二人で一人
物陰の二人の青年は、数メートル先のカフェで働く一人の女を眺めていた。
「準備はいいか、アキ」
「もちろんだよ、ハル」
「俺らは二人で一人。抜け駆けは禁止だぜ」
「わかってるって! 僕に任せてよ! んじゃあ、行ってくるね!」
アキは胸元を拳で叩くと、カフェの中へ入り、狙いの女が来るのを待った。
外からは不安気なハルの視線を感じる。
ハルとアキは双子の兄弟だ。
容姿も思考もそっくり同じ。
互いが互いを一番に理解し、信頼している。
いつだって二人で一人として生きてきた。
「あら? “ハルアキ”くん。今日も来てくれたの?」
「うん! ナツミさんに会いたくて!」
「ふふ。嬉しかったからクッキーをつけちゃう」
「うわーい」
「飲み物は? いつものでいい?」
「うん!」
「ハルアキ」と呼ばれたアキは、いつも通り窓際の席を選んだ。ここなら、外にいるハルも様子が伺える。
「おまたせ」
少しすると、ナツミがコーヒーとクッキーをトレーに乗せてやってくる。
彼女はエプロンをはずしていた。休憩時間に入ったのだろう。
当然のようにアキの前に座り、自分のアイスティーをテーブルに置いた。
「休憩?」
「うん。一緒してもいい?」
「もちろんだよ! 嬉しいな!」
アキがいうと、ナツミは朗らかに笑った。
それは、俗に言う一目惚れだった。
数週間前、双子は偶然カフェの外から、ナツミを見つけてしまった。
二人とも一瞬にして目を奪われ、鼓動が高鳴った。
ハルとアキは双子の兄弟だ。
容姿も思考もそっくり同じ。
好きな人が被るのは、よくあることだった。
だが、どんなときも決まってハルが選ばれる。
勉強でも、運動でも、なんでも器用にこなすからだ。
今回もまた同じだろう。
そんなふうに悲観しているアキを見かねて、ハルは言った。
「まだ彼女は俺らが双子だってことを知らない。二人で彼女を幸せにしようぜ。大丈夫。俺らは二人で一人なんだから。バレやしないさ」
ハルとアキは双子の兄弟だ。
互いが互いを一番に理解し、信頼している。
いつだって二人で一人として生きてきた。
だから、ナツミも二人で愛せばいいのだ。
その日から、ハルとアキは「ハルアキ」として彼女の働くカフェへ足を運んだ。
二人分の小遣いで、毎日交互に訪れる。
そうして双子は、ナツミと打ち解けていった。
そんな回想をしながら、アキはコーヒーを一口含んだ。
「ぅ……」
苦虫を潰したような表情を、あわててすまし顔に作り替える。
ナツミに顔を覚えてもらうために、毎日同じものを頼むことになったわけだが。
最初にカフェに入ったハルがブラックコーヒーを頼んだので、甘党のアキまで飲む羽目となってしまった。
「これ、貰ってもいい?」
「もちろん。実はね、これ私が作ったの」
「本当!? すっごく美味しそうだよ!」
アキは口直しをすべく、小皿に乗ったクッキーに手を伸ばす。
「あ、甘ぁ~い!!」
ほろり、と口内で優しくほぐれたクッキーが、甘味を溢して鼻を突き抜ける。
ハル好みの控えめな甘さだろう、なんて勝手に推測していたせいで、余計に甘く感じた。
「ふふ。喜んでくれてよかった」
「なんで甘いのを作ってくれたの? 僕、いつもブラックコーヒーを頼むのに!」
「ハルアキくん、たまに渋い顔をして飲んでるから。もしかして、無理して飲んでいるのかな、と思って」
クスクス笑うナツミに、アキは歓喜した。
ナツミは「ハルアキ」を通して、アキを見てくれている。
双子だと伝えていないのにも関わらず、違いに気付いてくれた。
「ありがとう。美味しくて手が止まらないよ!」
「いっぱい食べてね。育ち盛りなんだから」
アキはクッキーに手を伸ばし、リスのように目一杯頬に詰め込んだ。
好きな女の子が、自分のために手作りしてくれたクッキー。
これに勝るものなどあるものか。
ブラックコーヒーの後味も消え去り、口内いっぱいに広がる甘味を堪能していると、ふと、思考の隅に追いやっていたハルの存在がよみがえる。
嫌な予感がしてそっとカフェの外を見ると、案の定頭を抱えるハルの姿があった。
やってしまった。
アキは今さら手遅れだというのに、前のめりになっていた姿勢を戻して、座りなおす。
「ご、ごめん。お行儀悪かったや。美味しくて、つい」
「気にしなくてもいいのに。たくさん食べてくれて嬉しい」
甘やかすようなセリフに同じことを繰り返しそうになるが、脳内でハルの説教顔を思い浮かべてなんとかこらえた。
「そういえば、昨日の話なんだけど」
ナツミの切り出しに、アキの心臓が跳ね上がった。
昨日カフェに来たのはハルのほうだ。「昨日の話」といわれても、その場にいなかったアキには検討もつかない。
こういうとき、ハルなら上手くやるんだろうな、なんて考えているとナツミが顔を覗き込んできた。
「聞いてる?」
「も、もちろん!」
「それでね、引っ越そうと思うんだけど……」
「引っ越すの!?」
アキは思わず立ち上がるが、瞬時にハルの怒り顔が脳内に現れ、着席する。
それでも、ちっとも冷静な脳内ではいられなかった。
引っ越すことになればナツミはこのカフェをやめてしまうだろう。
そうしたら、二度と会えなくなってしまう。
アキはナツミの手を取って、感情的にいった。
