第五話 水面下の抗争 (2)
先程よりも神経を尖らせ、媒介を一点に集中させる。無駄な思考、手順を踏まず、最短経路を辿るように……。
「うぐ……っ」
「まだまだぁ、気合と根性が足りてないぞ赤坂ぁ!!」
続けて失敗し、今度は左手を撃ちぬかれる。痛みよりも何よりも、大口叩いて見返せない自分に腹が立つ。
「くぅ……もう一度、お願いします……っ!」
「頼まれずともくれてやる、歯ぁ食いしばれっ!!」
言われた通りに歯を食いしばりつつ、次なる銃撃に備える。失敗を続ける度、秀彰の反応速度は上がっていく。通電間隔も短くなった。
「ぐ、ぐぐ……っっ」
だが、足りない。辛うじて集積した土の壁はゴム弾の威力で呆気無く破壊された。ハリボテの壁を破り、膝下へゴム弾が着弾する。失敗だ、またもや失敗した。
気付けば秀彰は全身を撃ち抜かれ、アザだらけになっていた。にも関わらず、未だ一つとして銃弾を防ぎきれていない。
「はぁ……っっ、……は……ぁ……っっ」
「ふー……」
真田が大きく息を吐く。それは単なる吐息だったのか、はたまた諦めの混じった溜息だったのか。秀彰には判別が付かない。
「アンタの気迫と根性は認めるよ。最初の頃とは比べものにならないくらい、上達してる。けど、今更煽った本人が言うのもアレだけどさ、焦り過ぎだ。この訓練は特行所属の新人でもそうそうモノになる技術じゃない。今日の所はここまでにして、一旦休憩を取ろう、な?」
真田は近くの噴水前に腰掛け、秀彰に近寄れと合図をする。彼女には珍しい心配りに秀彰の心が一瞬だけ揺らぎかけた。山登りの疲労と痕印行使の消耗で倒れそうなのは事実だったから。
(息遣いすら苦しい、喉もカラカラだ。けど、もう少し、後一歩のところで答えが……手応えが見つかりそうなんだ)
シャツの裾を絞ると、濡れ雑巾のように汗が滴った。極限状況下ゆえの高揚感が、気力だけは有り余っている。
「後一度だけ、お願いします、センセ」
「……アタシの話、ちゃんと聞いてた?」
無謀な秀彰の答えにやれやれと呆れながらも、真田は立ち上がって準備を始める。
「ったく、これで最後だからね。」
「じゃあ……最後の一発はここにお願いします」
そう言って、秀彰が自分の額を指差すと、ちょうど空調のウィングが下がり、ぶぅぅんと鈍重な運転音が鳴った。場には一寸の沈黙が流れる。
「えーと、赤坂クン? そこ、アタシの目にはアンタの頭に見えるんだけど……?」
「はい、頭でお願いします。出来れば額の中心を狙ってください」
困惑した顔で聞き返す真田に秀彰が丁寧に要望を伝えると、彼女は烈火のごとく怒り出した。
「アンタ、バカなの!? んな要求、応えられるワケがないでしょ。ただでさえ訓練で疲弊し切ってるってのに、失敗すれば怪我じゃ済まないわよ」
「だからこそ、狙ってください。じゃなきゃ意味が無いんです」
当然、秀彰も引き下がりはしない。
「俺が短時間でここまで成長できたのは、真田センセの追い込みのお陰です。防がなければやられる、そんな緊張感の中で痕印を発動させたのは今回が始めてですから。けど、足りない。まだ足りないんです。心の内の何処かで甘えが残っている」
「甘え……ですって?」
真田の苛立ちが具現化したかのように、周りの空気に揺らぎを生む。まさに強者の威圧に晒されながらも、秀彰の口が閉じることは無かった。
「真田センセ、貴方は俺が思っていた以上に優しい人だ。怪我で済むようにと同じ部位は狙わず、急所も外してくれた。でも、俺が本来背負わなければいけないリスクは怪我なんかじゃない。命だ」
真田は拳銃を握ったまま、しかし構えようとはしない。それまで涼しげにしていた顔には焦りの汗が浮かび、苦悶の表情が見え隠れする。
「林教諭の事件への協力、認めてくださったのは感謝しています。だからこそここで、もう一度、俺の覚悟を試してみてはもらえませんか?」
秀彰は懇願する気持ちで真田を見た。それを彼女はかぶりを振って嫌がる。卑怯な事を強要しているのは秀彰にも分かっている。一歩間違えれば真田は加害者になるだろう。
二人の間に暗雲が立ち込めようとし始めた頃。ずれた眼鏡を指先で調整した真田は、唇を震わせながら問いかけた。
「……失敗しないって、保証はあるの?」
「ありません。けど、今なら成功出来る予感がある。それに、ここで試さなければ俺はいつか後悔します。だから――」
秀彰が頭を下げて頼もうとした寸前で、真田が銃口を向けた。角度は先程よりずっと上、離れた位置からではあるが確かに頭部を狙っている。
「おーけー、もういい。アンタの覚悟は分かったよ。だったら最後にさ、親御さんに伝えたい言葉があれば教えて」
「夕飯はカレーが食べたいと伝えてください」
あっそ、と真田が投げやりに吐き捨てる。銃口を向ける者の瞳から苦悶の色が消え失せ、迷いなき眼光に変わる。それが彼女の覚悟だと秀彰は受け取った。
「――っっ!」
引き金に掛けた指が動く。それと同時に、秀彰の右手は自然と動いていた。痕印に意識を向ける刹那、脳裏に浮かんだのは自分の斃れた姿だった。白昼夢、それも予知夢という奴だろうか。
(それでもいいさ。その時は、その時だ)
決意を固めた秀彰は、脳裏に燻る敗者の幻影に決別を送る。ぷつんと何かが切れた感触がして、周りの音が一切聞こえなくなった。音だけではない、目に映る世界からも濃淡が失われてモノトーンカラーに染まり、全ての動きがストップモーションのようにコマ送りとなった。
(……今なら、いける)
成功を確信し、痕印から能力を引き出そうとするが反応はない。暫く名前を呼んでやらなかったせいで拗ねているのか。模様の癖に女々しいヤツだと、秀彰は心の中で失笑した。
ならば呼んでやろう。叫んでやろう。心の中で、あらん限りの声量で。
(いくぞ相棒、俺を守りやがれ――)
瞬間、停滞していた時間の感覚を秀彰は一気に取り戻す。
(――『ワイナルト』ぉぉぉぉ!!!)
