッッ!!」
叫び声を上げながら、瀬能は夢中で秀彰を追いかけ回す。能力に巻き込まれた電灯や屑籠は一瞬の内に破壊され、廃墟化した公園に新たな残骸を創りだした。
(足りねぇ、こんな生ぬるい攻撃じゃダメだ)
奴にダメージを与えるにはもっと劇的で、かつ不意を突いた攻撃を仕掛ける必要がある。そう判断した秀彰は一定の距離を保ちながら公園を抜け出し、隣接する集合団地跡へと向かった。撤去工事によって備え付けられていたコンクリート製の壁はほとんどが打ち壊され、もはや基礎の一部しか残っていない住居の屍山だ。
「はぁ……はぁ、は、ははは、ひひひ、追いかけっこはもうオシマイ?」
積み上げられた瓦礫の上で秀彰が立ち止まると、瀬能は息を切らせながら薄気味悪い笑みを浮かべて彼を見やる。交錯する視線の最中、秀彰はふと、この先の顛末について思いを巡らせた。
目の前に居る少年は他人を虫けら以下としか思わない歪んだ性格の痕印者だ。自ら人殺しをしたと喧伝もしているし、現に秀彰も命を奪われかけている。だが、それでもいざ自分が手を下すとなると迷いが生じる。
「なぁ、一つだけ教えてくれ」
「あぁん?」
「テメェは前に、夜の学校で婆さんを殺したことがあるか?」
真田から聞かされた、聖痕民団による特行隊員殺害事件。少年の口振りから共通する部分を見つけた秀彰は、半信半疑で問い掛けてみた。真実が知りたかったのではない。理由が欲しかったのだ。命を奪い合うに足る、理由が。
「……なんだお前。あのババァの知り合いだったのかよ」
瀬能の返答を聞いて秀彰は――真田には恨まれるだろうが――心の中で軽い安堵を覚えた。それは胸のつかえが取れて、本当の意味で戦う覚悟が定まったという、ある種異常な精神状態での安心感だった。
「なるほどね、だからこうして必死にボクと戦ってるんだ。カタキウチってヤツ? だっせー、そんなの今どき流行らないよ~?」
瀬能は秀彰を笑い飛ばしながら、一歩また一歩と彼の方へと近付いてくる。確実に相手を仕留めるため、殺戮の間合いを詰めに掛かったのだ。
だが、それは秀彰とて同じこと。
「残念ながらそりゃ違う。生憎、俺はそこまで情に厚くないんでな。林の婆さんがお前に殺されたのだって、不幸な事故としか思わねぇ」
「へへ、分かってんじゃん。ボクからしてもあれは事故だよ。あのババァ、ボクに向かってムカつく事ばっか言いやがって、だから頭を潰し――」
「けどなぁ――知り合いが殺されたってのは理由として十分なんだよ」
柄にもなく沸々と感情が昂ぶり、気がつけば秀彰は拳を強く握りしめていた。
「そのウザったい口を閉じて、さっさとあの世に逝きやがれ」
親指を下に向け、潜めていた痕印能力を一気に開放した。
人に化けしこの子鬼を、ブチのめすために――。




