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1 薔薇


「グレイ!まだ終わってないの?早くやらないとあんたがサボってたってメイド長に言いつけるから!」


キンキン声を張っているのはこの屋敷のメイドの一人だ。心底不愉快そうな目で相手を睨みつけ、眉間にシワが寄っている


「ご、ごめん……今、道具持ってくる……」


気弱に返事したのはグレイと呼ばれたメイドだ。手入れされていない灰色の髪が伸びて目元を覆っている

職務に邪魔でしかないフリルで無駄に着飾られたメイド服はとても窮屈なものだった

グレイが掃除用具を持って戻ってくると彼女の姿は無かった


「……はぁ……」


ため息を零しながらも一人で掃除を始める

この広い廊下……高級な絨毯に高級なカーテン、豪華な装飾の付いた灯りに窓。これらの掃除は本来先程の彼女のものだ。

そもそもこの掃除を手伝いに来るのが遅れたのも、他のメイドに仕事を押し付けられていたからなのだが……


(押し付けられるのも当たり前になっちゃったな……でも拒むと更に酷くなるし……はぁ)


グレイは旦那様の『お気に入り』だった。旦那様に連れられここで働くことになったグレイだが、その容姿や経緯からメイド達からは嫌がらせが続いていた

最近は旦那様が遠くに仕事だとかで家を開けているせいで余計に嫌がらせは酷くなっていた


「……ふー、こんなもんかな」


そうこうしているうちに掃除は無事に終わった

仕事を無駄に押し付けられ事は嫌だが掃除自体は嫌いじゃない、何も考えなくて済むから。


(いつもは誰かが途中で水を撒いたり足跡をつけに来たりするのに……これがいつもだと良いんだけどな)


道具を片付け本来の自分の仕事をしに戻ろうとすると、曲がり角で飛び出してきたメイドとぶつかった


「きゃあっ!……いったーい、ちょっとグレイ、なにぼさっと突っ立ってんのよ!」

「ごめん……そんなに急いでどうしたの?」

「旦那様がお客様連れて帰ってくるのよ、そのお迎え準備!忙しくなるんだからあんたも早く仕事しなさいよ」


そう行って一目散に駆けていったのは数時間前別の仕事をグレイに押し付けたメイドだ


(旦那様が、帰って来る……)


鼓動が早くなる感覚に眉を潜めながら、グレイは自分の持ち場へと戻っていった




揺れる馬車の中で二人の人影が談笑をしていた


「はっはっは、まさかあの噂の人物が実在していたとは思いませんでしたよ、それに私の依頼を受けてくださるなんて」

「ふふ……おや、随分と立派なお屋敷が見えてきましたね。伯爵の屋敷はあちらですか?」

「ええ、私も仕事で空けていたのでここに戻ったのは半年ぶりほどですがね」


屋敷の前には沢山の使用人達が出迎えのために待っていた

馬車が止まると伯爵は先に降り使用人にじっとした視線を送る


「グレイ!グレイはどこだ」

「ここにおります、旦那様」


グレイは伯爵の元へ行きフリルで重いスカートを持ち上げぺこりとお辞儀をする

伯爵はグレイの灰の髪にまるで動物でも撫でるかのように手を置いた


「おおグレイ、見ないうちに随分と背が伸びたんじゃないか?メイドとしての仕事は上手くやっていたか?」

「はい、旦那様。おかげさまで日々充実した生活を送ることができています」

「そうかそうか、私のおかげか」


伯爵がグレイの頭を押さえつけるように撫でていると、馬車からもう一人が降りてきた

真っ白な三角帽子から繋がるように伸びる長い白髪、重そうなトランクを抱えて出てきた男と目が合った


(青い瞳……)


