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第五話 水面下の抗争 (4)

 空は曇天、草木も眠る丑三つ時。市街を流れる川の畔には白壁の屋敷や歴史ある酒蔵が立ち並び、時代の足跡を今に残している。伝統的な景観の残るこの地区の一角には、『豊穣庵』という老舗の和菓子屋があった。営業時間はとうに過ぎているが、蔵造りの大きな屋内には薄い明かりが灯っている。


 店の前には若草色の羽織袴を着た男が提灯を片手に佇んでいた。彫りの深い顔立ちと褐色の肌は一昔前の映画スターを思わせる端正な相貌だが、顔の至る所に刻まれた切り傷が裏稼業としての彼の存在をそれ以上に際立たせている。


 夜風が通りぬけ、柳並木がしなだれて波を打つ。静まり返っていた細道に複数の足音が近付いてくるのを感じ取ると、男は柔和な笑顔を作って出迎えた。


「ようこそお出で下さいました、(おおとり)様。それに御一行様」

「出迎えご苦労。噂通りの景勝地ではないか」


 その数、四名。鳳と呼ばれた風格漂う男の両脇をスーツ姿の男女二名が隙なく固め、やや後方には紋付羽織袴の老人が周囲の気配を窺っている。聖痕民団のトップと、彼に従う忠実な幹部達だ。


「それはそれは、お気に召されたようで何よりです。故に今宵の空模様は少し残念。曇天ではなく満月であればまた違った味わいを楽しんで頂けるのですが」

「……満月か」


 すると急に鳳の顔色が険しくなり、睨むように天を仰ぎ始めた。何事かと訝しんだ男を見て、老人が下卑た笑い声を響かせる。


「くっくく……、なぁに気にする事はないぞぇ。吉田の。今の鳳様はすこぉしばかり、お月様の顔が気に食わないだけじゃて」

「左様で、ございますか……」


 発言の意図は分からなくとも客人に失礼があってはなるまいと、吉田は恭しく頭を下げた。それを見て、鳳は部下の老人に鋭い視線を向けた。


「余計な事を言うな、柳」

「ふぉっほほ、儂を睨まれても困りますわい。そもそも、元はといえばあの小僧のヘマのせいで――」

「黙れ、と言われたのが分からないの?」


 動いたのは鳳ではなく、スーツの女だった。影すら追わせぬ速度で携帯していた拳銃を抜き取ると、柳のこめかみに躊躇なく突きつけた。


 こと拳銃の扱いにおいては、聖痕民団の中でも彼女に敵う者は居ない。常々不敵な笑いを張り付けている柳だったが、この時ばかりは口元をひく付かせていた。


「御客人の前ぞ、世良の。儂の濁った血と脳漿をこの場でぶち撒けても良いと言うのか?」

「…………」


 世良は答えない。ただ、主の命令だけを待っていた。機械じみた眼光に射竦められた柳の額には、じっとりと脂汗が滲みだす。


「銃を下げろ、世良。折角の会談を台無しにするつもりか」

「はい」


 鳳の一言で世良は速やかに拳銃を収めた。柳もホッと息を吐く。


「柳、お前も大概にしろ。組織の品格を下げるような真似をすれば、幹部失格と見なすぞ」

「ほほ、こればかりは儂の性分ですからなぁ」


 だがさすがに懲りたのか、その後は軽口を叩くことはなかった。


「手間を取らせてすまなかった。今宵の場所まで案内してもらおう」

「承知致しました。では皆様、こちらへ……」


 吉田は提灯を掲げ、四人を先導して屋内へと案内した。幅の広い木製階段を登り、龍の模様が刻まれた襖を引いて奥へと入る。そこは張り詰めた空気が支配する任侠者達の空間だった。屈強な男衆が膝を付き、背筋をピンと正した姿勢で待ちかねていた。港湾荷役の管理を主なシノギとする指定暴力団、吉田組の面々である。


