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第四話 痕印者 (3)

 五月も半ばだというのに、夕暮れ時の第二グラウンドには未だ冬の残り香を思わせる冷たい風が吹き込んでいた。


「寒いからさっさとやっちゃってよ」


 秀彰の背後から監視役の真田が催促の声を飛ばしてくる。相変わらずの高慢ちきな言い方に、秀彰は多少ムッとした声で返事を投げた。


「言われずとも始めますって」


 ともあれ早く終わらせたいのは彼も同じだ。片目を伏せ、ゆっくりと右手を掲げながら、肩口に刻まれた痕印へ意識を集中させる。


(……来た、『通電』だ)


 すぐさま、ピリピリと微弱な痺れが幾何学模様の傷痕をなぞるように走った。同時に、秀彰を中心とした半径数メートルにある物体への認識力が鋭さを増す。空間把握能力の向上とでも言うべきか。付近に存在する媒介の位置が秀彰には手に取るように分かる。


 秀彰は無数に存在する周囲の砂礫や石片の中から今回扱うべき媒介を見定めると、そこへ強烈な念を飛ばした。彼が『動け』と命じると、まるで思念の糸に引き寄せられたかのように、一つの石がフワリと浮かび上がる。


「――ふッッ」


 その瞬間、秀彰は内丹術で云うところの下丹田に力を込めつつ、肺に溜め込んだ空気を一気に吐き出した。狙いは昼休みと同じく、大木の幹。撃ちだされた石弾は昼間にあけた穿孔跡のすぐ横を再び抉り抜く。


 ドン、と鈍い衝突音を響かせた石はそのままコロコロと地面を転がり、やがて草むらの一部と化した。もしこの標的が人体だとしたら今頃は拳大の穴が空いていただろう。


「……」

「ざっとこんな感じです。どうですか?」


 秀彰はじんわりと額に浮かんだ汗を拭き取りながら、寒がりの監視官に向かって尋ねてみる。これでも上手くいった方だ。一部始終を無言で見終えた真田は腕を組み、何やらひとしきり考え込んだ後、秀彰の方へと近付いてきて、一言だけ。


「アンタ、それ本気?」


 完全に秀彰の事を馬鹿にしたような声で聞いてくる。辛辣で、舐めきったような言葉は、逆に彼にとって待ち望んでいた答えでもあった。


「こんな投石まがいの攻撃じゃ、いくら老いぼれの婆さん相手とはいえ命中するとは思えない。これで狙えるのは田んぼのカカシか、無抵抗の自殺志願者くらいでしょうね」

「……そこまで酷評しなくても」


 極めて正当な評価なだけに反論も出来ないが、いくらアリバイ証明の為とはいえ、こうド直球に無能だと言われるのは結構ツライものがある。秀彰は心の中でひっそりと涙を流した。


「いい? よく聞きなさい、赤坂。アンタの能力発動には、致命的な欠陥が三つある」


 真田は人差し指、中指、薬指を立てて、冷徹な教師の顔に戻っていた。


「一つ、発動までの『溜め』が長すぎる。実戦じゃアンタが『通電』とやらを完了する前に、とっくに殺されてる。二つ、攻撃が直線的で単調すぎる。これじゃ避けろと言ってるようなものよ。そして三つ目、これが一番の問題だけど、攻撃後の隙が大きすぎる。試しにこの場でもう一発撃てって言ったら?」

「……無理、です」

「でしょ? 痕印者との戦いは、次弾を装填する時間なんて与えてくれない。今のアンタは、一発撃ったら的になるだけよ」


 まるで自分のことのように、秀彰の能力の欠点を的確に分析してみせる。これこそが、数多の戦場を潜り抜けてきた者の慧眼。秀彰はぐうの音も出なかった。


「ま、けどこれで納得したわ。アンタが林の婆さんを殺した犯人じゃないってコトをね」

「分かってもらえて何よりです」


 一先ず無罪を勝ち得た所で、秀彰はふっと安堵の溜め息を漏らした。だが、同時にその事実は真田にとって新たな仇が生まれたことを意味する。何気なく逸らした視線の下で、握りしめた彼女の右拳が小さく震えているのを、秀彰は否応なしに目にしてしまう。それが今の真田の偽りなき本心だろう。


「改めて言わせて頂戴。一方的に疑ったりして、本当に申し訳なかったわ。もしアタシに出来る範囲のことで償えるなら、何でも言って」

「何でも、ですか?」

「あ、けど公序良俗に違反することはナシよ。金銭要求とか、えっちぃのとか、そういうのはダメ。さすがにほら、教師として良くないことだと思うし」

「はぁ……」


 真田はやや食い気味に言い放つと、両指でバッテンを作ってみせた。言われずとも、そんな低俗な要求をする気など無い。という意味で秀彰は溜め息を吐いてみせたのだが、これが見事に誤解された。


