表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/45

第六話 悪魔の仔 (1)

 夕暮れ時の帰り道。駅前の雑踏を避けるようにして、秀彰は沿線の片隅を一人歩いていた。連なる民家とガードレールに隔てられた道幅は狭く、車も人も滅多に通らない細道だ。カンカンと鳴り響く遮断機のサイレンの音だけが、やけにけたたましく耳を打つ。


 ふと、強張りを覚えた右腕をグルグルと回してみると、小気味良い音が数度鳴った。


「……肩いてえ」


 夜の帳が下り始めた空を細めた眼で睨みつつ、口の中だけで呟いてみせる。校門を出た時点で、校舎時計の針は最終下校時刻の午後六時を回っていた。居残りの理由は言わずもがな、真田とのマンツーマンの特別授業だ。


 休日は山奥の訓練場での実践指導、平日は宿直室での座学指導と、使える時間に応じてカリキュラムを分けるというのが真田流のやり方らしい。その点には何ら不満は無いが、問題は座学で使用する宿直室内の環境にある。


 林教諭が犠牲となった事件以後、萎縮しきってしまった他の教諭達の代役として、真田自ら宿直当番を専任で請け負っているらしい。それはそれで立派な心掛けなのだが、その見返りとして彼女は宿直室内に新旧様々なゲーム機を持ち込むことを職員会議の場で要求し、半ば強引に認可させたという。


 なので座学と言えども、小一時間も経過すると――。


『さてと、キリも良いしここいらでパーッと気分転換でもするか』

『昨日はレースゲーやったしぃ、今日は格ゲーでもしようぜ、赤坂ぁ!』


 などと遊び盛りの小学生もかくやといった流れで、残りの時間はゲームに費やすのがお決まりのパターンとなっていた。これではもはやどちらが主目的なのか分からない。いや、むしろゲームの合間に痕印者の話を聞いている感じさえする。


(友達居ねぇのか、あのグータラ教師は)


 自分が言えた義理ではないことは承知の上だが、秀彰はつい心の内で愚痴ってしまう。こちらは至極真面目に聞いているのに、体の良い遊び相手にされている気がしてならないのがとてつもなく癪だ。


(まるでワザと指導を遅らせているような――いや、そりゃさすがに俺の考え過ぎか)


 不敵な笑みを浮かべる暴力女教師の顔が頭に浮かんだ秀彰は、咄嗟に忘れようと大きくかぶりを振った。家路を目指し、淡々と歩く。


 やがて細道が大通りへと合流すると、彼が忌避していた空気が戻ってくる。老若男女が交錯する雑踏はあらゆるニオイで溢れかえっており、趣味の悪いごちゃまぜのサラダボウルを思わせる。仮にこの人混みの中へよからぬ事情を背負った鼠がストンと紛れ込んだとしても、見つけ出すのは容易ではないだろう。


(聖痕民団に公安特務執行部、か)


 秀彰の脳裏に浮かぶ二つの組織名(キーワード)。見ず知らずの他人とすれ違う度、防衛本能からか無意識に身体が強張るのを感じる。少し前の、痕印者に対して純粋な憧れしか持ち得なかった彼なら、特に警戒することも無かっただろうが、今は違う。


『力と力のぶつかり合いだけが勝負ではないのよ』


 勝ちたければ卑怯であれ、と真田は何かにつけて秀彰にそう話す。痕印者が能力を発すると周囲に能力の残滓が残り、それをある程度の実力を持った痕印者は察知出来るのだという。それゆえ痕印者同士の戦いというのは必然的に不意打ち、騙し打ちが横行するのだと。

 寝首を掻かれたくなければ常日頃から周囲の様子に目を配れ、たとえ相手が子供であろうが老人であろうが油断はするな、それが真田の口癖だった。


 師の教えを心の中で反芻(はんすう)しながら、秀彰はふぅと一つ息を吐く。ただでさえ悩ましい問題が山積みだというのに、この喧騒の中では落ち着いて思考すらさせてくれない。元より苦手な人混みが今以上に嫌いになりそうだ。


(ま、あんまりビビり過ぎても仕方ないけどな)


 冷静に見えて、秀彰の価値観は案外楽観的だった。万が一、手練の痕印者に襲撃されでもしたら、その時はその時で割りきって行動するしか無い。そうでなくとも人間、死ぬ時は意外とあっさり死ぬのだ。病気なり事故なりで、望まずに現世を去る事は多い。いっそ痕印絡みで敗死するのは幸いだと、秀彰は自らの命を価値をそう定めていた。


 知らず内に緩慢になっていた歩みを元の速さに戻した秀彰は、極力遠くの風景を見るように心掛けながら、家路を急ぐ。踏切を越えた先から見える河川敷には、完全に散り終えた桜の木が物寂しい姿を晒していた。いや、物寂しいと言っては桜に失礼かもしれない。花びらが散り去った後にも濃い紅色をした雄しべと雌しべが残っており、満開の花とは違った風情を醸し出している。山滴る夏の頃になればこれも落ち、見事な葉桜を見せてくれることだろう。