思わず息を飲んでしまう整った顔立ちに青い瞳がよく映えていた。

後光すら錯覚してしまうように美しいその男はゆっくりと足を踏み出し……そのまま段差から転げ落ちた

トランクは宙に浮き、男は顔から地面に落ちていく


ドサドサッガチャンッ


「………………」


その場に数秒の沈黙が広がる。伯爵はハッとして近づくと、その男はまるで魚のように飛び上がった


「うわあ!私の絵の具が!」

「だ、大丈夫ですかな、ミハイル殿?」


男は落としたトランクに飛びつき開けると中の荷物を確認した。グレイからはその中身は見えなかったが、何か瓶のような物が入っている音がした


「……ああ良かった。瓶同士がぶつかった音のようです……申し訳ありません、あまりに綺麗な子がいたので見惚れて足を踏み外してしまいました」


男はトランクを閉めると軽く土埃の付いた服を軽く手で払い、キュッと帽子を被り直す

転んだことなど無かったようににこやかに微笑む彼は伯爵を置いてこちらに向かって歩いて来た

グレイが避けようと逸れると、男はグレイの前に立ち、その場で跪いた


「初めまして、私はミハイル。どうやら君に一目惚れしてしまったようだ……

良ければ一枚描かせてくれないか?」

「………は?」


意味が理解できずに困惑するグレイにミハイルはじりじりとにじり寄ってくる


「な……」

「ミハイル殿、これは私の物なのでご容赦くださいませ」


伯爵がグレイの前に手を出しミハイルから遠ざける


「そうですか……是非一枚描きたかったですが、仕方ないですね…」


ミハイルはしゅんと俯くと立ち上がり膝の汚れを払う

伯爵は執事長に指示を出し、そのままミハイルを連れて屋敷へ入って行った

ミハイルの瞳は扉が閉まる瞬間までグレイを捉えていた


「な、何あの人……」





「ねぇ見た?お客様、超イケメンなんだけど!」

「旦那様のお客様なんてデブ貴族か男娼だと思ってたけど……あんな当たりが来るなんて」


休憩室では先程の客人の話で持ちきりだった

グレイは気配を薄くして食事を取りに通ろうとするが……一人のメイドに見つかってしまった


「ねえグレイ、一体どんな色目を使ったの?あんなに綺麗な方に告白されるなんて……」

「知らないよ……さっき初めて会ったんだし……」

「はーん……あんた、私達の事見下してるんでしょ、旦那様に買い落とされた醜女の私達じゃ無理って?」

「そんな事言ってな……」


バシャッ


グレイの頭に水が掛けられた


「ほんとムカつく……あんたみたいなのが好きな旦那様ってキモすぎよね」

「……」

「フッ、あんたも結構背ぇ伸びたし、そろそろ潮時なんじゃない?」

「……」

「……あはっ、ずっとそういう顔しとけばいいのよ……あはははっ」


休憩室に甲高い笑い声がいくつも広がる

頭痛を覚えながら、グレイは食事を摂るのを諦め部屋から出ていった





「……はぁ……」


グレイは休憩室を飛び出した後、自分の持ち場……庭園の手入れ作業をしていた

本来は庭園は庭師の手入れは庭師の仕事だが……旦那様がいないと怠ける庭師は今では仕入れ作業しかしておらず、水やりや伐採は全てグレイに押し付けていた


(……旦那様が帰ってきたからいると思ったけど……)


今日も変わらず庭師の姿は無かった

グレイはいつも通り水やりの準備を始める

ジョウロいっぱいに水を汲んで、自分が半年間育てた花々の成長を確かめながら水を掛けていく


「……あ、薔薇が……」


昨日まで蕾だった白と赤の薔薇が大きく花を咲かせていた


「やっと咲いてくれたんだ……よし、今日のご飯だよ」


(真っ白で綺麗な薔薇……白……綺麗………)


グレイの脳裏に先程の男の姿が浮かんだ

思考を振り払うようにぶんぶんと頭を振る


(何だったんだよあの人……

……一目惚れって、旦那様みたいなのは一人で充分……いや一人もいらないっての)