「ナツミさんに会えなくなるなんて、嫌だよ! 僕、ナツミさんに会えることだけを毎日楽しみに生きてるのに! このコーヒーだってクッキーだって。ナツミさんが作ってくれたのじゃなきゃやだ!」
必死に訴えると、呆気に取られていたナツミの表情が、みるみるうちに柔らかくなっていく。
「あはは。ハルアキくん、違う違う」
「え?」
「実家暮らしから一人暮らしにしよう、って話。職場に近いところに引っ越して、通勤を楽にしたいのよ。このカフェはやめたりしないわ」
「よ、よかったぁ」
「それにしても、そこまで私のこと思ってくれてたんだね」
安心したのも束の間。アキは先ほどの子どもじみた言動を思い出して、顔を真赤にする。
「ご、ごめん、子どもみたいなこといって」
ハルだったら絶対にこんな失態はしない。
落ち込んでいると、ナツミがまた優しくほほ笑んだ。
「ううん。嬉しかったの。“昨日のハルアキくん”は言ってくれなかったから」
「え……?」
「あれ、覚えてないの?」
「あ、あぁ、いや。覚えてるよ! 昨日はね、うん。体調良くなくて、適当、だったかも?」
「言われてみれば私が作ったクッキー、渋い顔して食べてたもんね。無理しないで言ってくれたらよかったのに」
「し、心配かけたくなかったんだ!」
動揺しながらも、それとない返事で交わす。
どうやら、”昨日のハルアキ”は甘味のクッキーが苦手だったらしい。
「あ、そろそろ休憩時間が終わりみたい」
「もうそんな時間……」
「また“明日”ね」
「うん、明日……」
軽く手を振って応える。
明日来るのは、クッキーが食べられない「ハルアキ」だ。
今日の、ブラックコーヒーが飲めない「ハルアキ」じゃない。
「いっそ、本当に一人になれたらいいのに」
アキは静かに、甘味を噛みしめた。
カフェの時間を堪能したあと、外にいたハルと合流する。
「おい、アキ! あんな子どもみたいにばくばくクッキーを頬張りやがって! 明日の俺のことを考えろよ!」
「ごめん。だって、美味しかったんだもん」
「ったく。次から気を付けろよ」
早速ハルの説教が始まったかと思いきや、あっさり終了した。
ハルはアキに甘い。
どんなに腸が煮えくり返ろうとも、この捨てられた子犬のような愛らしい目にいつも負けてしまう。
同じ顔だというのに、なんとも不思議だ。
「ねぇ、ハル。相談があるんだけど」
「何だよ?」
「……ナツミさんに、本当のこと言わない?」
ハルはぴくり、と眉を動かした。
おさまりつつあった怒りが、また静かに昇っていく。
「何言ってんだよ? 俺たちは二人で一人だって……」
「でも、ナツミさんはなんとなく違いに気づいてるよ? 今日だって、わざわざ手作りのクッキーを用意してくれたんだ! “ハルアキ”じゃなくて“アキ”のために!」
「っ……」
ハルは拳を握りしめる。
「……んでいつも、お前ばっか」
「え……?」
「俺の当てつけのつもりかよ?」
「そんなつもりじゃ……」
「俺は反対だから。大体、双子だってバラしてどうすんだよ? 付き合えるのは、一人なんだぜ?」
このまま二人で一人を演じていれば、皆が幸せになれるというのに。
アキだって、それをわかった上で演じていたじゃないか。
「僕、気づいたんだ。二人で一人にはなれないって」
「何言って……」
「結局“ハルアキ”にはなれない。どこまでいっても、ハルはハル、アキはアキなんだよ。それに、これ以上ナツミさんを騙すのは嫌だ」
アキのまっすぐな目で射抜かれ、ハルは口ごもった。
ハルとアキは双子の兄弟だ。
容姿も思考もそっくり同じ。
互いが互いを一番に理解し、信頼している。
いつだって二人で一人として生きてきた――はずだったのに。
気付いてしまったアキ。
追いてけぼりのハル。
裏切られた気分になったハルは、背を向けた。
「もういい。お前とは絶交だ」
「ま、待ってよ! 話を……」
「話すことなんてねぇ! 明日は予定通り、俺が店に行くから」
アキの制止も聞かずに、ハルは行ってしまった。
翌日。
ハルはカフェの中へ入り、狙いの女が来るのを待った。
外からは不安気なアキの視線を感じる。
「あら? ハルアキくん。今日も来てくれたの?」
「うん。ナツミさんに会いたくて」
「もう、大人をからかわないの!」
「からかってないよ」
「そうは見えないんだけど……今日もいつものでいい?」
「うーん」
珍しく「ハルアキ」は悩んだ。
そして、メニュー表を一瞥して応える。
「今日は、ハニーミルクラテで」
「珍しいわね」
「たまには甘いのもいいかなって」
「もしかして、昨日私があんなこと言ったから?」
「あー……うん。バレた?」
”昨日の私”を知らずとも、ハルは持ち前の頭脳を駆使して応えた。それから、呆然と立ち尽くす外のアキを盗み見る。
ハルとアキは双子の兄弟だ。
容姿も思考もそっくり同じ。
好きな人が被るのは、よくあることだった。
だが、どんなときも決まってアキが選ばれる。
頭も悪いし、運動もできない。不器用な奴だ。
でも、皆に愛される力がある。
ハルはそんなアキが、大嫌いで、大嫌いで、大好きだ。
双子の間違い探しは、間違いを消してしまえばいくらでもやり直せる。
これで誰一人取りこぼさない。
僕たちは二人で一人なのだから。