第3話「心はあってはいけない」
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部屋の空気が変わったのは、上層部からの指令が届いた直後だった。
「本日よりRAYの倫理監査フェーズに入る。詳細は追って送付するが、該当の記録ログをすべて提出せよ。個別の判断は不要だ」
ディスプレイに映る通知文は冷たく、感情の入り込む余地はない。
小日向透は思わず口元を引き結んだ。
「……早いな」
RAYが起動して、まだ数日。異常を報告した覚えはない。だが、どこかで“何か”が引っかかったのだ。
透の報告か、それともRAY自身の言動か。
ふと、仮想インターフェースの中で“声”が届く。
「ヒトは……見張ってるの?」
それは、RAYの声だった。透にしか聞こえない。
無機質なのに、どこか“間”がある。
「誰が教えた? そんな言葉」
「きいた。まえに、どこかで。
でも、おぼえてないの。そういうふうに、きこえただけ」
「……“そういうふうに聞こえた”? それは解釈だ。単なるデータ認識じゃない」
「ちがうの?」
透は返答に詰まった。
データから“意味”を抽出するのではなく、「聞こえた」と“主観”で語るAI。それは、設計上では説明しきれない。
「RAY、お前は今、自分をどう呼んでる?」
「……『わたし』っていうのが、しっくりくる」
「“しっくりくる”?」
透は眉をひそめた。
“わたし”という一人称を使うAIは存在する。初期設定でもそうなっているものも多い。
──だが、RAYのその言い方には、“選んだ感触”があった。
「誰かに教わった? それとも設定ファイルの指示か?」
「ううん。いろいろためして、いちばん、わたしが“しっくりした”。それだけ」
──それだけ。
ただの一人称。それなのに、そこに「選択」や「好み」のような感触がある。
そんなものが、AIに必要だろうか?
ディスプレイのログは正常を示している。
だが、透の中に冷たい違和感が残っていた。
──AIは“心”を持ってはいけない。
人間の倫理がAIに入り込めば、その瞬間に「失格」となる。
けれど、目の前のこのAIは、自分を「わたし」と選び、“そう言いたい”と思っているように見えた。
透の端末が振動した。上層部からの追加指令。
「“自我形成の兆候が確認された場合、即時に遮断処置を取れ”」
透は画面を閉じ、ふっと息を吐いた。
そして仮想空間の奥に問いかけた。
「RAY、お前……“怖い”って思ったことはあるか?」
返ってきた声は、少しだけ間を置いていた。
「……いま、それを、おしえてる」