「ありゃ、そんなに残念がらなくてもいいのに」

「残念なのはアンタのあた……」


 九割九分出掛かったが、何とか最後の尾だけは付け加えず喉元で留めてやった。真実は時に人を傷付けるものだ、という悪友の言葉を秀彰は思い出す。


「いや、何でもありません」

「アタシと喧嘩したいってのがアンタの望みってコトかしら?」


 ギラついた目を向け、挑発的な態度を取る真田。固く握られていた拳はいつの間にか解かれていた。コロコロと変わる豊かな表情は、さながら万華鏡のようだなと、秀彰は口に出さず感心した。


「まさか。中指突き立てればいつでも実現可能な望みなんてわざわざ叶えて貰う価値は無いですよ」

「あはは、言えてる」


 真田はその場でくるりとターンを決めてみせると、秀彰の顔を悪戯っぽく覗き込みながら、尋ねてきた。


「んじゃ、アンタの望みは何なのさ?」


 そんなもの最初から決まっている。そう言わんばかりに、秀彰は即答する。


「痕印者として生きていけるだけの情報と技術を俺に教えてください。見ての通り、俺は痕印者に成り立ての未熟者で、能力の使い方も知識も何も知らない」

「ハッ、知ってどうする。正義の味方にでもなるつもりなの?」


 真田の言葉にはあからさまな蔑みが含まれていた。もしかすると、自嘲なのかもしれない。それを判別するには、秀彰はまだまだ彼女のことを知らなさ過ぎた。


「正義だろうが悪だろうが、そんなのはどうだっていい。他の痕印者と戦う事、それこそが今の俺の望みです。無論、ただ強敵に立ち向かって死ぬのが勇ましいとは思わない。命がけの駆け引き、その先にある勝利の愉悦を味わうことが、俺にとっての生き甲斐だと感じるんです」

「随分と自己中心的な思想ね。闘争本能の赴くままに暴力を振るえればそれでいいだなんて、まるで獣じゃない」


 真田は口元に手を当て、秀彰の瞳を一心に見つめている。思わず秀彰は視線を逸らしたい衝動に駆られたが、何故だか出来なかった。瞳に魅入られるとはこういうことなのかと、一人納得する。


「多感な年頃だしさ。痕印なんて不条理で非日常な能力を手にしたら、それにのめり込んじまうってのも良く分かる。だけどさ、この世界はそんな甘い覚悟じゃ生きていけない。失うモノも沢山あるだろう。アンタ一人の命では到底賄えないような、辛い代償を求められるコトだってある」

「……っ、それでも、俺は――」


 反論しようと前に出る秀彰を、突き出された手の平が制す。ピンと伸ばされた指先は『分かっている』とでも言いたげに、彼の口を封じた。


「アタシはそんな無謀者の生き方なんて歓迎しないし、応援だって真っ平御免だ。けれど未熟なまま、この社会の理すら分からないまま、ただ死んでいくのを見送るのはアタシも忍びない。だからせめてアンタの望む通り――教育だけはしっかりとしてあげる。赤点取らないくらいにはね。それが一指導者としての…いや、アタシ個人の矜持(きょうじ)さ」

「真田教諭……」


 どこか不器用な、それでいて温かみのある彼女の言葉に、秀彰は深い感銘を受けながら聞き入っていた。するとパチンと鋭い打音が鳴り、無防備だった額に痛烈な痺れが走る。眼前には真田が曲げた指を携えつつ、ニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。どうやら不意打ちでデコピンしてきたようだ。


