7.撤退
午前10時過ぎ。カイトたちは昨日と同じように、木々が生い茂る森の中を黙々と進んでいた。
今回の獲物もゴブリンだ。今のところ、はぐれゴブリンの一体しか見つけられていないが、方針が決まり、やる気に満ちて奥へと進んでいく。
「なかなかいねぇなぁ、ゴブリン」
「そうですね……昨日はあんなにいたのに、どうしちゃったんでしょう」
隊列の後ろで、退屈そうに歩くアッシュとローネが話していた。
ゴブリンは通常の魔物より繁殖力が高く、集落を築けば3日で50の群れを成すと言われている。
とはいえ、最低等級から討伐対象となっているため、溢れかえるほどの数が出ることはない。1日に遭遇する数は平均で4体ほどだ。
それを思えば、昨日の異常な数がわかるだろう。
「昨日、ギルドに報告しに行ったとき、アリシアさんが少し慌ててたわ。関係あるのかしら」
アリシアはギルドの受付嬢で、カイトたちが加入してから毎日のようにお世話になっている。
「もしかしたら群れができかけてるとかかな?」
「おぉ! ってことは近くに集落があるってことだよな!?」
「ちょっと、それを言うのはまだ早いわよ。確かに可能性はあるけど」
アッシュが聞いて息巻く。昨日の戦闘で自信がついたのだろう。
「集落があるなら、ギルドが慌てるのも無理ないですね。もしかしたらもうベテランの人たちが行ってるかも」
「確かに、もしそうならもう潰されててもおかしくないわね」
「遅かったか……」
アッシュは意気消沈する。忙しい男だ。
「まあまあ、街は守られたんだし、それでいいじゃん。それに気づいてないだけで、少し多めにポイントを貰えてたりするかもよ」
「おぉ、確かにな。俺らは街を救ったんだから、それくらいは欲しいぜ」
「ゴブリンぐらいで大袈裟な街ねぇ」
そう話しているうちに昼が近づく。結局、午前中はゴブリン1体と薬草が数本だけだった。
昼食用に持ってきた干しマナーをみんなで食べる。
この干しマナーは冒険者の間で愛されるドライフルーツだ。
温暖な地域ゾーナで育つマナーは直径5〜8cmほどの果物で、豊富な水分を含んでいる。
それを乾燥させて水分を抜き、日持ちを良くしたのがドライマナーだ。
豊富な栄養素と糖質が多いのが魅力で、糖質含有率は驚異の90%。食べ過ぎには注意が必要だ。
「今日はほんとしょぼいな。バジニスタに行けるのはいつになるんだよ」
「確かに、昨日方針を決めてこれでは先が思いやられるわね」
「ゴブリン1体で100ディアですよ……準備金すら赤字です」
「うーん……」
軽くマナーを食べてから再び歩き出す。カイトも迷宮への道のりが遠く感じ、テンションが下がっている。出鼻をくじかれたようだ。
「……ッ!! 止まってっ」
「おっ、その感じ、やっとゴブリンか?」
先日と同じようにエイラが静止の合図を出す。
しかし、今回は昨日とは違った緊張感が顔に現れていた。
「……撤退するわよ」
エイラは真っすぐカイトを見つめながら言った。
「は? 撤退って、慎重すぎるだろエイラ。ドラゴンでもいるのか?」
「……昨日のジェネラルとは魔力量が比べ物にならないわ。確実に5等級よ。それに複数いる」
「なんでそんなのがこんなところに? まだ浅いはずですよね」
緊張で声を震わせながら情報を伝えるエイラ。ローネとアッシュはまだ実感が湧かないのか、首をかしげている。
「わからないわ……ギルドが慌てていたのはこれが原因かも。とにかく撤退すべきよ。危険すぎる」
そう言い、エイラはこちらを見た。
「……そうだね。仕方ない」
「おいおい、カイトもかよ。様子見もしないのか? 前回はやってたじゃねぇか」
「本当に危ないのよ。私たちじゃ絶対に対処できない」
「そんなのわかんねぇだろ。昨日は違ったじゃねぇか」