 独特の色合わせをしたスーツと猛禽類の如き風貌は、見る者に強烈な威圧感を与えている。可視化された暴力こそが彼らのビジネスを進める上での基盤であり、交渉手段でもあった。ただしそれが通じるのは銃や刀で命を奪う事が可能な『人間』の範囲内に限られるが。


「組長、鳳様をお連れしました」

「おぉ、ご苦労じゃったな、直邦」


 送迎役を任された若頭、吉田直邦(よしだなおくに)は組長に一礼すると奥へは進まず、出入り口を守るように襖の前で座った。壁際には彼愛用の刀が掛け置かれており、『妙な真似をすれば即背後から斬り捨てん』というメッセージも同時に含んでいる。


 だがその程度の示威行為、異能力者たる鳳以下三名が特に気にする様子もなく、平然と本来の会談対象である初老の男へと向き直った。


「わざわざ呼び出してすまんの、鳳殿」

「構わんよ、今は拠点に居た方が落ち着かない有り様だからな」


 吉田組現組長、吉田則夫(よしだのりお)は低い声を轟かせながら用意された日本酒を豪快にあおった。どっしりと威厳高い口調とは裏腹に、飲み方にはヤケな気性が感じられる。


「っぷはぁ……ここ連日、警察のマークがねちっこくなってな。あんだけへっぴり腰だった腐れ警官どもがよ、今じゃ取引現場にも平然と踏み込んでくる。おかしな事じゃて。ワシも気になって調べたわ」

「ほう」


 注がれた酒を組長は茶でも飲むかのようにあおり、喉を潤していく。周りの子分らは膝に拳を当てたまま動かず、鳳達も用意された料理と酒には手を付けない。

 結果、組長の鯨飲する音だけが室内に響いていた。


「そしたら分かったのよ。烏合の衆だと思うとった中に一人、化け物がおった。大廣(おおひろ)んトコの若い連中が取り囲んでよ、ハジキをぶっ放したがまるで通用せんかったとな。もう分かるじゃろ、お主らと同じ生き物――痕印者よ」

「毒には毒を以て制すという訳か」

「あぁ、誠に情けない話じゃがな。余所者の手を借りたと知れれば組の名も落ちる。自明の理じゃ。それでもワシはこれ以上組のモンが捕まるのを見とうない。同じ人間ならまだしも、化け物なんぞにしょっ引かれるのは到底我慢できん……!」


 組長は忌々しげに拳を震わせ、鳳とその一行に鋭い眼力を飛ばした。まるで彼らも同族、同罪であると言わんばかりのニュアンスだ。あからさまな痕印者蔑視を受けて、世良は露骨に眉を顰め、柳は声に出さず嗤っている。一方で鳳は依然飄々とした態度を崩さない。


「いいだろう、力を貸してやる」

「おぉ、協力してくれるか、さすがは鳳殿じゃ!」


 パチンと扇子を叩き、喜色の笑みを浮かべる組長。張り詰めた空気が少し和らぐ。厳しい表情を続けていた若頭も、ようやく安堵した顔を見せた。


「だが、派手に立ち廻ることは出来ん。任務はあくまで取引最中の護衛、用心棒だ」

「それで十分じゃ。ワシらも他の組や警察とドンパチしとうて頼んどる訳じゃない。先代から受け継がれてきたシノギが守れれば、それでえぇ」


 一瞬、若頭の表情がピクリと動いたが、他の誰もが気に留めることはなかった。


「ならば使うがいい――”戦鬼(せんき)”」


 鳳がその名を呼ぶと、豊穣庵の外から野犬の遠吠えのような声が轟いた。


『…………ぉぉぉぉ!!』


 吉田組の幹部らの顔色が豹変し、室内には慌ただしい空気に包まれる。


「お、鳳様、この声は一体……?」

「外を見てみろ。あれがお前たちを守護する者の姿だ」


 若頭は素早く窓辺へ移動すると、閉め切っていた障子窓を一気に引き開けた。星の見えぬ曇空から微かに降り注ぐ月光が、柳並木の傍に立つ男の姿を映し出す。筋骨隆々とした巨躯と獅子のように逆立った髪。何より全身を包む赤い闘気(オーラ)が見る者の注意を惹きつけてやまない。