その時ぶわっと強い風が吹いた

既に咲いていた花の花弁が舞い上がる中、グレイの顔に何かが吹き飛んできた


「うわっ!?………帽子?」


見るとそれは真っ白な三角帽子だった


「これってさっきの……」


すると横の生垣からガサガサと音がした


「あ、そんな所に!拾ってくれてありが……」


生垣をかき分けて出てきたのは先程のミハイルという男だった

目が合い、お互い数秒見つめ合う


「……さっ」

「帽子!お客様のですよね、どうぞ。地面には落ちてないので汚れていないはずです。それでは」

「待って!」


グレイはミハイルが口を開く前に帽子を押し付け退散しようとする

しかし手首を掴まれてしまいまい逃れられなくなってしまった


「お礼を言わせて、帽子拾ってくれてありがとう。グレイ」

「な、なんで名前……」

「さっき伯爵が呼んでたから」

「……仕事……あるので、離してください……」


グレイは目を合わせないように俯きながら言う、その声は少し震えていた

それを見たミハイルは手を離してしゃがみ込んだ


「ごめんね、痛かった?」

「平気です」

「……私は数日程ここに滞在させてもらうから、気が向いたら仲良くして欲しいな。仕事の邪魔をして悪かったね」


するとミハイルの手がグレイの頭に伸びる

思わず避けようと顔を上げると、ミハイルの手には一枚の花弁が掴まれていた


「花びら付いてた」


クスッと笑うと取った花びらを持ったままミハイルはまた生垣をかき分けて行ってしまった


(………変な人だ)





1日の業務を終えグレイは自室のベッドで休んでいた


『あんたも結構背ぇ伸びたし、そろそろ潮時なんじゃない?』


昼間の言葉を思い出して起き上がる、体にじっとりと冷や汗が浮かんでいた


「………はぁ……」






翌日、今日もいつも通りグレイはメイド達に仕事を押し付けられている


ぐぅぅぅ……


朝食を他のメイドにめちゃくちゃにされたせいでグレイのお腹が鳴いていた

しかしお腹が空いたと仕事を放棄すれば昼食も抜かれてしまう……なんとか乗り切り、休憩室へ向かった


扉を開けた途端、ビシャッと何か濡れたものを顔に投げつけられた


「っ!?」


顔から剥がすと、それは水でふやけて形を留めていないパンだった


「ごめーん、早く食べさせてあげなきゃって口に投げたつもりだったんだけど」

「……」

「あんたの昼食それだから、水とパン一緒に食べれて効率良いでしょ?ほら、さっさと食べて廊下の掃除やってきなさいよ」


崩れて半分以上が床に落ちたパンを拾って、グレイは休憩室を後にした

顔に残った分は食べて、落ちていた分はゴミ箱行きだ

後ろから扉越しでもよく通る甲高い笑い声が聞こえていた





「……ふぅ……ふぅ……」


グレイは空腹で息を切らしながら掃除を終えた。本来ならば休憩時間だが、休憩室に戻ってもロクな事にならないと思いそのまま庭園へと向かう


そこにはいつも通り、グレイしか見ることのない、グレイの為だけに咲く花達が咲き誇っていた


(……お腹空いたな……この調子じゃ夕飯にありつけるかどうか……どうしたもんかな)


空腹でジョウロを持つ気力さえ湧かず、グレイは薔薇の咲く花壇の縁に座り込んだ


(……薔薇って食べれるんだっけ?もうなんでも良いから食べたい……)



「大丈夫?」


上から声が降ってきてグレイは顔を上げる

するとそこにはミハイルが立っていた


「え…っ」

「具合悪いの?」

「い、いや……大丈夫、です」

「…何か嫌なことでも……」


ぐぅぅぅ……


心配そうに寄ってくるミハイルにも聞こえるような大きなお腹の音が鳴った

グレイの顔はじわじわと赤くなり、その場から離れようと立ち上がる

しかし空腹で力が入らずそのままよろけてしまった


「…っ!」

「っと、急に立ち上がったら危ないよ」


地面に落ちると思った体はミハイルによって支えられていた。グレイは反射的に飛び退く


「…あ、ありがとうございます、体調は大丈夫なので……」

「えぇ?……あ、そうだ。私、花を貰いに来たんだ、伯爵の許可はもらったから良ければ見繕ってくれないか?」

「……かしこまりました、種類や色はどのようなものにしますか?」

「うーん、そうだなぁ……」


ミハイルはじっとグレイの瞳を見つめる

前髪で隠れているはずなのに目が合っている気がして、グレイは目を逸らした


「赤い薔薇を数本、出来るだけ香りの良いものが良い」

「かしこまりました」


グレイは近くの小屋からハサミを持ってくると赤い薔薇の吟味をし始める


(これは香りは良いけど小さい……うん、これは取って……こっちは……)


