34.異変の始まり
「出られた……のかしら……」
クリスティーナは図書館の入り口付近の庭を見渡し呟く。そして、難しい顔をして訝しげに首を傾げた。
図書館に着いた時、時刻は10時で制限時間を約2時間とすると今は12時頃の筈だ。また、図書館へ向かう最中晴れていたので、今頃は太陽が照りつけていてもおかしくない。
しかし、辺りは曇っているにしても暗い、そんな異質な暗然とした空気が満ちていた。
「ねぇ……どうしたのかしら……?」
クリスティーナは隣で座ったままのヴィクトルに声を掛けた。彼は脱出した時から微動だにせずただ俯き下を見ていた。
「?どうかしたの」
クリスティーナはヴィクトルの顎に手を伸ばし、顔を上げさせ、息を呑んだ。
「っ!?」
瞼は開いていたが、いつも明るい光を湛えている青い瞳は虚ろで、何も映していなかった。
その様子が、いつものヴィクトルと結びつかず、先程使い魔と向き合っていた彼を想起させた。
その事が影響したのだろうか。唐突にクリスティーナの脳裏にとある記憶が浮かび上がる。
『……申し訳ありません。私はここを去ろうと思います。ここに居る理由はなくなってしまいましたので……』
若い男が光の中に佇み、私に向かって声を掛けていた。
逆光のせいで顔を鮮明に捉える事ができないが、切なげな声音と強烈な懐かしさに胸が痛んだ。
『そんな事ないわ。貴方は私にとってとても大事な人だもの……』
自分のようで自分ではない。白昼夢みたいだ、と他人事のように考えながらクリスティーナは目の前の光景を見ていた。
『女神様……。……今までありがとうございました』
男は女神と呼んだ人物に背を向けると足を踏み出す。
『待って……!行かないで……』
『――さよなら』
最後に一瞬立ち止まった相手の手を掴もうと伸ばした手は、振り払われるまでもなく届かなかった。
「――何で!?また貴方は私から離れていくの?」
クリスティーナの口から自然とそんな言葉が零れた。
(何……!?私はこんな事知らない……。今のは何だったの……?)
気づけば温かい雫が頬を伝っていた。それを風が撫で、冷たく乾かしていく。
すると、ヴィクトルの瞳に微かだが光が戻った。
「……ん……クリス?泣いてるの?」
「!何でもないわ……それより、目が覚めたのね……!」
「ん?目が覚めたって、どういう事?」
「……え?」
どういう事。記憶がないの?もしかして……。
様々な想いが交錯してクリスティーナは困惑の笑みを浮かべる。
「何を言ってるの。図書館から出て、あなた気を失っていたじゃない」
「?クリス、大丈夫?……やっぱり5階に行くのは止めておく?」
(何を言っているの……?)
呆然としたクリスティーナの前にヴィクトルは屈み込み、顔色を窺う。
「……い、いえ。なんでもないわ。忘れてちょうだい。そうね、入りましょう」
「?」
ヴィクトルは不思議そうにしていたが、クリスティーナは気づかないふりをして、図書館に向かって歩き出す。
(状況は全く分からないけれど、取り敢えず様子を見てみるしかないわ。嘘をついているわけでもないでしょうし……)
「クリス、ホントに大丈夫なの?」
「何でもないわよ。早く図書館に入りましょう」
――クリスティーナは、辺りの異質な環境から目を背けている事に気が付かなかった。