「ほほぉ~~、こりゃまた強靭そうな御方じゃのう!」


 組長を始め、吉田組の面々は強力な助っ人の登場に歯を浮かせて喜んでいたが、ただ一人、若頭だけはその存在を信じられずにいた。あの体躯、あの存在感の大男を送迎役の自分が見落とすことなどあり得ないはずなのに、と。額に滲んだ脂汗が彼の動揺を如実に表していた。


「では我々はこれで失礼する」

「あ……鳳様、お待ちください。伝え忘れたことが一つ」


 席を立ち、その場から立ち去ろうとする鳳を見て、若頭が慌てて制した。羽織の袖下から書簡と数枚の写真を取り出すと、それを鳳に手渡す。


「例の痕印者の情報です。私どもには異能の力など把握しかねますので、身体的特徴や名前程度を纏めておきました。ご参考までにどうぞ」

「ふむ」


 鳳は受け取った写真をパラパラと捲ると、さして興味無さそうに世良へと渡す。世良もひと通り目を通すが、詳しい吟味は拠点で行うのが通例だ。資料を鞄へと詰めようとした彼女だが、ふと隣に居る幹部の様子がおかしいことに気付く。


「どうした、狗飼(いぬかい)?」

「この男……真道という名と顔に……覚えが、ある」


 それまで無言を貫いていたスーツ姿の男――狗飼がポツリと呟いた。見た目こそ重厚なサングラスにオールバックといかついが存在感は空気のように薄く、加えて極度の寡黙症のため、幹部連中ですら肉声を聞くことすら珍しい。


「ほう、お前が反応を示すほどの存在とは珍しいな」

「…………」


 鳳の問いかけにも狗飼は答えず、隠し撮りされたと思しき顔写真を凝視している。


「その男はお前よりも強いのか?」


 狗飼はサングラスに隠された瞳を鳳に向けながら、独自の思考回路で答えを模索し始めた。やがてピクリと肩を震わせると、腹に響く低音で主に告げる。


「腕か脚……どちらか二本と引き換えなら、斃せる」

「なんだと、正気か狗飼?」


 世良が思わず狗飼に詰め寄った。得手不得手はあれど、幹部同士の実力は伯仲している。中でも狗飼は単純な戦闘力なら上位に入り得る存在だ。それが素直に互角と認めた相手となれば、彼女の心中も穏やかでは居られないのだろう。


「そうか、ならば尚更戦鬼を差し向けておいて正解だったな。あの男――もといあの生物には油断という言葉はない。防衛任務に限ればあれ以上の適役はおらんよ」

「鳳殿、本当に大丈夫なのか? ワシらに万が一という事があればお主らもただでは済まんぞ」


 ギロリと目玉を剥いて威圧する組長だったが、やはり鳳は動じる様子を見せない。


「心配無用だ。下手に人数を増やせば向こうも警備を増員してくるやもしれん。それに余所者の手はなるべく借りたくないと、つい数刻前にそちらも仰っていたではないか?」

「む……ぐぐ……ぅ」


 焦りを見せる組長に鳳が釘を差す。組長は苦々しく口元を歪めると、またもヤケ酒をあおった。吉田組の幹部らは鳳に対して鋭い視線を向けているが、誰一人として食って掛かる者はいない。


 交渉成立と見た鳳は立ち上がり、襖の前へと歩み出た。退室する間際、複雑な表情を浮かべている若頭に対し、悪辣な笑みを零す。


「そんなに不満なら、いっそその刀で試し斬りをしてみてはどうかね。戦鬼でも私でもどちらでも構わんよ」

「……いえ、とんでもない」

「そうか、なら今日はここで結構。夜道は危険なのでな」


 後ろ手で刀を構えていることを看破された若頭は、呆然と立ち尽くす。それを押しのけるようにして鳳一行は豊穣庵を後にした。向かうは新たな潜伏先。特行の手が届かない、水面下のさらに下へ――。

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