 不意に吹き抜けた夜風に煽られるようにして、秀彰はふと空を見上げた。深蒼の絨毯には瞬く星々が散りばめられており、その美しさに思わず息を呑む。棚引く雲の一つもなく、月の形がハッキリと視認出来るほどに澄んだ空模様だ。


「……ふぅ」


 数十秒ほど月の輝きに見惚れた後、視線を地上へと戻した秀彰は軽く肩を慣らしてから再度歩きはじめた。向かう先は自宅ではなく、いつかの廃墟公園へ。


 タイガーロープを潜り抜け、荒れ果てた公園跡の敷地へと足を踏み入れる。園内の中央、かろうじて生き残っている古電灯の弱い光に照らされた下で、秀彰はひたと立ち止まった。


「んでアンタ、何処まで俺に付いてくるつもりだ?」


 振り向かず、気配だけを頼りに背後の者に問い掛ける。呼び掛けに驚いたような息遣いの反応があり、やや遅れて追跡者の足音も止んだ。いつでも痕印能力が使えるよう右手に意識を集中しながらゆっくりと振り向いてみると、そこには場違いな程に立派な和装に身を包んだ幼い少年が佇んでいた。


「なぁんだ、バレてたのか。つまんなーい」

「そんなに目立つ格好してりゃ嫌でも視線の端に映るさ」


 見た目通りのあどけなさの残るソプラノボイスを閑散とした園内に響かせながら、少年――瀬能亮太は唇を尖らせた。おろしたてと思しき紺地の着物には五献の角帯が丁重に結ばれており、雅な出で立ちを演出している。と思いきや、足元からは使い古した運動靴が覗いており、何ともアンバランスな雰囲気が一際危うさを放っていた。


 異質、奇怪。彼の者を見てそう思わざるを得ないのには、風変わりな出で立ちの他にももう一つ理由がある。瀬能が口を開いてからというもの、秀彰の耳裏は絶えずピリピリと擦れるような痛みを訴えていた。


(何だ、コイツの気配……)


 生来秀彰には危険人物を察知する勘のような機能が備わっている。いわゆる虫の知らせというヤツで、それに近付くとピリピリと耳裏が痺れるように痛み出し、感覚器官が警鐘を鳴らすのだ。全ての始まりとも言うべきあの日、パーカー姿の痕印者に彼が生身で喧嘩を吹っ掛けた時も同じような気配は感じたが、今回と比べれば危険指数がまるで違う。


(気配だけじゃねぇ。血臭、死臭、そういった吐き気のする類のニオイが押し寄せてきやがる)


 鼻孔の奥底に粘り着くような濃厚な死のニオイに、秀彰は思わず自分の口鼻を掌で覆った。直感的に、それは目の前の少年が積み重ねてきた業のようなものだと察する。いくら無邪気を装い、小奇麗な風貌で誤魔化そうとも、魂に染み込んだ業の穢れまでは隠し切れないのだろう。


 この境地に至るまで、一体どれだけの殺戮行為をこの少年は続けてきたのだろうか。想像するだけで秀彰の背筋が寒くなる。


「ま、いいや。それよりさ、空、ソラだよ。おにーさんも見てごらん」


 秀彰の訝しげな視線など意に介さず、瀬能は興奮した声で空の一角を指差した。不用意な行為だと分かっていたが、秀彰もつい誘われるがままその方角を見上げてしまう。


 そこには先程と変わらず、煌々と昇る月の姿があった。


「綺麗でしょ? 綺麗だよね?? あぁ~~、綺麗だなぁ……今日のお月様はボクが見てきた中でも一番の美しさだよ、はぁぁ」


 瀬能はクルクルとその場で廻りながら、月夜に向けて溜息を吐いている。まん丸とした大きな瞳は純粋無垢に輝いており、危険な気配とは無縁のもののように思えた。


 目を奪われること数分、再び地上に視線を落とした瀬能は満足げにニコリと微笑んだ。


「よっし、満月パワー充電完了っ! これで心置きなくおにーさんをぶっ殺せるよ♪」

「……満月? 何言ってんだ、お前。アレは――」


 物騒な言葉には敢えて触れず、秀彰は眉をしかめながら瀬能に倣って天を指差した。星空に浮かぶ黄光色の月は細い弓なりで、まかり間違っても満月には見えない。


「――三日月……いや、二日月か。少なくとも満月じゃない」

「へ……?」


 瀬能はキョトンとした顔で秀彰を見る。どうやら本気で勘違いしているらしい。


「月が満ちると書いて満月なんだから、今みたいに欠けていたらダメだろ。だからありゃ満月じゃない。満月ってのはもっと丸っこくて綺麗なモンだ」

「何言ってるの? 満月だよ?? だってボクが空を見上げた時にはいつも綺麗なお月様だったもん。パパもママも、『亮太は満月を見つけるのが上手だね』っていつも褒めてくれてたんだから、だから――」