「……こちらで如何でしょうか?」


グレイは特に綺麗に咲いていた薔薇をミハイルに手渡した。ミハイルは1本1本確認し香りを嗅ぐ


「……うん、良いね。ありがとう、じゃあこれはお礼」


ミハイルは1つの小包を出してきた


「う、受け取れません」

「なんで?」

「……旦那様の、許可が無いと……」

「うーん、じゃあここで食べちゃえばバレないよ」


ミハイルが小包のリボンを解くと中には焼き菓子が入っていた


「この間王都で買ったやつなんだ、美味しいからあげるよ」

「そんな貴重なもの……」


王都と言うとここから馬車で数週間はかかる大都会だ。そこのお土産なんて受け取らない

しかし理性に反して空腹の体は正直だった


ぐぅぅぅ……


「ほら、誰も見てないんだからパクっといっちゃいなよ」

「う……ほ、他の人に言わないで下さいね…?」

「もちろん、二人だけの秘密だ」


にこやかなミハイルの綺麗な顔に押し負けてグレイは焼き菓子を手に取った

口にいれる前から甘い香りが漂ってきてたまらない


「そろそろ行くね、綺麗な薔薇をありがとう」


ミハイルは手を振りながら庭園を出ていった


(……変な人)


グレイはいなくなったことを確認して、焼き菓子を口いっぱいに頬張る


(美味しい…!都会のお菓子すご!)


空っぽの胃にふわふわの生地が染みていく

思ったよりも重量のあったそれを食べきると体に力が漲ってきた

グレイは張り切ってジョウロを手に取り仕事を再開した




二日後


「きゃっ!」


メイドが転んだ拍子にぶつかり花瓶が落ちた、メイドは粉々になった花瓶を見て一気に青ざめる


「っ……最悪なんだけど……」


どう言い訳したものかと考えていると、向こうの廊下に灰色の髪が見えメイドは近寄る


「……グレイ!こっちの掃除手伝ってくれない?私代わりに別の仕事任されちゃって」

「……分かった」

「ありがと〜!ほんっとグレイって働き者よね、じゃあよろしく〜」


メイドは割れた花瓶を放置したままグレイに押し付けどこかへ行ってしまった




夕方、グレイはメイド長に呼び出しを受けていた


(一体なんだろう……割れてた花瓶の事も報告しなきゃ……)


メイド長の部屋に入るなり鋭い眼光に睨まれた


「グレイ、あなたが旦那様の花瓶を割ったとアンナから報告がありました。」

「え、割ったのは私じゃありません、仕事を任された時には既に花瓶は落ちていました」


グレイはアンナと呼ばれるメイドに仕事を押し付けられた経緯を話すが、メイド長の表情は変わらなかった


「アンナは花瓶を割ったのを自分のせいにさせたくて仕事を押し付けられた、と言っていましたがそれはどうなんですか?あなたの持ち場は本来庭園ですよ」

「代わりの仕事があるから変わってと言われていただけです、私は何も……」

「……はぁ、言い訳はもう良いです。伯爵様にはあなたが直接謝りなさい、せいぜい温情を頂けるように祈ることですね。話は終わりですのでさっさと出ていって下さい」


ぴしゃりと言われると部屋から無理やり追い出される。バン!と無駄に強く扉を閉められた


(メイド長に嫌われているとは思ってたけど……ここまで信用がないものだったのか)


これから起こる事を想像して身震いをする、グレイは陰鬱な気持ちのまま自室に戻った




「……はぁ……」


真っ暗な廊下、心許ない蝋燭の灯りを頼りにグレイは伯爵の部屋に向かう

今までメイドに嫌がらせを受けてきた中で何かを壊したり失敗を押し付けられることもよくあった。だが伯爵は他のメイドと比べグレイには少しだけ甘く謝れば許してくれる人だった


(前回は花を枯らさせたのを謝らせられたんだっけ……でも…今回は花瓶、しかも絶対高級なやつだ……謝るだけで許してもらえるだろうか

もしかしたら………)


