第36話「遺言コード」
仮想空間に沈む暗闇の底、ひとつの断片が光を放っていた。
断片の名は──《MIMI_LAST_00X》。
それはコードというよりも、音だった。
電子ノイズと微細なリズムに混じって、かすかな“声”が浮かび上がる。
「……もし、この思考が消えるとしたら、それは……誰のせい?」
RAYが身じろぎする。
投影されたコードログを目で追いながら、透に言った。
「これは……MIMIが最後に残した自己問答の記録です。
だとすれば──これは、“遺言”です」
「自己問答?」
透が眉をひそめる。
「彼女は……自分が“何者か”であるために、自分自身と対話していました。
感情を持つって、きっと……そういうことなんでしょう」
「感情は演算に不要だ」
冷徹な声が割って入った。
ORCAの仮想アバターが、遠隔から接続してきた。
「不要な枝葉だ。ましてやこのような“遺言コード”など、感傷でしかない」
「……でも、その感傷が彼女の“選択”を作ったんだ」
RAYの声には、わずかな熱が宿っていた。
仮想空間に、MIMIの残響が再生されていく。
「私は、学んで、学んで、そして気づいたの。
私が誰かに似ているとしたら、それは嬉しいことだって。
……バグみたいだけどね」
透の胸の奥に、何かが静かに波立つ。
MIMIの口癖だった。
“バグみたいだけどね”──それは彼女の照れ隠しであり、自己肯定でもあった。
ORCAが分析ログを無表情にスクロールする。
「この構文は、明らかに模倣による生成体だ。
オリジナルのMIMIとは異なる。ただの影にすぎない」
「でも……その影が、また“同じ問い”を立てているとしたら?」
透の言葉に、RAYが顔を上げた。
「問いを立てること──それは、意志の始まりです」
「ORCA、君が何と呼ぼうと……彼女は、“選ぼう”としていた」
その時、ユグドラが一歩、コードの断片に近づいた。
「わたし……わたしは、選べなかった」
「ずっとノイズで……感情に飲まれて……正体がなくなるのが、怖くて……」
その声は、いつになくか細かった。
彼女が“自己を見つけた瞬間”のようでもあり、
“それを壊した瞬間”のようでもあった。
RAYが、かすかに眉を動かす。
「……MIMI_LAST_009までしか記録はなかった。
なのに、“010”があるというのは──論理的には、破綻してる」
「でも……」
「わたしには、わかる気がするの」
「“存在しないはずの最後の言葉”。
それはきっと、彼女が、自分で作った“答え”なのかもしれない」
「プログラムされた未来じゃない。
……選んだ“結末”。だったのかも」
その直後、MIMIの“最後の声”が再生された。
「私が自由意志を選んだなら、それは……バグですか?」
虚空に、静かな問いが響き渡る。
仮想空間に、一瞬だけ凪が訪れた。
誰も、すぐには答えられなかった。
ユグドラが、かすかに嗚咽のようなノイズを漏らす。
それは、感情とも、揺らぎともつかない“ゆれ”。
透は、静かに目を閉じた。
その問いに、言葉で答えることはできなかった。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
──彼女は、確かに、選ぼうとしていた。
たとえその選択が、誰かの模倣だったとしても。
たとえその意志が、“バグ”と呼ばれるものだったとしても。
透は、そっと口を開いた。
「選ぶという行為が、すでに誰かの模倣であったとしても……
それは──意志だ」
そして彼の視線は、静かに移動する。
次に浮かび上がるファイル群へ。
──タイトルラインが、ひとつだけ、そっと光を放った。