 興奮気味に話す瀬能の瞳がみるみる充血し、兎のように赤くなっていく。同時に口元も劣悪に歪み始め、狂気の色をより濃く映しだす。


「ははっ、そうだ、だからボクが殺したんだよっ! 『いつになったら学習するんだ』ってボクを殴ったパパと、『パパを返してっ、この悪魔っ』ってボクを刺したママもさぁ!」

「……ッッ!?」


 もはや目の前の少年が第一級の危険人物であることは、何人たりとも疑いはしないだろう。鋭角に尖った口端から呪詛のような呟きが漏れたのを見て、秀彰は反射的に後退しようと足先に力を込める。だが、その時には既に奴が――目の前の小さな痕印者が発現させた能力によって、秀彰の足は鉛のように重く封じられていた。


(馬鹿か俺はッ! 危険信号なら最初から出てたはずだろッッ!!)


 自由を失った足に視線を落とした秀彰は、同時に全身からふっと脂汗が湧き出てくるのを感じた。瀬能の純粋無垢な言動に油断をしていたのか、それとも腹の底では自分の危機察知能力を信じきれていなかったのか。あるいは両方か。どちらにせよ、既に手遅れなのは明白だ。赤黒く充血した幼き瞳のすぐ上には、幾何学模様の青白い光が浮かんでいる。


 紛れも無く、この少年は痕印者だ。それも相当な手練の。


「ぐ……ぅぅッッ!?」

「無駄だよ、おにーさん。ボクの痕印『グラシャラボラス』の前じゃ、どんな人間だってゴミクズ同然さ。へへっ、だってあのトッコーの痕印者でさえ、ボクには敵わなかったんだからねっ!」


 瀬能は誇らしげに鼻下を指で擦り上げながら、己の痕印能力の優位性を語っている。グラシャラボラス、と名付けられたその能力によって秀彰の身体は強烈な負荷が掛かったように鈍重になり、足裏を持ち上げることすら出来ない状況にある。


(――重圧、重力、分からねぇけどそういった類の能力か、これは……ッ!?)


 負荷はどんどん高まり、秀彰の身体は地面に吸い寄せられるように低く、圧し込められていく。やがては膝が完全に地面に付き、さながら瀬能に対して跪くような格好へと無理矢理に変えさせられた。


「なんたってボクは聖痕民団って組織の幹部候補生だからさー、いわゆるユートーセーってヤツ? おにーさんみたいな生ゴミとじゃデキが違うんだよ、はは、あははははっっ!!」

「ぐ、ぉぉ……ッッ、ぐぐ、ッ……!!」


 瀬能は饒舌に、ひたすら愉しげに喋り続けている。もはや勝敗は決したと、いや端から勝負にすらなっていなかったとでも言うように、高らかな笑い声を上げていた。


(おいおい、こんなクソガキにあっさり殺されちまうのか、俺は……?)


 瀬能の高笑いを聞きながら、秀彰は強く憎悪した。ここまで窮地に追いやってくれた相手にではなく、それを耐え凌げなかった自分自身に。


(いや、そうやって見た目ばかり気にしているから隙が生まれるんだろうが、馬鹿野郎め)


 秀彰は胸中で吐き出すように自嘲する。相手は明らかに自分より格上の痕印者だ。なのに姿形や言動に惑わされ、師の助言すら忘れてみすみす油断するなど、命をドブに捨てているのと変わらない。なんと惨めで愚かな弟子なのだろう。


(先入観を捨て、死ぬ気で考えろ。相手にも付け入る隙は必ずあるはずだ)


 しかし、それでも秀彰は決して生存を諦めようとは思わなかった。殺そうと思えば殺せるこの状況下で、奴も同じく自分の能力に自惚れ、油断している。


 ――『勝ちたければ卑怯であれ』――


 ふと、師である真田の言葉が脳裏をよぎる。あの人は言っていた。痕印者同士の戦いは、能力の優劣だけで決まるのではない、と。


(あの人なら、どうする? この圧倒的に不利な状況で、どうやって相手の油断を突く?)


 答えは、意外とシンプルだった。相手は自分を「格下のガキ」だと侮っている。こちらの能力すらまともに把握せず、ただ一方的に力を誇示し、精神的に(なぶ)ることを楽しんでいる。ならば――。


(――虚を突くなら、能力(チカラ)じゃない。奴のその『余裕』そのものを、ぶち壊す一手だ)


 その自惚れを利用すれば、半人前の自分でも一矢報いることが出来るはずだとそう信じていた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