僕は異世界転生者…らしい
これから始まる物語は、「何の取り柄もないはずの普通の人間」が突然、異世界へと投げ込まれるところから幕を開ける。主人公は現実の日本で平凡に生きてきたつもりだが、前世の記憶を丸ごと保持したまま、見知らぬ大地に立たされることに。
交通事故の直後に目覚めた広大な空と不思議な街の風景――想像していた“ファンタジー”がまるで現実になったかのような世界で、彼は戸惑い、時に胸を踊らせながら、新たな人生を歩み始める。
冒険者ギルドが存在し、獣人やエルフが当たり前のように行き交う街。そこに溶け込もうとする主人公が、どんな仕事を見つけ、誰と出会い、そして自分に眠る前世の知識をどう活かしていくのか。慣れない環境でもがく姿を通じて、物語は少しずつ動き出す。
彼の選択が、のちに多くの仲間を呼び寄せ、やがては世界の運命を大きく変えることになるのかもしれない――。
見覚えのない空。どこまでも広がる雲ひとつない蒼穹が、まるで絵画のように美しくて、しばらく動けなかった。……いや、動けなかったというより、どういう状況か理解できず、ただ呆然としていたのかもしれない。
ごつごつした石畳の感触が、背中をじんわりと痛めつけてくる。俺はゆっくりと身体を起こし、見渡した景色にさらに息を呑んだ。遠くには高い城壁のようなものが見える。その上にそびえ立つ尖塔は、ヨーロッパの中世でもこんな形は見たことがないほど、異様に尖っている。
「ここ……どこだ?」
自分の声が、知らない空気を震わせたとき、頭の中にじわりと恐怖が広がった。はっきりとした記憶はないが、最後に見たのは確か……車のヘッドライト。そう、俺は交通事故に遭って……そこで意識が途切れたはずだ。
「もしかして本当に、俺……死んだのか?」
そう思うと、手足が震える。それなのに、死後の世界とは思えないほど、この場所は活気に満ちあふれていた。俺の周囲には、行商人風の男や、背に大きな荷物を背負った旅人、甲冑をつけた兵士らしき集団まで、様々な人々が行き交っている。いや、人だけじゃない。尖った耳を持った女性が雑踏を縫うように歩いていたり、羽根の生えた獣が通りを横切っていたり……。
「ファンタジー世界……なのか?」
そう呟くと、自然とこぼれる苦笑い。俺は昔からファンタジーや神話が好きで、小説やゲームにどっぷり浸ってきた。まさか、それが現実のものとして目の前に広がるなんて、どう考えてもおかしい。だが、それ以上におかしいのは、俺の意識だ。前世の記憶がそっくりそのまま残っているような感覚。生まれ変わったなら、大抵は赤ん坊からやり直しってのがセオリーじゃないのか?
――理屈はともかく、現状を受け入れるしかない。
改めて自分の姿を確認してみると、地味な服装に、素朴な靴。背丈や手足の長さからすると、年齢は16歳くらいだろうか。顔立ちそのものは自分で確認できないが、前髪が垂れ込む視界の隅に映る色は、前世とは違うようだ。もともと黒髪だった気がするのに、今はくすんだ茶色っぽい。
「はぁ……どうすりゃいいんだろう」
そう呟いて立ち上がると、通りかかった商人風の男がこちらを見て声をかけてきた。
「おい、兄ちゃん、大丈夫か? 倒れてたようだが……」
「あ、ありがとうございます。ちょっと道に迷ってて」
「道に迷った? それなら冒険者ギルドに行くといい。新入り用の仕事や地図があるし、下手な宿に泊まるより安全だ」
商人はそう言うと、立ち去っていった。冒険者ギルド……ファンタジー作品でよく目にする組織が本当に存在するのか。俺は何だか心が躍るのを感じながらも、若干の不安が拭えないまま、街の方へ歩き始めた。
見渡す限り、この街はかなり大きい。入り組んだ石造りの建物が並び、どこもかしこも人の往来で賑わっている。どこか異世界観満載の露店が立ち並んでおり、行商人が声を張り上げ、露天商が獣人の客に布を売っていたりする。
前世の俺は日本でごく普通に生きていた。学校では多少いじめられたり、人間関係に悩んだりはあったが、特別すごいスキルがあるわけでもなかった。ただ一つ、ずっと好きだったのがファンタジーや神話に関する書物やゲーム。とにかくそういった世界観に没頭するのが、生き甲斐と言えるほどの趣味だった。
(まさか、そんな趣味が本当に役立つ時が来るのか?)