真田の放った灰色のゴム弾は彼の額を目掛けて飛来する。それが到達するより早く、猛烈な勢いで巻き上がった砂の大群が盾の形状を取った。
秀彰の視界を遮っていた砂埃が晴れると、訓練の結末がようやく露わになった。厚さ5センチほどの土の盾の中心には撃ちだされたゴム弾が深くめり込んでおり、防ぎきった事を示している。
「ふぅ」
安堵の溜め息を吐き、めくれ上がった地面を靴裏でなぞる秀彰。だらりと血液が顔の表面をなぞる感触に気付き、慌てて額に指をやったが何もない。鼻先のむず痒さにそれが鼻血であると分かった。勿論、ゴム弾による負傷ではない。興奮状態に陥ったゆえの産物だろう。
「どうやら加害者にはならずに済んだみたいですね、真田センセ」
「……そいつぁ良かったわ、ねっ!」
最初は罪悪感にまみれた顔の真田だったが、秀彰の笑顔を認識すると彼の腹部へ強烈なブローを食らわせてきた。
「ぐえっっ……、な、なに……すんだ……暴力教師…っ!?」
「ふん、命を粗末にした罰よ。そのまま地面に寝っ転がって日向ぼっこでもしてなさい」
手についた土埃をパンパンと払いながら、真田は恨めしそうな目で秀彰を睨んでいる。せっかく訓練が成功したというのに、何故こんな理不尽な処遇を受けねばならぬのか。起き上がって文句を言おうにも、疲弊しきった身体は言うことを聞かず、ドーム上部の人工灯を見上げながら、秀彰は諦めて大の字に寝転がった。
「それで、コツは掴めたの? まさかマグレなんて言わないでしょうね?」
「そうですね……」
真田は噴水前の石段に腰掛け、唇を尖らせてこちらを不機嫌そうに見ている。秀彰は地面に寝転がったまま、右手を高らかに上げてみせた。そのまま痕印に意識を集中させると、真田が座る石段がごっそり宙に浮き上がった。
「きゃあっ!?」
「能力発現までのラグも無くなり、今まで動かせなかった媒体もこの通り使役出来ますので、成果は上々と言ったトコロですかね」
「いいから早く降ろせっ、あ、アタシは高い所苦手なんだよっっ!?」
たかだか2・3メートルほどしか浮かせていないというのに、真田は狭い石段にペタンと膝を付いて女の子座りの格好で嘆いている。面白い光景にほくそ笑む秀彰は、このまま遊んでやろうとも思ったが、不意に響き渡った聞き慣れない電子音に、その気を奪われた。
―――ピリリリリ。
「あ、アタシのだ」
下降する石段から地上に降り立ち、真田は内側のポケットへと手を伸ばす。そして若干古めの携帯電話を取り出すと、液晶パネルに表示された文字を見て露骨に顔を顰めた。
「……はい、真田です。施設無断使用の件ですか? それなら事前に真道から特別許可貰ってますから、文句があるなら先にあの若ハゲをコンプライアンス違反で処罰してからに……、え、その話じゃない? な、何の話かって、あー、いえ、お気になさらず、えへへ、ちょっとした勘違いで――」
いきなり強気に出たかと思えば、愛想笑いで誤魔化しながら会話している。大人の世界とは複雑なのだろうと、関心しながら聞いている秀彰だったが、続く会話の中で真田の面持ちが変わった。
「……っ、そうですか。いえ…こちらの方でも特に変化はありません。捜査への協力も今は難しいかと…すみません。それでは、また」
通話が終わると、真田は忌々しげな表情で天を仰いだ。秀彰も釣られて起き上がる。まだ多少の痛みは残っているが、休息を取っている場合ではない。
彼女の纏う重苦しい空気が、凶禍の訪れを告げていた。
「何か、あったんですか?」
秀彰の問い掛けに真田は視線を戻すと、絞り出すように言った。
「昨晩のうちに特行の痕印者が一人殺されたらしい――『聖痕民団』を名乗る輩によってね」