「っつぅ……こ、この暴力女が……っ」

「ほら、言ったそばから油断しやがって。呆けた顔してんじゃないわよ」


 丁度その時、夕闇のグラウンドを一陣の風が吹き抜け、一つ結びにした真田の長い黒髪を大きく靡かせた。やや童顔の気のある女教師の表情は、いつにもまして穏やかだ。


「話の続きは宿直室に戻ってからにしましょうか。こんな場所じゃ寒いし、暗いし、やるせないし」

「そうですね」

「……と思ったけどさ、その前に一つ、赤坂に注文付けていい?」

「なんですか、真田教諭」


 聞き返した途端、真田は秀彰の顔に向け、ビシっと力強く指を差した。


「それよ、ソレ。前々から気になってたんだけどさ、その『真田キョウユ~』って変な呼び方、やめてくれない?」

「いや、そんな間抜けな語尾の伸ばし方してませんけど……気に入りませんか?」

「気に入る、気に入らないの問題じゃなくってだなぁ」


 真田はしかめっ面を浮かべながら、首の後ろをポリポリと掻いている。


「別に間違っちゃいないけどさぁ、なんかこう堅苦しいっつーか……聞いてて首の後ろがむず痒くなるのよねぇ」

「はぁ」

「普通にセンセイで良いわよ。てか、そう呼びなさい。真田先生と」


 面と向かって止めろと言われれば、従うしかない。密かに教諭という呼び方が気に入っていた秀彰は、少し残念そうな顔を浮かべている。


「じゃあ……真田センセで」

「ん? まぁ、いいや。今度からそう呼びなさいよ」


 微妙なアクセントに首を傾げつつも、真田は秀彰を伴って宿直室へと歩きはじめる。


「はー、それにしても寒いわねぇ。カーディガンでも羽織ってくればよかったわぁ」


 旧校舎へと向かう道すがら、寒がりの吐息は暗転し始めた春空の下へと還っていく。


「年を取ると足腰が辛いと言いますからね」

「アンタ、もっかい組み敷かれて関節極められたいの?」


 鋭利な犬歯を剥いて威嚇する彼女の相貌は、既に普段の炯々とした輝きを取り戻していた。食いかかられそうな勢いに負け、秀彰が両手を上げて降参のポーズを取ると、真田はふんと鼻息を鳴らして早歩きで先を急いでいった。


「…………」


 グラウンドの砂利を踏みつつ、秀彰は悟られぬようひっそりと立ち止まる。そして、自分と同じくらいの背中に向けて、深く静かに頭を下げた――。


   ※


「うぅ~、寒かったぁ」


 宿直室に戻るや否や、真田は真っ先に給湯場へと駆け込み、真鍮製のヤカンに火を掛け始めた。バタバタと忙しない足音にどこか既視感を覚えつつも、秀彰も靴を脱いで畳へと上がった。見たところ、室内には暖房器具らしき物はない。彼女のような生粋の寒がりには過酷な環境だと言えよう。


「赤坂の分も珈琲でいい?」

「お構いなく」

「あ、その間に炬燵(こたつ)の準備しておいて頂戴」

「……炬燵?」


 どこにそんなものがあるのかと、秀彰は軽く周囲の備品を見渡してみるが、狭い室内にあるのは少し大きめの丸机と寝具一式くらいだ。


 ふと、奇妙な物が壁に立て掛けられている事に気付き、近寄ってみた。それはちょうど机と同程度の大きさの丸板で、上から被せようと思えば被せられるくらいの、絶妙な形状をしている。


「まさか、コレと机の間に毛布を挟み込んで、炬燵代わりにするんじゃないですよね?」

「ぴんぽーん、大正解!」

「なんつー侘しい炬燵だ……」


 丸机の上にある使用済みの珈琲カップを回収しながら、真田がにこやかな顔で答える。『質素倹約を志し、豊かな人材を育む』とは入学式での校長の言葉だが、こういう生徒の目に付かない部分にまで訓示の通り実践しているとは驚きだ。秀彰は少しだけ、真田のコトを見直してしまいそうになったが――。


「いやー、元はちゃんとした炬燵があったんだけどね。机ひっくり返して麻雀卓に使ってたら、後日教頭にバレちゃってさぁ。すぐに没収されたってワケ。全く、酷い話よねぇ」

「……」

「あ、あはは」

「…………」


 すぐに前言撤回することと相成った。


「っと、そろそろお湯が湧きそうだっ!」


 気まずい沈黙から逃げるように、真田はコンロの元へと立ち戻っていった。秀彰は軽い徒労感を覚えて溜め息を吐くと、仕方なく簡易炬燵の設置に取り掛かることにした。


(こんなんでいいのか……?)


 丸机の上に毛布を敷き、さらにその上から薄い木板を被せる。見た目は炬燵っぽくなったものの、毛布の厚みのせいで妙にゴワゴワしていて不格好だ。


 そもそも今は五月中旬。いくら季節外れの寒冷風で外は寒いと言えども、家の中まで暖房具が必要とは到底思えない。秀彰が一抹の不安を抱えながら上蓋の位置を整えていると、背後からご機嫌な声が響く。


「お、良い感じにセッティング出来てるじゃーん♪」


 トレイに淹れたての珈琲を載せて運んできた真田は、歓喜の声を上げながら意気揚々と簡易炬燵へと潜り込んでいく。雑な配膳のせいで、危うくカップの中身が服に引っ掛かりそうになっている。まるではしゃぐ子供だ。


「何遠慮してるのよ。赤坂も早く入りなって」

「はぁ」


 電気の点かない炬燵に違和感を覚えつつも、秀彰は誘われるがまま足を入れてみた。ひんやりとした畳の感触と毛布の柔らかさがズボンの上から伝わってきてなんとも言えない。が、思っていたよりは悪くなさそうだ。


 しかし、それにしても狭い。まっすぐ足を伸ばすと、対面に腰掛けている真田の足に当たるので、止む無く斜めに位置度ることにした。お陰で左足の指先は毛布の外へとはみ出てしまっている。炬燵特有の安らぎはどこへやら。


「ほれ、珈琲淹れてきたから飲みな」

「どうも」


 差し渡された花がらの珈琲カップに砂糖とクリープを並々と混ぜ入れながら、秀彰は会話の口火が切られるのをじっと待った――。

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