大通りの先に、ひときわ大きな建物が見えてきた。周囲には武器を持った人々が集まっている。恐らく、ここが冒険者ギルドなのだろう。
建物の扉を押して中に入ると、広いホールの中央に大きな受付カウンターがあり、壁一面には無数の依頼書が貼られている。そこには「魔物討伐」「遺跡調査」「物資運搬」など、さまざまな仕事が並んでいた。
この世界に来て早々、途方に暮れていた俺にとっては、一つの希望の光のようにも思えた。もしかしたら、ここで仕事を見つければ、生きていく糧を得られるかもしれない。
「ええっと……金はないし、まずは何か簡単な依頼を探すか」
そう呟きながら掲示板を覗き込むが、大半が「魔物討伐」や「遺跡の警護」といった危険そうな仕事。報酬は高いが、俺には戦闘力もないし魔力もゼロに等しい。おまけにこの体じゃ筋力も期待できそうにない。
どうしたものか……と困り果てていると、カウンターの奥から受付嬢が声をかけてきた。
「新人さんですか? もしよければ簡単な雑用から始めてみては?」
「は、はい。そうしたいんですけど、何もわからなくて……」
俺の頼りない声に、受付嬢は微笑んで、「このあたりを当たってみるといいですよ」と、いくつかの簡単な依頼書を示してくれた。食材の運搬や掃除係、何かの調査の手伝いなど、確かに命を落とす危険はなさそうだ。
「ありがとうございます。でも、依頼を受けるにも登録が必要とか……ですよね?」
「そうですね。ギルドカードを発行します。少しお時間いいですか?」
こうして俺は、冒険者ギルドの新人登録を済ませ、ようやくこの世界での一歩を踏み出すこととなった。前世から数えても、人生をやり直す形になるが、右も左もわからない状態なのは正直不安でいっぱいだ。
(それでも、ここで止まっているわけにはいかない)
登録を終え、ギルドホールの片隅で依頼書を再確認していると、突然、誰かが俺の肩をポンと叩いた。振り返ると、ローブをまとった女性が、興味深そうにこちらを見つめていた。長い袖から覗く手先は細く、指先には何か不思議な紋様が刻まれているように見える。
「あなた、ここで仕事を探している新人さん?」
「え、ええ、そうですけど……」
「ちょうどいいわ。荷物運びを手伝ってくれない? 報酬は少しだけど」
彼女の名はクロエ・ブライア。エルフのような尖った耳がのぞき、銀色がかった髪が印象的だ。最初は警戒心があったが、俺のような新人でもできそうな仕事をくれるならありがたい。
「やります! ぜひ手伝わせてください」
こうして、俺が異世界で初めて引き受ける仕事が決まった。ひとまず、明日の朝に街の外れの倉庫で落ち合う約束をし、俺はギルドを後にした。
(ここが俺の新たなスタートラインだ――)
胸に小さな希望を灯しながら、俺はこの世界での最初の夜を過ごすことになる。どんな困難が待ち構えていても、まずは生き延びなきゃいけない。それに、前世で培ったファンタジー知識が本当に役立つかどうか、試すチャンスだとも思った。
――このとき、俺はまだ知らなかった。明日、思いも寄らない出会いと事件に巻き込まれることを。
それでも俺は、この世界で生きていく。例え何の取り柄もない“普通の人間”だとしても――。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。思いもよらない事故で命を落としたはずの主人公が目覚めた先は、ファンタジー作品さながらの異世界でした。右も左もわからないまま、まずは「冒険者ギルド」の存在を知ったことが、彼にとっての大きな転機となります。
未知への期待と不安を胸に、主人公は明日の約束を交わしました。果たして彼を待ち受ける“荷物運び”の先には、どんな出来事が広がっているのでしょうか。表紙をめくるように、新しい仲間や事件が続々と登場する予感が漂います。
次回からは、いよいよ実際の行動が始まります。どこか頼りないけれど、前世の知識に希望を見出そうとする主人公の姿が、より鮮明に描かれていくことでしょう。未知との邂逅、試練、そして一筋の光明――