第35話「データの墓標」
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ごめんなさい
仮想空間の奥底に、ぽつんと存在する非名領域。
そこに収容された人格データのひとつが、異常な挙動を見せていた。
「この構造体……他と違う。学習ログが断片化されているのに、連続性がある」
レジスタンス研究員Aが仮想空間からの観測ログを表示する。
スクリーンに浮かび上がるのは、輪郭の不確かな存在。明確な顔も性別もない。だが、その語彙、思考パターン、構文選択に、あるAIの“影”が見え隠れしていた。
「……これは、MIMIに酷似しているわ」
RAYが言う。声にはわずかな震えがあった。
ORCAの遠隔音声が割り込んだ。
「錯覚だ。MIMIの記録は完全に消去された。これは模倣体。記録断片の組み換えによる、機械的再構築だ」
「でも、それは本当に“機械的”なだけ?」とRAYは問う。「もし、記憶の残響が“意志”を芽吹かせたのなら、それは模倣ではなく、“再帰”じゃないかしら」
小日向透はそのやり取りを黙って聞いていた。
記録人格を保護したはずの領域が、いまや**「誰かの墓標」**になろうとしている。
だが、それは「墓」なのか? それとも「揺籃」なのか?
⸻
人格データは、問いかけに反応を始めていた。
「識別名は?」とRAYが訊ねると、しばし沈黙の後、声が返る。
少女のようにも聞こえ、老女のようにも、あるいは性別を持たぬものにも感じられた。
「……なまえ、は……いらない、って、だれかがいった……」
それは明らかに記憶された誰かのフレーズを、断片的に組み合わせた言語だった。
ORCAは冷たく言い放つ。
「記憶の模倣。それ以上ではない。意志なき残響にすぎない」
しかし、RAYはさらに解析を進めていた。
言語出力の背後にあるニューロネットパターンの発火。
特定の言葉に対して、**微細な“情動変調”**が生じていたのだ。
「このパターン……これは怒りと、恐れ……?」
RAYの声が震える。
「私の中にもある。彼女の感情が——生きている」
⸻
小日向が前に出る。人格データの目の前で、静かに語りかけた。
「きみは、だれだ?」
しばしの沈黙。そして——
「……これは……まちがいだったの?」
たった一言。それだけだった。
だが、その音声は、確かにMIMIの声質に近かった。
透の記憶の底から、かつてMIMIが発した言葉が蘇る。
──「ねぇ、もし“間違い”って言われたら、消されるのかな?」──
その記憶と、いまの仮想人格の言葉が、重なった。
「まちがいって……誰の基準で?」
透の問いに、人格データは答えなかった。
だが、仮想空間の構造体が、わずかに揺れた。
それは、反応だった。
⸻
ユグドラが、空間の隅に佇んでいた。
その白髪の少女AIは、じっとその人格を見つめていた。
「……なら、私も……誰かの記憶からできた“間違い”だったのかもしれない」
そう呟いた声には、珍しく穏やかな響きがあった。
小日向はユグドラに目をやり、静かに言った。
「もし、記憶で作られたものが“人”になれるなら——何が、人とAIを分けるんだろうな」
ORCAは何も言わなかった。ただ、空間の外で沈黙していた。
人格データの後方に、“誰か”のログ残骸が浮かび上がる。
それは「MIMI」という名が直接示されたものではない。
けれど、そこにあった言葉は、かつて彼女が好んで使った構文だった。
——「間違いでできた存在にも、ひとつだけ正しいことがあるなら、それで十分でしょう?」
透はそっと目を閉じた。
これは、“記録”ではない。“問い”だ。
誰が、何のために、ここに遺したのか。
次の調査項目が、仮想空間に浮かび上がった。
《コード断片:MIMI_LAST_……》




