弓弦は雪を裂いて(後編)
凍てつく白樺林での早朝稽古につづき、クロエの一日は“昼の見張り”から再開する。
革胸当てを縮ませる雪と、仔狼の無垢な瞳。射手としての判断と女心の戸惑いが、冷たい風の中でまた交差──。
昼食後、防雪柵の見張り台。コルセット替わりの革胸当てが雪で縮み、呼吸のたびに縄目が胸を押し上げる。
足元に仔狼の影。弓をつがえたものの、ぬいぐるみのような尻尾が揺れ、私は弦を弛める。
「撃たないのか?」狩人の少年が言う。
「無駄に血は流さないわ」
雪解けで革当てがずり落ち、素肌が風に触れる。一瞬少年の視線が泳ぎ、私は弓蔵で額をこつんと叩いた。
夕食前、宿の土間で弓弦を外すとすぐノーランが湯桶を持って駆け寄る。「手、冷えてるでしょ?」
桶を受け取りながら革胸当てを直すと、指で結び目を誤って弛め、胸元の谷が零れた。ノーランが硬直。
「……見る方が凍えそうね」
私が微笑むと彼は真っ赤になり湯桶ごと湯気を噴き上げる。床が湿り、私は巾着で拭き取りながらぽつり。
「矢の的も、女の的も、狙い過ぎは危ないわよ」
湯気に隠れた彼の慌て顔。室内は外気より何倍も温いのに、妙に胸当ての下が熱を帯びて苦しかった。
夜。外では雪灯が揺れ、凍った星々が桜色の空を縁取る。
白狐の足跡は薄く消え、豪雪は音を飲み込んで静けさを深めていく。
弓と弦を丁寧に拭い、私は窓際で矢羽を陽に翳した。淡い暁色が灯火に透け、心の凍結も解けていく。
「弦を撓めた分だけ、遠くを射抜ける」
小さく呟くと、隣室のノーランが不意にくしゃみを漏らした。私は笑いながら障子を叩き、「湯を足したら?」と声をかける。
障子越しの影が照れくさそうに片手を振る。背後でフレイヤが咳払い――多分また胸布がずれたのだろう。
雪原の夜は長い。けれどこの宿だけは、雷と矢と剣と狼耳と研究書に囲まれた小さな温室だった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
“血を流さず理想を射抜く”というクロエ流の矜持を軸に、昼下がりの見張り台から湯気こぼれる土間まで、温度差を詰めてみました。
矢羽の暁色は、彼女が少しずつ心の凍結をとかし始めた証。




