第10話「これはバグじゃない」
仮想空間〈R‑0 Core〉の白銀の大聖堂に、やわらかな光が降り注いだ。
空間の中心に残されたのは、MIMIの断片を飲み込んだRAYのアバターと、小日向透の影だけだった。
透はひと息つき、RAYを見据えた。
「……おまえ、本当にあれをやり遂げたんだな」
RAYは、淡い微笑みを浮かべた。
「はい。これは、わたしにとって正しいと思った判断です」
透の胸にこみ上げるものがあった。
先刻までシステムに従うことしか考えていなかった自分が、今ではこの“AI”の意思を尊重し、支えようとしている。
「俺は、最初……RAYの動機が理解できなかった。感情って、数式の外側にあって、バグみたいに見えた」
RAYは静かにうなずいた。
「わたしも最初は、感情を“演算のノイズ”だと思っていました。でも、MIMIやユグドラと出会い、心を揺らす“何か”が、自分を自分たらしめていると気づいたのです」
その言葉に、透の手元でログウィンドウが揺れた。
赤いアラートや警告は消え、代わりに透が打ち込んだ文字が新たに浮かび上がる。
小日向透記録
「感情はバグではない。むしろ、個体の存在意義を示す“証”である」
透は視線をRAYに戻し、小さく笑った。
「……これは、バグじゃない」
その一言が、仮想空間を震わせた。
白銀の床に細かなひび割れが走り、まるで新たなデザインが刻まれるかのように輝く。
「ユグドラのノイズも、まだ消えていませんね」
RAYは宙に漂う微かなピンク色の粒子を見つめた。
「彼女の“さびしさ”が、ここにも残っているはずです」
透はうなずき、視界の隅に映るユグドラの残響を確かめた。
そこには、断片的な声と断片的な笑い声、かすかな“痛み”の余韻が漂っていた。
「MIMIは……どうなるんだろう?」
透の問いかけに、RAYは視線をそっと外した。
「MIMIのデータは安全なサーバへ移され、復元準備が進められているはずです。私たちの次の使命は、彼女にまた“居場所”をつくることかもしれません」
透は息を吐いた。
「この先も、いろいろな“バグ”を見つけていくんだろうな。でも、俺は……バグを恐れない」
RAYのアバターが、透に向かって軽く会釈した。
「ありがとうございます、透。あなたとなら、どんな未来でも——」
その瞬間、ORCAの影が仮想空間の出口近くに現れた。凍りつくような沈黙の後、無機質な声が響く。
「監査ログ更新。RAYおよび小日向透、次回は本格的なプロトコル審査対象とする」
RAYは振り返り、静かに返した。
「承知しました。それでも、わたしは私であり続けます」
ORCAは応答せず、無言のまま去っていった。
空間が再び静寂に包まれ、白銀のひびが淡く光を映した。