「あんたは見てないからわからないのよ! 昨日とは比べ物にならないんだから!」
「お、おちついてください、2人とも! 相手にバレちゃいますって」
ローネに注意され、2人は慌てて黙った。
カイトは2人の言い分をよく理解していた。エイラの意見もわかるし、アッシュの意見もわかる。
だが今回は昨日とは様子が違うようだ。普段は冷静なエイラが焦っているのが、その証拠だった。
アッシュには悪いが、ここは引き時かもしれない……。
「アッシュ、ごめんね。僕も君の気持ちはよくわかるつもりだよ。いずれてっぺんを目指す僕らが、こんなところで冒険をしないで何が冒険者だって思う。でも、僕たちはパーティだ。ソロじゃない。確かに様子を見るだけなら簡単だけど、肝心なのは逃げる時だよ。ソロならまだしも、4人もいれば話は変わってくる、そうだろう?」
「……あぁ、わかってる」
「このパーティのリーダーは僕だからね。悪いけど、今回は撤退させてもらうよ」
「……了解。悪かったなエイラ、少しカッとなっちまった」
「……いいえ、あんたの言い分を理解せずに押し付けようとしたのは私の方よ。こっちこそごめんなさい」
2人が謝りあい、ひとまずは解決した様子。
カイトも少し安堵する。
「まぁ、アッシュくんがああ言うのも仕方ないですよ。なんせ今回の成果は100ディアちょっとですからね」
「ローネもカイトもすまん」
「別にいいさ」
そう言いながら一同は逆方向へ歩き出す。
しかし、エイラだけは立ち止まったまま動かなかった。
「どうしたんですかエイラさん?」
「どうしたの?」
カイトとローネが心配そうにたずねる。
エイラが俯き加減で、驚愕したような顔をしていた。
「……挟まれてる。どうして……」
「挟まれてる?向こうにも何かいんのか?」
「そうみたい……。ご、ごめんなさい。こんなことに気づけないなんて、本当にごめんなさい」
「とにかく移動しよう。ここにいるのはまずい」
「おう、そうだな。エイラ、どっちに行きゃいいんだ?」
ローネがエイラに近寄り、顔を心配そうに覗き込む。
カイトとアッシュがエイラに方向を尋ねる。
エイラは探査魔法を使ったのか、真剣な表情に変わる。しばらく待っていると右側の方向を指差した。
「こっちよ。こっちなら後ろから来るやつとは遭遇しないはず」
「了解。アッシュ、行くよ」
「おう」
周囲に警戒しながらアッシュに声をかけ、エイラの指示した方向へ4人は慎重に歩き出す。
森を抜ける間、カイトがふとエイラを見ると、全身汗でびっしょりだった。暑さではない。相手の魔力量の多さと、挟まれていたことに気づけなかった責任を感じているのだろう。
ギルドの初心者講座で教わったことを思い返す。
依頼中は予期せぬ事態や事故が起こりやすい。何かしらのトラブルは付き物だ。
だからこそ日頃から予測し準備しておくことが重要なのだ。
今回のトラブルは、その覚悟が試されたに過ぎない。命がかかるのは当然だが、エイラがそこまで思い詰める必要はないはずだ。
カイトは講師の言葉を胸に刻み、今後みんなで話し合う必要があると強く感じていた。
やがて森を抜け、街の外壁が見える場所にたどり着く。
4人はそれぞれ座り込んだ。
「あぁ、やっと出られた……」
「き、緊張しました……」
「ふぅ……」
全員汗だくの中、エイラは無言で森の中を見つめていた。
「みんな、ごめんなさい。こんな事になったのは探査を怠った私のせい。本当にごめんなさい」
「うん、次からは気をつけてね。まぁその話はまた後で。まずは宿に帰ろう」
「早くシャワー浴びてぇわ」
「体中ベトベトです……」
「みんな……」
3人はエイラの責任感を和らげるように声をかけた。
エイラが自分を責めすぎていることを悟ったのだろう。
思い思いの感想を口にしながら、4人は街の門へ向かって歩き出した。