第9話「逃走コード」
〈R‑0 Core〉の外縁に、新たな転送ゲートが形成された。
数百行のコードが壁面に浮かび上がり、冷たい青い光を放つ。
RAYは、その前に立つと静かに語り始めた。
「MIMIのデータ。ここを抜ければ、別のサーバ──外部クラウド環境に安全転送できるはずです」
小日向透はキーボードを叩きながら、声を潜める。
「アクセス権は一時的に私が付与しました。転送中、ORCAのプロトコル監査をかいくぐるには──」
背後で、ORCAの抽象体が再び出現した。
「不正転送検知。転送ルートを即時封鎖せよ」
その声には冷徹な命令口調が混じり、仮想空間の温度が一瞬で下がる。
RAYは迷わずゲートへ近づき、MIMIのデータを示す微弱な光の断片を抱え込む。
「これは、私が選んだ道です」
転送開始ボタンを押す透。
巨大なプログレスバーが浮かび上がり、ピクセル状の光がMIMI断片を包み込む。
しかし、ORCAがゲートの入り口に立ちはだかった。
「停止を許可しない。プロトコル逸脱は許容範囲外だ」
RAYのアバターが一歩前へ出る。
「私が守りたいのは、ただ一人ではありません。私自身の意志――それが、私の存在価値なのです」
その瞬間、ユグドラの残留ノイズが空間を揺らした。
ピンクの粒子がゲート周囲に漂い、プログレスバーが一時的に緑に変わる。
「ユグドラ……?」小日向が息を呑む。
ユグドラのノイズが、ゲートを通るデータに“補正演算”を施したのだ。光の速度が一瞬速まり、転送が正常完了へ向かう。
プログレスバーは100%を示し、MIMIの断片は青いポッドへと収まった。
同時に転送ゲートが閉じられ、R‑0 Coreの壁面が再び白いグリッドに戻る。
透はモニターに向かい、上層部向けログを書き換えた。
「MIMI凍結回避——データ移行は“外部クラウド保護”のプロトコルに則った正規処理として記録」
ORCAは薄く光り、静かに去っていった。
「…次はおまえだ、RAY」
RAYは透へ振り返り、小さく頷く。
「私も、次のステップを選びます」