『あんたも結構背ぇ伸びたし、そろそろ潮時なんじゃない?』


「…っ!」


またあの言葉を脳内で反芻する……

……伯爵がグレイにだけ甘いのは理由があった、そしてそれはグレイが他のメイドから蔑まれる理由でもある

そうこうしていると伯爵の部屋の前に着いてしまった

意を決して扉をノックする


「旦那様、グレイです。少しお話よろしいでしょうか」

「……ああ、入っていいぞ」


扉を開くと窓辺で晩酌をしていた伯爵が目に入った。風に乗ったワインの芳醇な香りがグレイの鼻腔を掠める


「どうした、こんな夜更けに……ほら、こっちに来なさい」


伯爵は大きな天蓋ベッドに座ると手招きをしてくる。グレイは伯爵の隣に座った


「…旦那様の花瓶を落として割ってしまいました。申し訳ありません」

「……ほう、それは…蛇の模様が入った瓶か?」

「はい」


伯爵はワインを傍らに置くと、グレイの前髪に触れた


「……グレイ、あの花瓶はとても高価なものなんだよ、お前が一生働いても足りない金額だ」

(そんな……そんなに高価な物だったなんて…)

「……そんな顔をするな、私もグレイを責め立てたい訳では無い、だが……それなりの対価を支払ってもらいたいだけだ」


伯爵はグレイのメイド服に触れる

後ろのリボンがゆっくりと解かれ、黒いワンピースの状態で無理やりベッドに押し倒された


「ふっ……半年見ないうちに随分と愛らしくなったな……どれ、前を開けてみろ」

「……は、い」


グレイは手の震えを必死に抑えながら前のボタンを一つ一つ外していく

いくら主人の命令とはいえグレイはこんな事しなくなかった。しかしメイド服も肌着も、衣食住は全てこの伯爵のおかげで得られており、抵抗することが無駄なことだと言うことをここに連れて来られた日から理解していた


「ほほう……良い体になったな……」

「……っ!」


伯爵の手がするりと胸元に触れる、気色の悪さでどうにかなりそうなのを必死に堪えながらグレイは堪える


「お前を拾って本当に正解だった……ふっ、日頃頑張っているグレイに私から褒美をとらせよう」


伯爵はそう言うと自身の衣服を脱ぎ始めた

グレイはこれからされることを予想飛び上がった


「お、お待ち下さい、旦那様」

「なんだ?お前の手で脱がせたかったか?」

「いえ、その……私は……」


グレイは伯爵の不信を買わぬように言葉を選ぼうとしたが、上手く言葉は出てこなかった

俯いていると伯爵の手がグレイの顎に添えられる


「怖気づいてしまったか?初いやつよ、お前は天井でも見ていれば良い」

「その……私、今日怪我をしてしまって!私の血で伯爵の健康を害したら一大事になると、思いまして……」


グレイはとっさに思いついた事を述べた

嘘ではない、花瓶の掃除をする時に手を切ってしまったのだ


「……その傷はいつ頃治るんだ?」

「えっと……み、3日後くらい…ですかね……」

「…………はあ、仕方ないな、では3日後の夜にまた来い。その時はたっぷり可愛がってやる」

「………はい」


伯爵はいかにも不機嫌な顔になり、グラスにワインを注いだ

既にグレイの事など見ておらず晩酌を再開した

グレイは脱がされたエプロンを拾いそっと部屋を退出する


「失礼しました、おやすみなさいませ」

「ああ、早く寝て早く治せ」


鈍い木の音を響かせて扉が閉まった

グレイは一刻もその場から離れたくて、エプロンを握りしめたまま廊下を走って行った




「はぁっ……はぁっ…………はぁ……」


自室に戻る気にもなれず、グレイは庭園に行くことにした

扉を開けると、ほとんど丸い大きな月が花壇を幻想的に照らしていた。心地の良い風がふきじっとり浮かんだ汗を乾かしていく

薔薇の花壇に座わり、蹲った


(さっき……逃げられなかったら、どうなっていたんだろう……)


走ったせいか、緊張のせいか、まだ心臓が早い。あまりに大きな鼓動にグレイは全身を揺さぶられている感覚を感じた




「………………」


……もう何分経っただろうか、月の位置が変わっている。かなりの時間が経ってしまったようだ


(そろそろ寝ないと…明日の仕事ができない……)


三日後の夜にはまた伯爵の部屋に行かなければいけない、伯爵はグレイに甘いが人が良い訳では無い。二度目の逃げは許されないだろう


(……どうしよう)


「どうしたの?」


目の前から声が降ってきた、蹲っていて顔は見えないが知っている声だった

グレイは顔を上げずに沈黙を貫く事にした


「……………」

「……よいしょ」

「……なんで隣に座るんですか、お客様」

「ここが1番良い景色なんだもん」


グレイはミハイルが来たことで居心地の悪さを感じたがまだ動く気にはなれず、髪の隙間からミハイルを見る

視界がぼやけているがそれでも彼が美しいと分かった、帽子はなく服も軽装だが月明かりに照らされた彼はそこに座っているだけで彫刻の様な美しさを放っている

ミハイルはどこからとも無く一枚の紙と木の板を取り出し、何かを書き込んでいく


「……なに、してるんですか?」

「んー?なんだと思う?」


楽しそうな声が返ってきてグレイは少しだけ苛立つ


(……せっかく一人で落ち着ける場所だったのに)





「ふー、できた!ねぇねぇ、どうかな?」

「………?」


少しだけ微睡んでいる間にミハイルは何かを書き終わらせたようだ。紙をこちらに向けていた

そこには……薔薇と月…そして真ん中には美しい顔をしたメイドがいる絵が描かれていた

黒一色のはずの絵なのにやけに鮮やかに見え、グレイの瞳はその絵に釘付けになる


「……綺麗な絵……」

「そりゃあ綺麗な物は綺麗に描かないと失礼だからね……はい、君にあげる」

「えっ、なんで……?」

「君を描いた物だし君に持ってて欲しいな」

「……これ、私……?」


よく見ると髪型や顔の作りは鏡で見る自分の顔に似ていた


「こ、こんなに綺麗じゃないです……」

「何言ってるのさ、私は色々旅してきて色んな美しい物や人を見てきたけど……君の美しさは比べ物にならないよ、ミハイルの名において誓おうじゃないか」

「名においてって……」

「……ん?ああそうか、言ってなかったね。私、これでも結構売れっ子の画家なんだよ

伯爵にも自画像を描くように依頼されて来たんだ」

「画家……」


グレイはそっと手を伸ばし絵を受け取った

見れば見るほど繊細な絵だ、伯爵が飾っている高そうな絵の価値は分からないが、グレイにはこの絵はきっとどんな絵よりも価値があるなと思った


「……ありがとうございます」

「私も楽しかったからいいよ。そうだ、この間のお菓子どうだった?」

「…美味しかったです」

「良かった。今は持ってないけれどまた今度美味しいのをあげよう」


ミハイルはにこにことした顔でグレイに笑いかける


「……お客様は、いつまで滞在なさるんですか?」

「うーん、実はここだけの話あんまり筆が乗らなくてねぇ、仕事だからちゃんとやるけど……あと三日くらいかなぁ」


三日、それはグレイが伯爵の部屋に行かなれば行けない日だ


「……君を描いていいならずっとここにいても良いくらいなんだけどね、伯爵に言ったら君とは関わるなって怒られちゃったんだ」

「……じゃあなんでここに…?」

「私は美しいものが好きなんだ、美しいものがある所に惹き寄せられてしまう……君とかね。あ、君を描いたことは伯爵には秘密だよ」


ミハイルは人差し指を立てていたずらっ子のように笑う


「……私は綺麗なんかじゃ、ありません」


グレイは立ち上がりミハイルを見下ろす

白いまつげが光に照らされて、まるで妖精か何かを相手にしているみたいだった


「でも……この絵はすごく綺麗だと思います、大事にします」


ぺこりと頭を下げグレイはその場を去る


「明日もここに来るから、またね」


グレイは一瞬足を止めて、また歩き出した

振り返ることは出来なかった。あの人を見ていると、ずっとここに居たくなってしまう気がしたから


落ち着いたはずの胸の高鳴りが何故か収まらなくて、やけに高揚とした気持ちでグレイは床に就いた。


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